ごきげんさまです。断捨離®トレーナー講習生の笹尾和子です。

ご訪問、ありがとうございます🤗

16年前、うつ(状態→病)を発症しました。
その時のことを振り返ります。
苦手な方は、スルーしてください。

父がグランドゴルフのホールインワンをした直後に倒れて突然亡くなった16年前の3月、父が一人暮らしをしていた実家に、葬儀後なし崩し的にアパートをそのままにして葬儀後の祭壇を守るために実家で暮らしはじめ、忌引休暇明けに転勤の辞令を受け取り、4月から新しい職場に通いはじめました。



輪番で回ってくる研究発表の担当であることを知らされ、定例のお仕事プラス研究発表の準備に奔走、研究発表を無事に終えたとホッとしたのも束の間、研究発表が地区の代表に選ばれ、バージョンアップするためのご指導&助言をいただき、2ヶ月後に再度、地区代表として発表することになり、土曜日の休みを返上して出勤し、準備に当たった帰り道に交通事故。それが11月のこと。

右折の青信号で右折中、直進の赤信号を無視してスピードを加速しながら突っ込んで来た19歳のコスプレ女子の軽乗用車、突っ込んで来た車に気づいて急ブレーキを掛けて止まった私の軽乗用車の前方ナンバープレートを掠め剥がしながら、一旦は目の前を猛スピードで通り過ぎておいて、数秒の間をおいて、なぜだかUターンして来て私の車の運転席前の側面に激突。

四車線道路のど真ん中で大破した2台の車(どちらも即廃車)、首肩、右腕に衝撃は感じたものの、奇跡的にも表面的な怪我はなかった私、あまりにも降りて来ない相手の運転手が気になって運転席のガラスをノックしたら、相手は泣きながら電話中。「青信号だったって、言えばいいのね。なんて言われたって、青信号だったって・・」という話す声が聞こえ、思わず苦笑い。すぐそばのセブンイレブンで氷を買って、相手女子にも渡したあの時の私の人の良さ。思い出しても苦笑い。

相手は両親と保険会社の担当が駆けつけ、病院に連れて行くからと、警察の事情聴取をしないまま本人を連れ去り、残された私は「私の方は右折の青信号だった。」と言っても、「右折の方が前方不注意」と不機嫌丸出しの警察官に責められ、雨の中の立ちっぱなしで長時間の状況聞き取り調査。

お向かいさんに電話して、迎えに来ていただき、自宅に帰れたのは日付けが変わりそうな時間でした。

翌月曜日からは、父が乗っていた車で、通常通り出勤。

事故後、整形外科のリハビリに通ったものの、親からお金をもらいながら病院にリハビリに行くのは良くないこと、と刷り込まれていた価値観から、翌年の1月にリハビリ中止を申し出て、リハビリをやめて1週間後、それまで経験したことのない頭痛に襲われて全く動けなくなりました。

脳神経外科で検査を受け、出血等の異常がないことを確認したあと、ストレス指数が異常に高い状態に居ることを自覚していたこともあって、「うつ」発症の可能性が高いと自己診断し、精神科を受診し、薬の服用を開始。この時の医師の指示は、「仕事を休みながら低空飛行しながら様子をみましょう」でした。

一人暮らし、動く気力なし、食欲なし、で家から出られなくなった私の命を支えてくれたのは、お向かいさん(R姉ちゃん)と、そのお隣の当時80代の一人暮らしのおばあちゃんTさん・・この方は、実家が引っ越してくる前からのご近所さんで、同時期に家を建てて一緒に引っ越した方で、私を生まれた時からかわいがってくださった方、実家のお隣の、やはり一人暮らしのおばあちゃん、80代のIさん、この方は父亡き後の庭の手入れを申し出てくださり、庭で家庭菜園なども楽しんでくださっていた方、の3人の女性でした。

Iさんは、ご自身がうつを経験されていて、自分のことのように私のことを考えてくださっていたようで、毎夕俵型のおにぎり3個とお味噌汁を定番に、煮物やちいさなハンバーグ、卵焼き等のおかずをお盆に乗せて持って来てくださいました。R姉ちゃんは、食べられる時に食べなさい、と、パンやすぐに食べられる食品を袋に入れたものや、温かい食事を洗い物が出ないようにプラステックトレーにアルミを敷いて、数日おきに差し入れてくれました。Tさんもタッパーにお袋の味を詰めて、R姉ちゃんとは、多分打ち合わせしていたのでしょう、交互に差し入れしてくれました。

交通事故の方は、警察が後日、カメラで事故前にスピード違反をしていたのを見つけて、被害者とされていた側の19歳に問い質したところ、交通事故の被害届を取り下げたのだそうで、事故そのものが書類上はなかったことにされていました。私のゴールド免許が無事だったのは良かったのですが、保険会社は手続きが大変だったようです。


差し入れに支えられて、職場復帰はしたものの、その後は何度かの病休、2度の休職を経験しました。そのお話は後の機会に。


先々週、北海道土産をお向かいさんに届けた際、R姉ちゃんが、「施設に入っているご主人が一時帰宅をして一晩泊まり、施設に送ったあとにベッドや色んな片づけをして疲れた。今から夕飯を作らないといけないけど、気力が湧かないの。」と、珍しく弱音を口にされました。同居している息子さんは、その日は夜勤で居られない、とのこと。

その日は、私は珍しく料理する野菜の下ごしらえを、フライパンを使った蒸し器で済ませていて、あとは和えたり、炒め合わせたりするだけにしていました。

R姉ちゃんに、「家の夕飯と一緒で良かったら、持って来るから、今日はゆっくりして。」と私が言うと、R姉ちゃんは驚いたように「いいの?」と聞かれたので、私は「どれだけ私が差し入れしてもらって、助けられたと思ってるの?今度は私の番だよ。」と答えて家に戻りました。

以前、R姉ちゃんがしてくれていたように、洗い物が出ないようにアルミを敷いて、ご飯は炊いていなかったのでパックのご飯を添えて、おかず4品とともに持って行きました。食べる人を思い浮かべながら差し入れの準備をするのは、意外にも楽しくて、私に差し入れしてくれていたおばあちゃんたちも、ひょっとしたら楽しみながら準備してくれていたこともあったのかもなぁと思えて、心配や負担を掛けて申し訳なかったという想いが、少し軽くなった感じがしました。


人様にしていただいて、ありがたかったこと、助けられたことを、今、私が出来ることを目の前の方たちにすることで、助けられたこと、そのことに対してのご恩返しが出来るといいな、それが出来るようになっている私は、幸せ者だなぁと思います。


長文にお付き合いいただき、ありがとうございます😊


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