大切なものは目には見えない

大切なものは目には見えない

日々の普通の生活が当たり前だと思っていたけど、それは当たり前では無かった。
今日と同じ明日が必ずあるとは限らない。
本当に大切なものは目には見えないから、私の心が感じたことを忘備録として残します。

約2年間、ブログを休んでいました。
自分ではもうブログは書かない、書けないと思ってたけど⋯
思うところがあり、また再開することにしました。

今までの「愛犬との思い出」のブログには区切りを付けて、これからは2022年秋から一変した自分の生活について書いていきたいと思います。
そして、自分が感じたことを忘備録として、一人言のように書き残したいと思います。
それに伴いブログタイトルも変更しました。

以前、仲良くして頂いた「犬ブログ」の方々には興味のない内容になるかもしれませんのでスルーされるか、フォローを外されても大丈夫です。
宜しくお願いします。

6月23日

今日は 愛犬「Love」の命日です




あなたがお空🌈に引っ越してから

あっという間に 5年が過ぎました

時が経つのって 早いね

この5年間にも

いろんなことがあったけど…





あなたが居たから

私はどんなに苦しい時も頑張れました

あなたの存在に

私はどんなに助けられたか


感謝の気持ちでいっぱいです


あなたにも

辛い思いをさせてしまった時もあったね

ごめんなさい


どんな時も 私の側で

私を支えてくれて 本当にありがとう


あなたのことは ずっと忘れない

どんな時も 私の中で生きています


あなたが居たから 私は今も頑張れます


また いつか必ずあなたに会えると

信じています


ありがとう

ありがとう


ずっと ありがとう


あなたにありがとうを伝えたい









2023年 7月14日
約1年前
この日は私にとって とても長い1日でした

朝から息子の様子はおかしかった
そして メジコンを通販サイトで20箱注文したから その代金 約7万円を私に払うように言ってきました
私が拒否すると 明日 その薬が届いたら 薬を全部飲んで死ぬと言い出しました

この頃 この咳止め薬は品薄状態で 病院でも手に入りにくいとか言われていたのに
何故 簡単に個人で20箱も購入出来るのか不思議でした

さらに私に脅迫めいた事を言い出したので
危険を感じて 私はすぐに家を出ました
私が家を出た直後 息子から部屋のガラスが割れた写真が送られてきました
私が家に戻らないと 家が壊れるとLINEが来ました

病院に電話をして主治医に入院の相談をしましたが 病室に空きが無いと言われて途方に暮れてしまいました
仕方なく 警察に相談に行きました
事情を話して
どうしても必要な仕事の道具を取りに行きたいけど こわくて一人で行けないので 一緒に来て欲しいとお願いしました

こんなことを警察にお願いしなければならない事が情けなくて 本当に申し訳ない気持ちでした

いつも警察官の前では大人しくなる息子
でも警察官にも 明日 薬が来たら
それを全部飲んで 死ぬと普通に言いました

警察からも入院を勧められましたが
本人は入院はしたくないという
それに病室に空きが無いと言われたし…

警察からは役所に相談して 役所の担当から病院に 入院が必要だと連絡してもらった方がいいと言われました

警察→役所→病院、という連携のおかげで入院の受け入れは可能になりましたが
肝心な本人は入院を拒否しているため 私一人で息子を病院まで連れて行くのは難しいことでした
あいにく夫は仕事で すぐには帰ることができなくて…連絡待ちでした
本人が自分の意思で乗るならば 救急車で運んで貰えると言われたけど
当然ですが 無理やり乗せることは出来ないと言われました

病院に迎えをお願いしたら 時間外で人手が足らないから迎えは無理だと言われて
警察にお願いしてくださいと言われました

警察は暴れて手がつけられない場合は 
警察が安全のために病院に連れて行くことは出来るけど 大人しくしてる場合はそれは出来ないと言われました

せっかく入院の受け入れが可能になったけど
どうしたらいいのか?
私一人では病院に連れて行くことが出来ない
(病院までは車で約1時間)
仕事中の息子の兄たちに何とか連絡がとれて 協力を頼みました

日が暮れて 少し落ち着いた息子を 騙し騙し 夫と兄たちでやっとの思いで 病院に連れて行くことが出来ました
病院に到着したのは21時過ぎていました

主治医の先生は当直ではないのに 待っていてくださり 有難かったです

本人にとっては不本意な入院だったかも知れません
そして入院したから 薬への依存症が治るわけではないことも分かってましたが
家族としては 少しの間だけでも 薬から息子を切り離したいと言う思いと
もう私は精神的に限界を感じていて 
少しでいいから 自分たちも休息の時間が欲しいと切実に思っていました

この日は私にとって とても長い1日でした
警察に3回 消防署に2回 役所に3回行って
病院に5回くらい電話しました
(警察署から消防署まで約1分 警察署から役所まで約5分と言う近い立地に感謝しました)

そして 入院の手続きを終えて
家に戻ったら もう日付けが変わる時間でした

息子のために たくさんの方にご迷惑をお掛けして本当にすみませんでした
親身になって相談にのって下さった警察の方 
救急隊の方 役所の方 本当にありがとうございました

(翌日 息子の言った通りメジコンが20箱 届きました)















久しぶりの投稿になりました


昨年の私にとって一番しんどくて辛い状況の時の事を書こうとすると

あの時々の苦しくて悲しい場面がフラッシュバックして…

辛すぎて、なかなか書くことが出来ませんでした


人間は辛かったり、悲しすぎる事があると

無意識のうちに その起きた事を自分の記憶の中から消してしまおうとする事を知りました。

きっと 嫌な事は無かったことにしたいんですよね

あの時のどうしようもない 悲しい気持ちが

途切れ途切れにしか 思いだせなくて

脳が無意識に 私の記憶から消し去ろうとしてるように感じます


あの一番苦しかった頃のこと

2023年は毎日が苦しくて辛かったので

どれが一番かは分からないですが…

特に昨年6月~7月は 息子の薬への依存が急激に加速した頃で

私の体調も悪くて… 私自身のメンタルもかなりやられていました


手帳を見ながら あの頃の事をを思い出して

記録したいと何回も試みましたが

頭が痛くなったり 急に睡魔に襲われたりして

なかなか書くことが出来ませんでした


もう書くのを止めようかと思いましたが

でも 私はこの経験をどうしても 記録として残しておきたいという

そんな気持ちがとても強くて 

思い出せる範囲で 覚えてる事だけでも

書いていきたいと思います


✎︎______________




2023年6月~7月

3回目の入院(7月15日)までの短い期間に

息子の薬への依存は急激に加速しました

そして 1度にODする薬の量もかなり増えていました

薬への耐性が付いて来て だんだん量が増えていく そして ODする頻度も増えていく


ODしてる時と していない時

息子はまるで別人でした

薬に支配されている時は 息子は別人になってしまいます

薬に支配される 人格が変わってしまいます

息子でありながら もう息子ではなくなってしまう


私はその変貌が怖かった

人格を変えてしまう薬が恐ろしかった

薬→人格が変わる→感情コントロールが出来なくなる→暴れる→物が壊れる→自傷

(時には警察にお世話になることも何回かありました)


その頃になると 私はもう息子の目を見るだけで 薬をやっているか いないかがわかりました

最初は処方薬から始まりましたが

この頃はメジコンという咳止め薬(市販薬)に依存していました


ん? なんか言動が変だと思って

目を見たら すぐに分かります

そうなると 人格も変わってるから

ヤバいです

とりあえず 早く逃げないといけないです


薬をやってる時 もっと薬が欲しくなるみたいでした

この頃 もっと薬が欲しくなった時

だけど自分はお金が無い

買いに行くことが出来ないとなると


 そんな時 私を脅して薬を手に入れようとするようになりました

正直 夫がいない昼間に 息子と二人きりになるのが 怖かったです

何もない時もありますが いつ何が起こるか分からない不安で 私はいつも精神的に疲れていました


息子の目つきがおかしくなったら

いつでもすぐに逃げれるように スマホは家でもいつも離さず持っていました

玄関にはすぐに持ち出せるように 犬のご飯と水 財布と家の鍵が入ったバッグ 着替え1日分などが入った小さな旅行カバンを隠していました


私ひとりなら すぐに逃げれるのですが

愛犬のトイプードルを一緒に連れていかないと行けなくて それがたいへんでした

何故かというと 依存症になってODをするようになってから 

息子は犬を虐めるようになっていたからです

それまでは息子も一緒に犬を可愛いがっていました


私が犬を可愛いがってることを逆手にとり

犬を虐めることで 私を脅して

私を支配下に置こうとしました

犬を置いて逃げる事が出来ない私には

瞬時に犬を抱きかかえて 玄関へ行き

家の外へ逃げ出すことが出来るかは

災害時の避難と同じくらいの いつも真剣な脱出でした









2023年6月から7月は 本当に最悪な日々でした

毎日が不安でいっぱいでした

不安しかありませんでした


4月末からの2回目の入院は 6月9日に退院となりました

(ですが また1ヶ月ちょっとで 7月14日には3回目の入院となってしまいます)


その1ヶ月ちょっとの間に 息子は毎日いろんな事をやらかしてくれて

本当に もうどうすれば良いのか分からない状態でした


この頃には 完全な薬の依存症になっていました


それでも私は 何とか生活環境を 少しでも変えようと 通所できる事業所を見学したり

就労移行支援センターでの居場所作りや

グループホームへの入居も視野に入れて

見学にも行ったりしました


でも 今回もまた退院後に調子が良かったのは ほんの1週間くらいだけでした


薬の依存症なので 病院からは強い精神薬はなるべく出さないようにして貰っていました

本当は薬なんて何も必要無かったのですが

本人はそれがとても不満みたいでした


処方薬も1度にたくさん出すと ODするので

1週間分ずつの薬を処方して貰っていました


そして 車で約50分かかる病院へ 1週間に1回連れて行くのは 予想以上にたいへんでした

この頃 息子は寝るのは明け方とかで ちゃんと通院時間までに起きてくれるのか? どうかも分からない状態でした


そして貰ってきたばかりの1週間分のクエチアピンを1度に全部飲んでしまって 

副作用で唾液が多量に出て止まらなくなったり

フルニトラゼパムを1度に多量服薬して

救急車で搬送されたり

市販薬でODしてはフラフラ歩き回ったりして

家族は気が休まる時がありませんでした


そして いつもそれは 必ずと言っていいくらい

大事な用事がある時に起こります

どうしても外せない仕事が入っていたり

仕事関係の来客がある時などは

本当にドキドキで不安でした


来客予定の朝に 救急病院に一緒に行かなければならなくなった時とか

どういう理由でキャンセルすればいいのかを

予め考えておかないといけない状況でした


何も予定がなければ良いというわけじゃないけど 何故かいつも

この日は困ると言う時に やらかしてくれました


この頃 私は日々の不安と緊張で精神的にかなり参ってました


毎日 息子は朝方まで自傷行為をしたり

ODしてリビングを歩き回ったり 

感情のコントロールが出来なくて物に当たったりしました

この頃は 家のいろんな物が壊れました


こんな状態が毎日のように続くので 必然的に家族は安心して寝てられません

少しウトウトしても リビングでの大きな物音で すぐに目が覚めてしまいます


息子は朝方から夕方まで寝ていますが

私や夫には仕事や用事があるので 眠れなくても朝には起きなければなりません

不安と緊張に さらに睡眠不足が重なって

私は鬱のような状態になりました


いつも不安で ドキドキして

少し大きな物音がするとビクッとして 

得体の知れない恐怖感で 何かいつも怖くて

たまらなくなりました

いつも息子の行動が気になって そればかり考えてしまい

いつまでこんな生活が続くのか?

不安で不安でたまらなくて

ご飯も食べれなくなってしまいました


普通の一般的な病気なら 友人にも話を聞いて貰ったり相談出来るけど…

 精神病 依存症 OD 自傷行為… とかになると

なかなか人には相談することが出来ません


何か偏見を持たれるんじゃないか? とか

話しても理解して貰えないんじゃないかとか…


親族にさえ どう話したらいいのか?

話すことは出来ませんでした


誰にもこのしんどい状況や 苦しい胸のうちを

分かって貰うことが出来ない


そんな中で一番辛かったのは 仕事中には

普通に明るく楽しく振る舞わないとならなかったことです

本当は泣きたくなるくらい 辛いときでも

笑顔でなければならない事

辛かったです


それでも 何とか息子に立ち直って欲しいと思う気持ちは まだありました

それには体力が必要だし

ちゃんとご飯食べないとダメだと思い

頑張ってなんとか3食 食べていましたが

食べてるのに あっという間に 5kgくらい痩せてしまいました







お誕生日おめでとう

5月18日

息子の33歳の誕生日でした


今年の誕生日は 信じられないくらい平和でした

昨年の今頃は 1年後の今日に

こんな普通に 息子の誕生日が祝えるなんて

全く予想も出来なかった

この普通の幸せに 感謝の気持ちでいっぱいです

この感謝の気持ちは いつまでも忘れないでいたいと思います


(現在の息子の様子は また別の機会に

順番に書いて行きたいと思います)


やっと本厄が開けました

でも まだ後厄が一年残っています

こういうのって そんなに気にする方では無かったけど

ちょうど前厄くらいの時から いろいろ問題が起こり始めると 何かしら少しは

関係あるんじゃないかと 思ってしまいます



昨年の誕生日は精神科での2回目の入院中でした

1回目の退院後から すぐに息子の体調は崩れました

家に戻って普通に生活出来たのは 

ほんの1週間くらいでした


毎日 生きているのが辛いと言って

激しいリストカットとODの日々

救急車を呼ばなければならない時も

何度かありました


「しにたい」 と何度も何度も

私に訴えてくるのは

生きるのが辛くて どうしようも出来ないけど

それでも なんとかして「生きたい」と言う 

心の叫びだったと思います


そんな息子の姿を見るのが 私には本当に辛かった


しんだら もうお母さんやお父さんにも会えないよ

それでもいいの?

私は嫌だよ

こんな哀しいお別れは出来ないよ


あなたには生きて 幸せになってほしいから

普通の 幸せな人生を送ってほしい


もう一度 あなたの笑顔が見たいよ


この頃 息子は笑わなくなっていました

いつも無表情に近い

泣く時でさえ 表情が変わらなくて

いつも ただ涙だけを流していました


昨年の4月末 GWの少し前

ロープを何度か購入したり

電車に飛び込むとか 具体的な事を言い出すようになり

1人にするのが怖い

でも私には仕事もあり ずっと見張ってられない

もう限界だと思い 2回目の措置入院をお願いしました


いつもなら色々と計画を立てて

楽しいはずの連休も 母の日も

そして自分の誕生日も精神科で入院中でした


さすがに誕生日を一人病院で過ごすのは

可哀想だと思い

先生にお願いして せめて昼食を一緒に食べれるように 外出許可をお願いしました


許可された4時間の外出許可では 

家に帰って また病院に戻るには 時間が足りなくて

病院近くの大きな自然公園の中にある

BBQ広場を予約して 家族で息子の誕生日を祝う事にしました


高齢の私の両親や妹も 孫である息子を心配して 参加してくれました

元気だとは言え 92歳の父に心配をかけていることを 申し訳なく思いました


この時 息子は入院から3週間がたち

2回目の薬の整理をして貰っていたので

入院前よりは少し体調は良くなっていました


それでも その時の写真を見ると

精神薬の副作用でかなり太っていて

顔も浮腫んでいました


そんな辛く苦しい状況の昨年の今頃は

出口の見えない 真っ暗な長いトンネルの中に彷徨っているようで 

いつまでこんな状態が続くのかと…

本当に不安しかない毎日でした


そして この時期 私は今までの色んなストレスが頂点に達して

自分のメンタルが壊れかけてる事に気づきました