多趣味と言えば聞いたところがいいが、僕の場合は下手の横好きといったところだな。思えば子供の頃からあれがやりたい、これが欲しいと親にねだったりした。

 

最初は動物を飼う事だったかな。新潟の山の中の生まれだから、身近に色んな動物がいたが、飼ってみたかった。コオロギが最初だった。かなり大きな穴を掘り、そこでコオロギを大量に増やした。鳥が好きになり、キンカチョウを番で飼ってから、ジュウシマツ、文鳥、インコ、しまいには伝書鳩まで飼った。自分なりに訓練して、めったにない冬の新潟の青空に初めて放してやったら、家の上を何度か旋回して飛んで行った。10羽程の内3羽しか帰らず、残りはもらって来た家に帰っていたので鳩はやめた。

 

その後、ニワトリ、ウサギ、豚、遂に綿羊まで飼った。家にずっと猫は居たが、犬は親に辛い記憶があったとかで飼ってもらえなかった。動物達には色んな事を知らず知らずに教えてもらったのだろう。大人になって店を始めてもバーに猫や犬が居たし、50才で田舎暮らしを始めてからは犬や大勢の猫、それにヤギまで一緒に生活する始末だ。

 

これを皮切りに、色んな事に興味は広がった。沢に入って魚を突いた。当然スキーはやる。陸上競技を知って棒高跳びと三段跳びをやり、裏庭に練習場を作った。中学のグラウンドに設備まで造って頂いて、まぁそこそこの成績まで行った。バスケットボールもやったが高校に入るとレベルの高さにバスケ部には入らなかった。同期はインター杯でベスト3になったくらいだから仕方ない。剣道部に入ったが、どうもいまいちセンスが無いと知り、受験勉強の為と偽り2年で辞めた。

 

アマチュア無線、オーディオ、バイク、自転車、ピアノにバイオリン、ギター、ホルン、トランペット…年をとってからはヨットにサーフィン。

まぁ金なんか残るはずもない。ただ情けない事にどれもこれも人様に自慢できるものなどひとつも無いからいけない。

 

それでも長年飲み屋などやっていると、これが大変役に立つ。一流のものは何も無いにしても、まぁ大概の事には知識は一応ある。

天職の為に勉強して来た、という事にでもしなきゃね。

 

 

百薬の長、酒と泪と男と女、酒とバラの日々、酒よ、悲しい酒、やけ酒、酒に飲まれるな、酒焼け…酒は何かと題材になるし、色々言われるけどやっぱりいいもんだ。もうひとりの自分に会える様でもあるし。言えずにいた事を言い出すチャンスを作ってくれたり、言いにくい事を思い切って言ってしまえたり、嫌な事を忘れるきっかけになったり、嬉しい事はより嬉しくなったり。酒にすれば迷惑かもしれない話だがありがたい。

 

色んな場面を見てきた。なぜ人は飲み屋に行くんだろうか。開店から10年も経った頃からか、良く思う事がある。店先に看板を出しているだけで、「どうぞお入りください」などとは何も書いてないのに、どうして見知らぬ人が入って来るんだろうか? ま、それが店だから当たり前の事なんだけど、カウンターの向こうの人達を見ていると、ふとこんなことを真面目に思うことがある。店の人に会いたい、酒に合わせて旨いものを食いたい、自分に合う酒を置いてある、そこに行けば誰かに会える、音楽がいい、光がいい、連れられて仕方なく…みんな色々な目的と理由がある。

 

ただ、こんな風に思う事もある。酒が許されて、大麻がどうして非合法なのか? 真面目な疑問だ。だからって大麻合法化賛成と言っている訳ではない。そのくらい酒には悪い部分もあるという事だ。だから酒場を経営するという事も金を儲けるビジネスだけでやってはいけないと常日頃から思う。酒場は犯罪の巣窟にもなり得る。どう見てもこんなんじゃ酒なんか飲ませたり飲んだりするべきでない!という光景はここ歌舞伎町でなくともいくらでもあるからね。

 

ちゃんとルール通りに飲ませ、飲めば酒は素晴らしい。飲み物がアルコールでないと、どうもしっくり来ない場面だってある。もし、僕がjazz喫茶をやっていたならば、お客に話掛けるなんて非常識だから、今まであった偶然の出会いも面白さも、多くの友人も格段に減る事になる。もうひとりの自分にも会えないしね。酒を飲むって事はやっぱり人には必要な事だと思う。

 

だから自分もちゃんとしよう。お客もちゃんとしよう。

コメントを残す

1991年の開店当初からランチのカレーライスを始めた。カレーはウケるから、じゃなく自分のカレーを食べてもらいたかった。今とは違い、当時の新宿7丁目は陸の孤島の様で新宿とは言いながら駅からも遠く会社も多くはなかったから、ランチタイムでもサラリーマンがビルから溢れ出てくるなんてことは全く無かった。それでも地下の暗〜いこの店にもポツポツと近所のサラリーマンが降りてきてくれる様になった。その頃のお客は今でも来てくれるからありがたい。

 

通っていた新潟の高校の正門近くに「デリー」という小さなカレー屋があった。3年間とにかく通って何とも旨いカレーを食べた食べた。エビカレーともやしカレーが特に好きだった。いつの頃だったか、あのカレーが食べたくて研究を始めた。「旨いカレー」ではない、あの思い出の「デリーのカレー」が食べたい一心だったから、東京中のカレーを食べ廻るなんて事はまるでしていない。ただあの味に近づきたかったんだ。

 

スパイスをあれこれ買いあさるなんて事ができる金など無し、市販のカレーを比べてそのベストをベースにした。何をどう加えたらあの味に似てくるか、それだけが目的。分かろうはずもなく迷っていた時、確か御徒町のカレー屋でガラムマサラと書かれた大きめの缶を見た。今じゃポピュラーだがあの頃は知らなかった。早速食材屋でこいつを探し当てて袋に入った謎の粉をそれまでに試行錯誤したカレーに加えてみた。大当たり! 「デリーのカレー」に近い! 大喜びの瞬間だった。

 

カレーをお客に提供するからには味の安定はもちろんの事、うちは人通りの多い繁華街とは程遠いから、毎日食べても飽きないカレーのベースが大事だと思った。僕の理想の「デリーのカレー」は毎日でも食えた。そしてその為の工夫は何とか出来た。

もうすぐ28年、僕の「青春のカレー」は細々と続いている。地味〜で世間の注目など浴びないけど、それでいい。

1989年の大納会、日経平均が過去最高値を付けて狂気に浮かれた日本の正月が明けると、一転夢が覚めたかの様な現実が襲った。それでもほとんどの人はそれは一時の株の急落だと思っていただろうし、バブル崩壊などという言葉ができたのは数年先の事だったと思う。一般人が本当に不景気感を持ち始めたのは、まさに僕が商売を始めた1991年に入ってからじゃないだろうか。

思えば僕の店のバブル崩壊はあの時だった。

 

まだ、金が残っていたか最後のあがきか知らないが、いい女を連れた不動産屋の品の無いのがまだまだ沢山お客にいた。キープボトルはヘネシーも沢山並び、とても新宿の場末のバーには似合わない光景だった。僕も違和感をいつも感じていた。

 

いつものヘネシーおやじが言った。
「マスター、焼酎って体にいいらしいぞ。俺も今度焼酎にすっかなぁ~。」
当時のジャズバーに焼酎は無い。

 

うちのバブルはその時崩壊した。いつの間にやらそれは伝染し、若者以外は皆焼酎をボトルキープし、そのボトルもホコリをかぶり始める。バブルおやじ達は連れがいなくなり、とうとう来なくなった。

 

僕は50才の時に女房に逃げられた。

その事に後悔は無いが、悪いことをしたな、と反省はしている。その後今までの事を思えば互いに正解だったとも思っている。

 

「結婚はしてもしなくても後悔する。」
大昔から色んな人がこう言ったというが、よく言ったものだと思う。最近は晩婚傾向にあるし、未婚の若者が結婚について意見を求めて来る事も多い。僕はいつもさっき書いた事を引き出して言う。だから機会があるならしてみてもいいんじゃない?と。

しかし、やっぱり人も動物。種の存続はしなければいけないから、結婚も子育ても重要。大昔とは違うから結婚したい人と結婚をし、子供ができて家庭を持ち、子を育てる。そのうちあれやこれや雑音や邪念が邪魔をして、もっと自分らしい生き方、なんて理屈を付けて夫は自分の道を探し、妻は子供にしか目が行かなくなる。

 

どちらかが偉ければ、理想という家庭も出来るのだろうが、これがなかなかうまくは行かない。せいぜい子供の心に傷を負わせない、立派に成人する事の邪魔をしない事を守ろうとしながら、新婚の時、子供が生まれた時の言い様のない高まる意識は忘れ去られる。

運良く長続きしようが途中挫折しようが、大切なのは子供への責任だ。成人するまでのそれを果たしたら、あとはそれまでの経験を生かして、より社会の為になり、子に少なからず尊敬されるよう努力したいものである。

と、50にして一人暮らしを選んだ人間のたわごと。

金の余っている奴には関係ない話。

長年真面目に働いて退職金をいくらかもらって、住宅ローンの残りを払い、まだ嫁に行かない娘の披露宴の費用にでも少し残す。まぁ、これから先年金だけでは苦しいだろうが、あんまり先々の事ばかり考えた結果、家で猫の様な生活をしても可愛げの欠片もないわけだから猫以下ということになる。それでもアクティブな人は、キャンピングカーでも買って奥方と日本一周、なんて夢を持つが、奥方が気乗りしないのとだいいちてめぇの体が3日で家に帰らせる。

 

別荘なんていいねぇー、と少しでも思う人に提案する。
「ヨットで別荘ライフ」
ヨットなんて金持ちの道楽と思うだろうが、発想を変えてもらいたい。日本中にあるマリーナのうち大都市近辺を除けばそんなに高いものではない。それに設備はとても良いマリーナが沢山ある。そこにヨットを浮かべて別荘にするのだ。

でも、ヨットなんか買えないとお思いだろうが、1970年代辺りに造られたヨットは概ね頑丈にできているので、簡単には壊れない上に思いのほか安く買える。ひとまず見た目をキレイにする作業だけで汗をかき、構造を学び、メンテ方を学ぶ。その内仲間も出来るし、自分は海に出て操船しなくても誰かのヨットに乗せてもらって大海原を楽しめる。

ヨットを操船することは素晴らしいが、何も新たに免許をとって老体に鞭打って難しいセイリングをすることは絶対ではない。30フィート位のヨットなら簡単な料理、食事、星を見ながら一杯、それに心地良い揺れの中でぐっすりと寝られる。釣り糸を垂れることだってできる。

おそらくそこで大満足の新しい老後生活を楽しめるだろうが、万が一飽きたらやめるなり全く別のマリーナに移ることもできる訳だ。

今まで頑張ってき良かったなぁー、と心から思える別荘ライフになると思う。冷めきった夫婦仲も取り戻せるかもよ。

かなり前から民放の情報番組とかいうのを見て気になっていて、その内やめるだろうと思っていたけど、いまだ続いているものがある。 テーマになっている場所に取材に行き、レポーターがインタビューを受けよう、などという時に、「突撃取材!」とか頻繁に言ってるよね。 良くないと思いませんか?

 

それに、「潜入」とか「直撃」とか…。 なんだか戦争でもしている言葉の様で僕は嫌いだけどね。 たまにおふざけ程度にならいいものの、真面目な特集でも平気で使っている。 戦争を経験している大先輩たちには聞きたくない響きじゃないのかなぁ? 考えすぎか? 視聴者の期待をそそるのが目的なのかもしれないけど、幼稚だなぁ。

 

言葉の遊びとしてなら、もういい加減にやめてもいい時期じゃないの? 子供たち(あ、今は大人もか…)は戦闘ゲーム?だか何だか、要は敵を倒して突破する、みたいなゲームに夢中になり、体も鍛えずに暴力的な力を持った様に知らず知らずに造られていく。 武器を持って敵を倒すイメージが身についてしまいやしないか? そこに大人が「そこでその現場に直撃しました!」などと単にケーキ屋の厨房に取材に行く程度の事をそんな風に表現しているテレビを見ている。

 

何もテレビは正しい日本語で、とか堅いことを言う気もないが、どの局でもそんな表現を当たり前にしているのも、もういいんでないの?

週末の仕事を終えて新宿の喧騒から銚子の自宅に帰る。 まだ暑さが残って平屋の家の中は暑い。 留守をしていた家猫5匹、面倒をみている外猫たち7、8匹、それに新入りのヤギが腹を空かせて集まる。 急いで片付けなどやり、二日間の留守をこの沢山の家族に詫びる為に餌をやり、頭をいちいち撫でて、草を食ませる。

 

シャワーを浴びると二晩の寝不足が背中をベッドに貼り付ける。 しばらく寝たんだろう、目を覚ますとまだ明るいながらようやく涼しくなった夏の夕方は、少し外に出たくさせる。 今日はいつもの灯台に九十九里を見渡しには行かず、まだここに慣れないヤギと少し散歩に出よう。 すると外猫が、まるで田舎の嫁入りの行列にたむろするガキどもの様に、何匹もぞろぞろとついてくる。 ヤギの方は見慣れぬ風景に少し戸惑い、僕を見たりしているし、足もあまり前に進まない。 じゃ、戻るかとわずかな散歩を引き返すと、蹄の音を立てて今度は急いで逆戻り。 猫らもまたついてくる。 蚊の野郎も最後の力を振り絞ってパンツいっちょの僕の足に吸い付く。 

 

陽が落ちかけてだんだん暗くなるものの、銚子には珍しい微風が心地良い。 百日紅のピンクとおしろい花の赤が真っ青な空、そこに一筋通る飛行機雲に映える。 人の声も無く、最後の蝉の声と秋の虫の声が混ざり合う。 成田に降りる準備をする飛行機と遠くで少し聞こえる救急車の音に現実に戻される。 

 

これぞ平和の風景。疲れも吹き飛ぶ。

 

空への憧れは誰しも子供の頃からあって、航空機のパイロットなどはいつも憧れの職業だった気がする。 それは仕事で遠くに行けるとか、責任のある仕事だとか、カッコいいとか、そういう事の他にも、普段見られない高い所から地球の表面が見られる、という点にもあると思うなぁ。 それなら客として飛行機に乗ればいいという事だけど、自在に、となるとそうはいかない。

 

ドローンはまさにこの自在に高い所から地上を見られる、という点で今までは出来なかったワクワク感がある。 さすがに結構な値段もするし、操縦も簡単ではなさそうだし、危険な感じもする。 某量販店に、旧型ではあるがずいぶん想像より安いドローンが売っていたので、この値段ならと半信半疑で即購入。 少し型が古いので、電池に問題はあったものの、メーカーは快く新品の電池に交換してくれる。

 

なんと、手持ちのスマホからwifiで操作できるんだね。 簡単な設定をして気のはやるのを抑えて庭に置いてみる。 「take off」の文字がその気にさせるじゃないか。 1mの高さまで上昇すると、そこでホバリングを始める。 これがまた不思議でそそられる。 搭載のカメラが映し出す画像が手持ちのスマホに映る。 上昇させてみる、どんどん上がる。 カメラの向きを変えてみる。 数十メートル上空なのに面白い様に言う事を聞く。 ここに住んで10年目。 見た事のない光景が小さなスマホの画面に広がる。 

 

おっかなびっくりながら、少し慣れて来た頃には充電も切れる。 ちょうどいいね。 ほとんど意のままに彼は離陸した庭の中央に戻ってきた。

 

USBでパソコンに繋いで、彼が記録してきた映像を再現する。 驚くほどきれいな画像だ。 上空から見た自宅周辺はこんな風なんだと感激だ。 畑も森も田んぼも牧場も、風車や海までが望める。 単なる航空写真とは全く違う。 音と見慣れぬよそ者に警戒する鳥たちが近づく。 

 

科学の進歩にはいつもいつも驚かされるけど、ついこの前まで驚いていた様な技術がすぐ手の届くところに来てしまう事に一番驚く。 いったいこれからどうなるんだろうか。 せいぜい楽しいと思っていたい。

60になったからという訳でもなかろうが、椎間板ヘルニアの悪化もあり、適度な運動もおぼつかなくなって、散歩もそれにふさわしい運動ではなくなった。

海辺に住んでいてプールというのもねぇ。
 
この夏も終わる頃、君ヶ浜というキレイな浜を眺めていたら、結構高い波の中を沖に向かうサーファーがひとり。
ウエットスーツも着ず、海パン一丁のスキンヘッドの旦那じゃないか。
ずいぶん沖まで出たと思ったら、見事に波を捉えて浜辺まで波乗りしている。
何度もこれを繰り返して、彼は陸に上がって軽ワゴンにボードを滑り込ませて、サッと体を拭いて帰ってしまった。
 
これにはやられた。
元々サーフィンと言うよりはサーファーが嫌いだった僕が、翌日にはサーフィンスクールに入ってしまって、なんと63才のカッコいいコーチに付くことになった。
 
サーフィンのメッカともいうべき土地に住んでいて、まぁやらないのもおかしなことだけど、パドリングで筋力を使うこと、海の中を歩くこと、海水に浸かること、ボードに乗っているだけで体幹が鍛えられること、何より腰に負担がほとんど無いこと、と良いことづくめじゃないか❗
 
体が動く限界までのスポーツは決まったな。
さて、髪伸ばして金髪にでもすっかな❗