思い切って、ガッカリさせる。


周りの人を、友人を、家族を。


「まずは」


心配させる前に、期待させる前に。
感謝する前に。


なかなか難しい。そのために、その「まずは」のために、まず、自分をガッカリさせよう。


温厚だと思われたいと思っている。色々なこと気になるのに。神経質なところあるのに。


バレてないと思っている。バレてなくて、めちゃくちゃ褒めてくれる人を味方につけて、ハードルを上げている。そんなに上がってもいないのに。


自分だけが完璧な人間になっていく。全然完璧じゃないのに。


ガラケーを逆パカして何個も壊したことがあったなー。
そんなことしない人って思わせる努力を一生懸命してたなあ。


おぼっちゃまとか、贅沢な人って、思われないための振る舞いをしようとしてたなー。
実際にそんなこと面と向かって言われたこともないのに。


成功も失敗も、意味なんてないのに。


まだまだ人に言うの恥ずかしいと思っていることがある。
言うべきではないと思っていることがある。
面白いなー。まだ意味付けしているんだなあ。


人は、色々なことを意味付けしたくて、文明を発展させてきたんじゃないかと思う。


何かの意味付けをしないことが怖かったのかもしれないし、何かの意味付けをすることが楽しかったのかもしれない。


そもそもそんなふうな考え方をしていないかもしれないが。
あえて意味付けの積み重ねだけだった、そう仮定する。


それだけで、こんな世界を作ってきたんだとしたら、よくここまでの社会環境を作ってきたな、と思う。
「それだけ」が何十億人分あるんだとしたら、「それだからこそ」とも言えるのか。


人間って凄いなー。


自分一人の一生じゃ76億人の人生を理解するのは不可能だろうな。当たり前か。




あらゆることに、意味はない。


このことを前提とした上で、僕は「無条件で自分に優しくする、優しく居る」を選びたいと思う。


どうせ自分に厳しくしちゃうから。どうせ大変なことはあるから。どうせ意味付けの歴史の一部分だから。


「諦める」ということも、「無条件で自分に優しくする、優しく居る」に内包させてあげたいと思う。


どうしたって、ちょっと無理しちゃうことはあるだろうから。


無理しちゃう自分を「仕方ない」と表現するのではなくて、(してもいいけど)
「無条件で優しくする、優しく居る」という言葉で許してあげたいと思う。


具体的に体を癒そうとするだけじゃない。そうできない時、自分の体に鞭を打つことが避けられない、そんなことがあった時ですら、これらの言葉を頭に思い浮かべたいと思う。


自分に優しくすることに、条件はいらない。


どうしたって優しくできない時はあるから大丈夫。どうしたって優しくしてくれない人は現れるから大丈夫。


自分に優しくするくらいのことして、大丈夫。
「無条件で自分に優しくする、優しく居る」を、「選ぶ」。


なんか、過去の自分が読んだら、凄いことを決心したように思いそうだけど、そうでもないよ。
かなり気楽だよ。


未来の自分が読んだらどうだろう。言葉を色々補足したくなるのかな、それともカットしたくなるかな。
まだまだ知ったかぶっていることはあるだろうからな。


「文明」なんて大きなこと言わなくてもいいよ、て窘められるかな。
今人口76億人じゃないよ、とか。
それとも、まだまだカッコつけてる自分を笑ってくれるかな。もっとカッコ悪くなれるぜーって。
それか、「無条件で自分に優しくする、優しく居る」の積み重ねのおかげで、ただただ、いい感じだよと言ってくれるかな。







写真を載せてみた。