なんで







忘れちゃうんだろう








自分は自由なんだってこと




できることを増やしていくより、「できねぇっす」って軽やかに言えることを増やしていく方が大事だったりすること



なんで忘れちゃうのさ












長いこと自分の心を鎖で縛ってしまった時間があるからか



テクニックに固執したくなることもあるよな




瞑想とか、筋トレとか、ジョギングとか、読書とか
気持ちを落ち着かせる方法を知って、「その効果を感じられる」ようになると、今度はその効果に期待し過ぎちゃうようになる



それまでは、瞑想とか筋トレとかジョギングとか読書の効果が、裏目に出るくらいマイナスにいて、そもそも「自分を癒すことを受け入れる受け皿」ができていなかったんだから




「それくらい自分がマイナスにいるってことを受け入れるのにだって時間はかかるんだから」



自分を癒すことを受け入れる受け皿ができると、その効果が凄く感じられるわけだから、そりゃ期待しちゃうよな



でもあくまで「ちょっと生きやすくなる、心地よくなりやすくなるテクニック」にすぎないわけで



根っこは、「そもそも自分は自由じゃん」という感覚あってなんだよな



テクニックの効果を感じられるようになったおかげで、自分自身にキレることも絶望することも減っていって、「今度こそ普通に生きられる」と思って



実際できなかったことがそつなくこなせるようにもなってきて、普通に生きるということが、別に周りに合わせ過ぎるとか我慢の連続ではないっていう感覚がつかめてきて



周りにも溶け込めて、それでいて自分を殺しているわけでもない


っていうバランス感覚が身についてきた



だから普通に生きるを「選べる」


















とか思い始めてたけど




いやいや





長いこと自分の気持ちを押し殺してたやつが、そんな簡単に自由な気持ちを持ちつつ世間一般の普通の生き方もできるようになるとか思うなよ




そんな器用なわけないじゃん




どうせまた気を遣い始めるって




どうせ威圧的な人に愛想笑いするって




それでも昔よりはマシだから、テクニックで自分を癒せるようになってきてるから、「生きやすくなってきたはずなんだけどなー」って感じで日々が過ぎていく




周りからの自分の見え方も、肩の力を抜いていてそつなくこなせているように見られ始めるから、そこに嬉しさとか感じちゃうもんな




もちろんそれが自分らしさを保てての話だったら、その生き方もいいに決まってるけど




結局そのテクニックに時間や気をつかい続けてはいるって感じだったら、楽しくはならないだろ




そしていつの間にか「前よりは取り乱すことがなくなったけど、いつかありそうで怖い」って、取り乱す自分がなくなっていったからこそ、昔の感覚に戻りたくないという気持ちが強くなり過ぎる





昔の自分が怖くなる





違うじゃん





取り乱してしまった自分も、めちゃくちゃマイナスにいた頃の自分も、あくまで「そうやって自分を助けてた」だけじゃん





そういうやり方でしか「自分を助けられなかった」だけじゃん





その不器用な自分も、そいつなりに頑張ってたって気付いたはずじゃん





なんで取り乱すことが減ると、改めて「取り乱す自分が怖い」とか思い始めるかな




怖がるなよ










どうせ気を遣うんだから




どうせそつなくこなしたりもしようとするんだから




どうせ無意識に我慢してしまうことだってあるんだから










キレろよ










もちろん意図的に人を傷つけようとするんじゃなくて




自分のことをほんとに気遣ってくれる人や、自分が大切にしたい人には謝ろう



でもほんとはそんなに好きじゃない人には、簡単に謝んな



別に喧嘩しようとしなくていいから






うまく生きようとすんな






というか全然うまく生きれてないだろ






達観してるフリすんな






バカみたいに気楽に過ごしてみろ






自分が思う気楽のライン越えてみろ






そしてそのスタンスを人に隠すな






立派じゃないことぐらいバレてんだから









自分が立派じゃないことがバレればバレるほど、認められるようになればなるほど、ご飯は美味しく感じるし、夕陽は綺麗に感じるんじゃないかな








カレーはこれまでも十分美味しかった気がするけど、もっと美味しくなるのか





カレーって凄いな