選んでしまって後悔した農業経済学でしたが、やり出すとのめり込む清蔵、学ぶことに貪欲になります。

この時代の清蔵について、『伊藤清蔵における農政学と農業経営研究』と題する和泉庫四郎(いずみくらしろう)氏の論文(鳥大農研報 昭和63年5月31日受付)があります。


「伊藤清蔵が札幌農学校予科を終了して本科に入学したのは1896年(明治29年)。卒業は4年後の1900年の7月。教授たちの多くが彼を『内村鑑三以来の秀才』(中島九郎『佐藤昌介』、232頁参照)と評価していただけあって、卒業の時の成績は首席であった。」


中島九郎氏の著書『佐藤昌介』を読んでみました。書名が示すとおりこの本は佐藤昌介先生、彼は清蔵の指導教授で有り、農業経済学の権威で、札幌農学校校長であり、後に北海道帝国大学初代学長となる人ですが、その業績を紹介する本です。そこには、伊藤清蔵についての多くの記述があります。その中から2つ。


「先生の高弟伊藤清蔵博士の著『農業金融論』は明治三十三年の末に刊行された六百数十頁の大冊物であるが、斯界における古典的名著として推奨されている。これは伊藤氏が札幌農学校で佐藤先生に提出した卒業論文であり、伊藤氏はこの書物の中で"札幌農学校長佐藤博士の講述セル『農業金融論』ナルモノヲ参照セルコト少ナカラズ"と明記するほどであるから、佐藤先生こそは日本における権威ある農業金融論の開拓者と唱えても過言ではないであろう。」(中島九郎氏著『佐藤昌介』)


「テーヤ(1752-1828)は、前にも一寸触れたが、世界における学理的農学の始祖と崇められ、農業の経済的側面の研究に重きをおいた偉大なる学者であるが、佐藤先生は恐らく我が国におけるテーヤ研究に先鞭をつけた人といえよう。ここにテーヤを先生が引用したのも、その現れの一つである。テーヤ研究がその後の札幌農学校時代から北大にかけ、同校の伝統の一つとなったのも先生の学的感化ということが出来るであろう。明治三十四年札幌農学校の創立二十五周年記念式に際し、佐藤先生の高弟助教授伊藤清蔵(後で東大に論文を提出して農学博士となり、札幌から盛岡高等農林学校の教授を経て、学問を実地に適用したいとの宿望を三十年に亘るアルゼンチンの農牧場経営に実現した人で、我が国における農業経営学の完成者)が教師代表の記念講演をしたが、その時の演題がテーヤであったそうである。」(同上)


清蔵は農業経済学でも、しっかり勉強していたのです。「六百数十頁の大冊物」の著書を刊行するまで極めた『農業金融論』、これは卒業論文でした。また、創立二十五周年記念式で教師の代表として記念講演をつとめるほどの信頼を得ていた清蔵だったのです。