同じく「太刀雄」の銘の方の作品。

「佐渡とわれを へだてて荒き 海の面に あられたばしり 冬は来向かう」

「佐渡」が登場しましたので、『芭蕉自筆 奥の細道』(岩波書店)の佐渡が登場するところ、「47 北陸道」を読んでみました。

「酒田の余波、日を重て、北陸道の雲に望。遙遙のおもひ、胸をいたましめて、加賀の符まで百三十里と聞。鼠の関をこゆれば、越後の地に歩行を改て、越中の国、一ぶりの関に至る。此間九日。暑湿の労に神をなやまし、病をこりて、事をしるさず。 
   
   文月や六日も常の夜には似ず

   荒海や佐渡によこたふ天河          」               
『奥の細道』は俳句ですが、芭蕉の佐渡を詠んだ「荒海や佐渡によこたふ天河」と比べて見ましょう。「佐渡」と「荒海」が共通した言葉です。「太刀雄」さんの和歌ともう一つ共通するものがあります。それは、芭蕉の「よこたふ」という言葉です。「太刀雄」さんの方には「佐渡とわれをへだてて」という言葉があります。

「太刀雄」さんは「自分と佐渡をへだてて荒い海がある、その荒い海の面にあられが激しく吹きつけている、それが冬が来たことを知らしめている、私に。」と表現しています。そして芭蕉はやっと「鼠の関を過ぎて、越中の国、一ぶりの関に至り、私と佐渡の間には荒海が横たわっている。そしてその佐渡も荒海もすべてを天の河が包んでいるのだ。」と詠ったのだと思うのです。

 佐渡を詠んだ歌はたくさんあるだろうと思います。もう少し調べて見たいと思います。