松竹問題(49):「日本共産党の改革を求めて」 | kojiya-sanctuaryのブログ

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ブログ・タイトルのkojiyaは東京都大田区の「糀谷」。京浜急行で蒲田から羽田空港に向かって1駅目です。私はそこで生まれ育ちました。

党員・元党員の「日本共産党の改革を求めて」(あけび書房)を読んだ。

同書で告発されているパワハラ・セクハラ問題について、地元で解決できないのなら、どうして党中央は解決に乗り出さないのだろうと思う。

党中央はむしろ、それらの問題について、ノイズと捉えているのではないかとさえ思う。

そうだとすれば、共産党も現代社会と相似形だ。

 

問題は根深い。

同書で告発されている問題、とくにパワハラ問題は、以前だったら問題にならなかったかもしれない。

口汚くののしり、相手の人格を否定し、ときには物を投げつける。

それが日常茶飯事だった時代がある。

そのような時代を過ごした党員が、その時代の感覚のまま、今もいるかもしれない。

多少は「時代が変わった」と意識しているだろうが、昔の感覚が時々出る。

 

だが、それは現場の党員にとどまらない。

松竹伸幸さんをはじめ、党中央の方針に異論を提出し、議論を求めると、党に対する「攻撃」だといきり立つ。

そのミニチュア版が各地で起きていると捉えることもできる。

各地のパワハラ問題は、現場の党員のアップデートの遅れではなく、党中央の体質の反映かもしれない。

 

その典型は田村智子さんの大会結語でのパワハラだろう。

あれは絵にかいたようなパワハラだった。

でも、田村智子さんはそれをパワハラだと認めない。

党中央のそんな体質が改まらないかぎり、各地のパワハラ問題も解決しない。

問題の根は党中央にあるのだ。