退職を決め 私の地元で2人で一緒にやる仕事にあてがあったので アパートを見に行き あっという間に引っ越す事が決まりました。
退職金も少し出たので それで敷金礼金 家電などは何とかなりました。
窮屈な生活から抜け出せると 喜んだのも束の間
一緒に仕事をするという事は 24時間一緒にいるという事なのです。
朝子供達を送り出し 2人で職場へ。
終わったら一緒に買い物へ行き帰宅。
そんな地獄の様な日々が14年ほど続きました。
彼は昔からゲームが趣味で 家にいる時はほとんどゲームをしていました。
寝室を自分の部屋にして テレビを2台置き ゲームをしながらテレビ番組も見る という生活だったので 家にいる時は私や子供はリビングでテレビを見たり話をしたり、、その時間だけが唯一離れていられる時間でした。
2人の娘は 小・中・高と 決まった時間に起き
決まった時間に食事 お風呂も寝る時間も全て彼に合わせる生活でした。
うるさくすれば テレビが聞こえないと怒鳴られ
常に彼の顔色を伺いながら生活していたと思います。そのせいで今でも 色々な生活音に敏感で苦しんでいます。
私は2人に自由にさせてあげることが出来ませんでした。駄目な母親です。
仕事がなかなか軌道にのらず 国民年金も保険税も未納が続き 生活費が足りない時は 彼の両親に電話して振り込んでもらっていました。
請け負いの仕事だった為 仕事さえこなせばそれなりの売り上げになるのに それもしない彼。
私は夕飯を済ませてから1人で職場へ戻り 夜中まで仕事をしていた事もあります。
お前は金の亡者だ!と罵声を浴びせられたり 夜遅くまでやって弁当を買うぐらいならやる意味がない!と言われたり、、
やる事もやらず 親に頼り ホントに情けない人だと思う様になりました。
彼が尿管結石になり 3回の入院をした際も 私は1人で仕事をして 終わったら娘達と病院へ着替えなど持って行き、病院のご飯は美味しくないからと 言われたものを買って持って行ったりしていました。
そんな頃からでしょうか。
私 1人でやっていけるのではないか?と思い始めたのです。
そこからは 喧嘩になると 思ってる事を言えるようになりました。
ここから反逆が始まります。