前回は、嬉しい事や幸せな事は遠慮せずにどんどん受け取りましょう!

 

というお話でした。

 

 

ただただシンプルに、本当にそれだけでいいんです。

 

自ら受け取りにいってもいいぐらいです。

 

 

子供みたいに、「やった~ありがとう!

 

その積み重ねで、気付けば嘘みたいに幸せになっていたりするものです。

 

 

 

 

 

さて今回はその逆の"あまり望ましくはない出来事"が起こってしまった時、

 

そんな現実に対して、どのような態度をとっていればいいのでしょうか…?!

 

 

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≪それって本当?≫

 

 

望ましくない出来事、幸せではない現実、意図とは真逆の事…

 

様々な言い方があるかと思いますが、

 

以下、「不都合な現実」とします。

 

 

 

この不都合な現実というものは、

 

もう何度もブログ内でも触れているかも知れませんが、

 

かな~り、リアルなんです。(どうしてもリアルに感じてしまうんです)

 

 

 

エゴの性質(自己防衛的、怖がり、でもでもだって屋さん)として、

 

この不都合な現実には非常にあやかりやすいので、

 

エゴがいきいきしてしまって、よりリアルに感じてしまうといったところです。

 

 

 

さて…どうしてもリアルに感じてしまうとは言え、

 

そこに振り回されてばかりでは、身がもたないと思います。

 

そして時間がもったいないです。

 

 

 

私にもそんな経験が山ほどあります。

 

どれだけの時間を、エゴのはったりや不都合な現実へのリアクションに費やしてきたか、

 

考えただけでも恐ろしいぐらいです。

 

 

 

胸を張って、

 

「人よりも、エゴや不都合な現実に振り回され、気を取られ、必要以上に気に病んで、もしくは腹を立ててきました!」

 

と言えるくらいです。

 

何の自慢にもなりませんが…('ω')

 

 

 

前置きが長くなってしまいました。

 

 

 

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≪本当に不都合なのか?と、疑う≫

 

 

それって、本当に不都合なのでしょうか…

 

今までの記憶、経験、常識、何かみんなそう言ってる、、、

 

的なものに振り回されていませんか?

 

というところです。

 

 

 

それは本当に"自分のもの"なのでしょうか。

 

 

 

社会的に、一般的に、常識的に

 

何か"そういう事"になっているだけなのではないか、、、

 

 

 

一度、目の前の映像をそういう視点で見てみませんか?

 

 

 

 

何度も言っていますが、

 

現実なんてただの"映像"です。

 

 

ただただ"起きている"ように見えるだけです。

 

 

 

そこに様々な色のフィルターを付けたエゴを通して見てしまうので

 

様々な感情を引き起こしているに過ぎないのです。

 

 

 

不都合な現実を目の当たりにすると

 

色んな感情や思考が起きてきます。

 

 

 

でもそれらと一体化してしまう前に

 

一瞬だけでも"本来の自分"に還ってみて下さい。

 

 

文章では伝わりづらいかも知れませんが、

 

感情や思考が起こる前の「何もない場所・空間」のようなところです。

 

 

 

 

あまりにも一瞬すぎて

 

普通に生活していては気付きにくい場所ではありますが

 

そういう知識をもとに「気付こう!」と意識するだけでも

 

何か違ってくるかも知れません。

 

 

 

感覚的なものなので

 

頭での理解を超えるところではありますが

 

私の場合は頭での理解が先だったような気もします。

 

 

 

 

そこに気付いていれば

 

普段いかに、感情や思考たちに乗っ取られて

 

必要以上に不快、苦しい、悲しい、怒りの感情と同化していたかが分かります。

 

 

 

 

これを知って実践して

 

すぐに効果が出る(という言い方も少し語弊がありますが…)というものでは

 

ないかも知れません。

 

 

 

でも、従前通りエゴと一体化していては

 

一生エゴに振り回され、

 

願望は叶ったり叶わなかったり…

 

楽しい時もあるけど、不必要に辛くなったり…

 

幸せになっても、その幸せが壊れるんでないか…

 

 

書き出すとキリがないですが

 

要は現状がループしてしまいます。

 

 

 

一瞬、幸せだったとしても

 

しばらくするとエゴがここぞとばかりに騒ぎだして

 

また乗っ取ってくるわけです。笑

 

 

 

 

話が飛躍しましたが

 

 

目の前のただの映像に対して

 

 

大真面目に"それっぽいリアクション"をする必要は全くないのです。

 

 

大勢の人は、皆一様に似たようなリアクションをします。

 

 

が、別にそこに合わせる必要はございません。

 

 

必要はない!と言われても、そうなってしまう!どうしたらいいの!

 

 

という声も聞こえてきそうですが

 

 

それこそ、いかに社会的、常識的、一般的なものに囚われているか

 

 

という事なのです。

 

 

 

 

抵抗が大きい、

 

そんなの無理だ!と強く感じるほど

 

そういうものに囚われて、"本来の自分"を見失っていると言えます。

 

 

 

 

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まとめますと、

 

 

不都合な現実がきても、大真面目に"不都合"だと認定するのを

 

 

やめてしまえばいいという事です。

 

 

だからと言って無理に「あぁこの状況は幸せなんだ~」とする必要もありません。

 

 

 

 

ただただ淡々と

 

映像を見ている視点に立って

 

眺めるだけでOKです。

 

 

 

それを繰り返すうちに

 

どんどんその視点に対する信頼は増していきます。

 

その頃には

 

目の前の映像も、現状とは全く違ったものになっているのです。

 

 

 

 

 

 

うさんくさいと言いますか、地味と言いますか

 

「そんなんで大丈夫か!もっと何かないの!」

 

とエゴは騒ぐかもですが

 

これこそ最強の方法なのです。

 

 

 

方法やメソッドと言ってしまうと、またざわざわするエゴも居そうですが…

 

 

 

一見、願望実現とは関係なさそうですが

 

この視点こそが"本来の自分"であり

 

願望実現の領域であります。