皆さん こんにちは。
今日はマジメモードで、ちょっとつれづれっちゃいます。
************************************
物事が起きてからその時の状況に応じて考えればいいんだ・・・・・。
=(イコール) 今、ウジウジ考えても仕方ない。
と、考えるワタシですが、少しはこれからの自分にについて考えることはもちろんアル。
だいたい、楽天家のワタシではあるけども、
「物事が起きてから・・・・・考えればいいんだ」
と強く思うようになったのは小姑の、起きてもいない将来の危機を懸念して、あまりにもなんでも白黒に決めてしまう思考に、辟易(軽蔑)したからだ。
例えば
・「将来、姑の介護をする」と念書に印鑑を押せ。
・子供たち(義甥)が、大学に行くとお金がなくなるから、義実家に住まわせろ。そのときは2階を改築しろ。(誰が?)
・・・・などなど、これまでの数々の奇行を目の当たりにしたことが大いに影響している。
ワタシはこれまで、人に恵まれてきた。ワタシの親兄弟、友人、職場にこんなに難しい人はいなかった。
初めて経験するこの難しい人種。それが小姑。
この経験もワタシの人生の修行なのだろう。
小姑が「『将来、姑の介護をする』と念書に印を押せと言っている」と司法書士がある日やってきた・・・・というのは過去記事に書いた。(アメンバー記事だったかも。)
ワタシにとって、将来、姑の介護をすることは、長男の嫁としてきたからにはいつか来ると覚悟している。それよりも何よりも、介護について小姑が口出してくるほうがよっぽど面倒臭い。
なので、その念書には
「他のものは干渉しないこと」
とダンナが一文を入れた。
もし、ワタシだったら自分の親の面倒を見てくれる人には感謝の言葉しか出ない。嫁と言っても所詮は他人だ。そんな人が自分の親の面倒を見るなんてとても大変なことだしありがたいことだ。
しかし、「干渉しないこと」と書いてあっても、それでも口出して来るのがこの小姑だ。
いろんなことがあってこじれこじれた関係になってしまったけど、ワタシ達以外にも 小姑夫側の親族・小姑の友人・地域・職場・学校・団体での小姑のトラブルを耳にするたびに、そんな人が小姑なのが残念でたまらない。
この2年以上に渡った小姑の奇行で、楽しいことをしていても常に重くのしかかる小姑の存在。
いつになったらワタシはラクになるのだろうか・・・・と思うときがある。
ラクになるって・・・・・?
・小姑が来て嫌な気持ちになり、その悪い思考を頭の中からハエのように追い払う(笑)毎日のこの家を、引越すこと?そうすれば、小姑の存在を感じずに済む??
・それとも小姑が死ぬこと?
ん・・・・・わからない。
これまで、同年代の小姑に悩まされている人のブログを読むことが多かったけど、今日は少し年代が上の人生の先輩の姑小姑に悩まされている方のブログを発見した。
ワタシ以上に強烈キャラの小姑に悩まされている、姑を介護している方のブログ。(「ととめの部屋」で検索してみてくださいね。)
歩み寄りながらも、腹立ちながらも・・・・・。
そうやって何十年も小姑と付き合っている方。
すごい。
あぁ。これから先、ワタシもこんな思いが続くのかな・・・・・。
いや、ワタシには無理だーーーーーー!!!!
ワタシには歩み寄りは難しいと思う。決定的な人間関係を壊すような行動を見せ付けられては。
なので、これからもいかに関わらずに生きていくかが、ワタシの人生と家族を守ることになるのだと思う、今日このごろなのだ。