これも色紙に書かれたものではありません。江戸末期、筆書きの用紙に書かれたものです。額装にして我が家の宝物として飾っています。

 このブログの名前は、『伊藤清蔵と伊藤鳳山の研究室』です。伊藤清蔵と伊藤鳳山について文献により調べてみるものでした。そのため、いろいろなところを訪れたり、多くの人に教えを請うたりしながら楽しんでいます。
 伊藤鳳山は山形県の庄内地方、酒田に生まれ、江戸で活躍した儒学者でした。そのため、庄内地方のあちこち、そして活躍した江戸、そして藩校の成章館の講師となった田原藩などで、多くの本を出版しました。それもあり、よく書を求められました。

 この書は、酒田市に私設の美術館を持つ工藤幸治氏よりいただいたものです。美術、民芸など幅広く活躍している方です。「こんなものが手に入った。」と、気軽に送ってくれたものでした。有り難いことです。私が鳳山のことを調べているということを忘れることなく、気を配っていて下さったのでした。

 伊藤鳳山は16才で江戸に出ました。その時のことを、阿部正己著『伊藤鳳山薫』に次のようにあります。
「江戸に上り旅宿に投じ、諸鴻儒の門を叩きて師事する處あらんとしたるも、垢顔弊衣を見て請ひ容るるものなし、偶々両国橋頭にて旧友延澤某に遭ひ、其斡旋によりて朝川善庵の塾に入門することを得たり。」

 伊藤鳳山は二度、ふるさとに錦を飾ります。しかし一度目、文政10年の時には鳳山の様子が貧しく見えて、里人は「嘲笑の言を以て迎え」たのでした。鳳山が朝川善庵の養子となった翌年、天保五年、二回目の酒田行きとなりましたが、鳳山は行く先々で書を求められる身となったのです。