1200トンの船におどろき、異人の船長におどろき、初めての洋食を食べて、清蔵とY君は小樽に着きました。小樽港からは全く力のない遅い義経号や弁慶号などと呼ばれていた機関車に引かれて札幌に向かいました。その当時、狸小路あたりの芸者が、「札幌停車場 安宅の関よ 義経弁慶が泣いて通る」と歌っていたそうです。


「小樽港から石狩平野の一端を経て漸く雪解けしたばかりの札幌に到着した時は、北海の山々に咲く木蘭の花は散り始め、西洋ではカラという奇妙な花がただ一枚の真白い掌のような大花弁中に、目のさめるほどに光ある菫色の蝋燭のような唯一本の雌とも雄とも分からぬ蕊を抱いて低湿地あちらこちらに、よさよさと生えていた。私はその花が母が三河国から持って来て大切にしていた子安貝に似ているという印象を得たことを、今に忘るることができない。こんな不思議な花が、よもや北海道に自生するとは、それまで少しも思いつかずにいたのだから、深くエキゾーチックな感にうたれた。」(清蔵自伝『南米に農牧三十年』)


いろいろなものにおどろく清蔵ですが、札幌行きで最後におどろいたのが「カラ」でした。この植物は水芭蕉です。清蔵のふるさと山形にもたくさんある植物で、そのころ、清蔵は未だ知らなかったのでしょう。そんな植物に何故おどろいたのでしょう。


児童文学者岡本良雄の作品に『ラクダイ横町』があります。主人公のイノキチが、おどろきを通して成長する姿を描いた作品です。イノキチは大学近くのラクダイ横丁オリオン軒のミルクホールで働いています。ラクダイ横丁に通い詰めてラクダイする学生がいる中、働きながら大学に通うヨシムラさんは出席が足りずにラクダイすることに腹を立てます。


そのヨシムラさんの言葉におどろきます。「なあに、ラクダイはラクダイ。もう一年やり直し。あの三つ星は、五百光年、あそこからここまでとどくのに五百年もかかっているんだ。そいつを思えば、なあに、一年や二年のラクダイなんか、なんだっていうんだ。」


イノキチは昔「山で見たしも」におどろき、「日本海の丸い石」におどろきました。そして今、「オリオンの五百光年」におどろいている自分に気づきます。自然の力におどろいてきたイノキチが、長い長い時間の存在とその中で生きる人間の生き方におどろいている自分にきづいたのです。


清蔵はイノキチに似ています。新しいことにすなおにおどろく感性、そしてそのおどろきに気づく自分を見つめることができるのです。清蔵はこう言います。

「私は、俺もこれから農学を修め国家のためこの大自然より大生産をあげてやるぞ、と志した時には、如何にネヘツな奴といえども些か武者ぶるいするの感を禁じ得なかった。」
(清蔵自伝『南米に農牧三十年』)