清蔵がオルガに出したボン滞在中の礼状に、オルガは「Lieber Freuind」という呼びかけで手紙をくれました。「Lieber Freuind」は、文字通りには「愛する友よ」「愛しき友よ」となるけれども、手紙ではごく普通の清蔵君という程度のものでした。でも清蔵には「愛しき友よ」と思えてしかたがなかったのです。


清蔵も「Lieber Freuind」と呼びかけて、ハレでのできごとを、事細かに返信したのでした。清蔵は留学の3年目を見学と論文材料を集めることに使いました。その旅行の間も、手紙を送り届けました。清蔵がオランダからオルガに送った手紙です。ちょうど、日露戦争の最中でした。


「私は今嘗てのハレーマーナーヤ海の海底に立っている。この海底至る所に球根の花が咲き滋養分多い野菜の列は幾何的正確さで植え付けられている。児童は嬉嬉として遊び農家は皆裕福のように見える。この旧海底には縦横に“カナル”が掘ってある。“カナル”の端には巨大なる遠心ポンプが据え付けられており、必要の場合にはこれを海上に汲み上げるようになっている。此処の農業は日本以上の集約さである。ワアノゲニンゲンの丘陵地帯には、ジャワより帰った老いたる植民地の指導者群が、実に綺麗な文化家屋に住んで、花壇に取り囲まれながら、綿を着、肉を食い、心地よく日なたぼっこしている。オランダ人は戦争を要しない、また戦争を欲しない幸福な人々である。それは本国に比して頗る大きな植民地をもっているからだ。」(伊藤清蔵『南米に農牧三十年』)


ベルギーからの手紙です。
「昨日貴方の叔父フリッツ・ノンネルベルグ氏を訪問した。成る程世界を股にかける実業家だけあって態度がよい。また、八カ国の言葉に通ずるという以上、その道の天才でなくてはなるまい。併し、叔父さんの言う、日本はしまいには戦争に負けるのだから早く講和を結んだ方がよい、という説には承服が出来ない。特にその根拠として世界の証券取引は最も敏感な勢力測定の機構である。戦争始まってから露国証券は一割も下がらないのに、日本の証券は二割以上下落しているではないかというに至っては愚論の骨頂であると思う。僕はあなたの叔父さんに戦争は日本本国に近く露国には遠いから、日本は小さいけれども、その全体力と全腕力を以て戦い得るけれども露は差し延べた指先のみで戦わざるを得ないから露は日本に及ばない。また露は土地には満腹しておりながら、賭博を打つような気分で満州を取らんとするのである。けれども日本は真に国の生命に関すると思って戦うのであるから意気込みがちがうと言っておいた。」(伊藤清蔵『南米に農牧三十年』)


手紙の内容は、旅行の中の出来事や考えたこと、思ったことであり、友達に出すものと何ら変わりはなかったものの、言外には、薄く、淡く、恋の下地が潜んでいたのでした。


そして、いよいよ、ドイツを去る日が近づいてきました。