党員・元党員の「日本共産党の改革を求めて」(あけび書房)を読んだ。
同書で告発されているパワハラ・セクハラ問題について、地元で解決できないのなら、どうして党中央は解決に乗り出さないのだろうと思う。
党中央はむしろ、それらの問題について、ノイズと捉えているのではないかとさえ思う。
そうだとすれば、共産党も現代社会と相似形だ。
問題は根深い。
同書で告発されている問題、とくにパワハラ問題は、以前だったら問題にならなかったかもしれない。
口汚くののしり、相手の人格を否定し、ときには物を投げつける。
それが日常茶飯事だった時代がある。
そのような時代を過ごした党員が、その時代の感覚のまま、今もいるかもしれない。
多少は「時代が変わった」と意識しているだろうが、昔の感覚が時々出る。
だが、それは現場の党員にとどまらない。
松竹伸幸さんをはじめ、党中央の方針に異論を提出し、議論を求めると、党に対する「攻撃」だといきり立つ。
そのミニチュア版が各地で起きていると捉えることもできる。
各地のパワハラ問題は、現場の党員のアップデートの遅れではなく、党中央の体質の反映かもしれない。
その典型は田村智子さんの大会結語でのパワハラだろう。
あれは絵にかいたようなパワハラだった。
でも、田村智子さんはそれをパワハラだと認めない。
党中央のそんな体質が改まらないかぎり、各地のパワハラ問題も解決しない。
問題の根は党中央にあるのだ。