明治38年1月10日の葉書です。浮世絵の絵葉書で、外国人には珍しいでしょうが、日本人同士でやりとりする葉書にしては珍しいものです。しかも夕涼みの浮世絵で、季節外れのものです。それでも、ドイツで生活している日本人にはうれしいものかも知れません。
「一昨日は推参御邪魔申上、多罪候。種々の御厚意を多謝します。御婆さんに宜敷。 三浦兄 伊藤」
この文面から、礼状であることが分かります。泊まりがけで新七のところに押しかけて「多罪」とありますから、清蔵にとってはかなりの迷惑をかけたという意識があるのでしょう。「種々の御好意」とあります。正月のことですから、新七は大変なご馳走を用意してくれたのでしょうか。新七の三浦家は裕福な家柄ですから、日本の正月のご馳走が届いていたのかも知れません。
 
この葉書にも「御婆さんに宜敷」とあります。前にもありましたが、新七が借りていた家には新七の世話をするお婆さんがいたようです。この御婆さんに、ドイツの正月のご馳走を作ってもらったのでしょうか、この日もお礼を言付けております。
清蔵の御願い状があります。
2月5日のものです。「暫く御無沙汰申上居りました。如何。御消光遊ばされ居り候や。伺い上候。偖(さ)て今回は御面倒なる願に候らえ共、小生、岩住兄と貴地の奏楽1日聴聞致し度に就き御都合の宜敷時にGeneral Probe の切符二枚御買求被下まじく候や、得貴意申候。 三浦学兄 伊藤 」