23回目の海外は、正確に言えば旅行ではなく…近畿の府県が中心の事業で、税金を半分投入してくれていた研修旅行みたいな感じの「近畿青年洋上大学」という、パシフィックビーナスという一応豪華客船を借り切っての中国への交流事業。
税金投入の公共事業なだけに、一応選抜試験みたいなものがあり、それをクリアした人が参加資格を与えられるのですが、府県にもよったみたいですが、希望者が少なかったのか、私の出身県ではほぼ全員がパスする感じでした。

費用が実費の半分の負担だったので、お陰で私たちみたいな20代半ばの若者も、もっと若い学生たちも、豪華客船で中国までの往復クルーズを楽しめたわけですw

出国までに事前研修等もありましたが、船の出港自体は和歌山港からで8/9、船の上でもフリータイムもありながらも研修時間等もあり、中国上陸は8/12で大連だったかな。大連大学も訪問したりしましたが、大連、綺麗な街でした。
大連の翌日は旅順、203高地、水師営会見所、東鶏冠山など、日清・日露戦の遺跡巡り中心でした。
8/14秦皇島に入港、翌日天津入港、そのあとかなり田舎の村でのホームステイも1泊と短いながら経験、民家の水道から出る水はかなりの茶色、ドアのない、一つの部屋に穴がいっぱいある公共トイレを見たり都会はともかく田舎の方の中国はまだまだ後進国だ実感しました。基本船で夜は過ごすので、船外泊はホームステイと後一泊あったかなかったか…
他、北京にも行きました。どの街でかは全然覚えてませんが、府県の公共事業だったので、市長さん等への代表者の挨拶等もあって、長い修学旅行みたいな旅でした。

私はお酒も飲まないし、徹夜ができない人なので、夜通し騒いだりはしなかったけど…それでも毎晩のようにデッキでモスクワを踊り、夜中までみんなと語り、青春の1ページにすごい強烈なイベントが残った感じ。若かった、弾けてた、楽しかった〜。

夜の万里の長城
右下はホームステイした村にあったモニュメント

左、秦皇島かな?

ちなみに、近畿青年洋上大学は翌年か翌々年SARSの流行もあり、中止になった事業で今はもうないはずです。