彼岸花
今年は残暑が厳しく、彼岸花の咲きが遅れたもよう。
ベランダの朝顔は九月下旬になって、彼岸が過ぎてから、やっと咲き始めた。
まだか、まだか!とドギマギしたよ。
金沢や川越の彼岸花のたよりは聞いていただけに。
この頃、原田雪渓老師の提唱を聞いている。
大きな気づきもある。こういう偉い人があるんだな!
体験してることを無理矢理言葉にしてるから、学者が知識を得ようとして聞いてもあまり納得できないものだ。論理的な話、概念、情報を提供しているわけじゃない。一緒になって体験してみるという話。
苦しみの根本原因、識別作用。こいつが働く前は、此岸も彼岸もない。此岸は彼岸で彼岸は此岸。三界を遊戯してればいい。
鳥が鳴けば、その声が間違いなく聞こえる。
自己がもともとないから。
それは鏡のよう。
もともと。誰でも。
「今の自分の事実に素直に従っていく、それが修行」
「善悪にかかわらす、今の自分の状態に納得しながら生活する」
こういうふうに堂々と言える禅僧は、他に誰があるだろう。噛めば噛むほど味がある。
万巻の書を読破しても仕方ない。この「納得」がなければ。今、ここの納得。
「納得」というのは、自己がまったくないという実感のことなのである。諸法無我という言葉を知識として覚えているのとはまったく違うわけだ。















