前回(9/17投稿)の記事の続きのような感じです( ´-ω-)

 

 

前回は

 

・「なりたくない自分」に現実味を帯びさせない

 

・「なりたくない自分」と距離を置いて、

眺めている立ち位置を感じる

 

・いきなり『なりたい自分』を選択できなくても大丈夫!

 

 

というような感じでした。

 

 

 

 

今日は“現実を疑え!”についてです。

 

 

この言葉は、よく目にすると思います。

 

・「現実は無視でOK」

 

・「現実を疑うべきだ」

 

というような感じで書いてあるのを、見た事があるのではないでしょうか?

 

 

 

この言葉の真意は、

 

“不都合な現実に、リアリティや現実味を与える必要はないですよ”

 

という事なんです。

 

 

前回とかぶるところはありますが

 

 

人間どうしても、ネガティブなものにはリアリティを持たせがちですが

 

 

 

『これって本当かな?』

 

『本当かも知れないし、嘘かも知れない…』

 

 

というような感じで

 

 

エゴが勝手に“不都合”だとしている現実に対して、

 

 

距離を取ってみるという事です。

 

 

 

なので躍起になって無視しようとしたり

 

頑張って、疑ってみる

 

 

というような事はしなくてもいいのです。

 

 

 

それは逆に"不都合な現実"に力を与えてしまいます。

 

逆にスポットライトを当ててしまっている状態です。

 

 

 

 

 

ただただ淡々と

 

現実との距離を置くだけでOKです。

 

 

 

 

なので

 

むしろ、まじまじと現実を見ても大丈夫なぐらいです。

 

 

 

 

 

例え今の現実がどうであれ

 

一見、好ましくない現実が展開されてしまっていても

 

 

望む結果(願望)とは何も関係はないです。

 

 

 

なので、そこでエゴのリアリティ溢れる演技と一体化して

 

悲しんだり、苦しんだり、しなくていいんです。

 

 

 

『エゴの奴、また演技しよるな。ほっとこ。』

 

 

↑最初からここまできっぱり切り離すのは難しくても、

 

 

『エゴがまた目の前の現実に対してリアクションを始めた。

もっともらしい感じがするけど、

どうやらそうでもないらしい。』

 

 

↑このぐらい俯瞰できればいいかも知れません。

 

 

 

 

今まではエゴと一体化していた事すら気付かずに

 

 

振り回されては疲弊し

 

 

嘘の現実に対して苦しんだり、戦ったりしてきましたが

 

 

距離を取るだけで、俯瞰するだけで

 

 

そういう事がなくなります。

 

 

 

 

最初は引き戻されがちですが、

 

徐々に"俯瞰している視点"をデフォルトにしていけば

 

嘘みたいに楽になります。

 

 

 

 

気休めみたいに聞こえるかも知れませんが

 

現実創造というものは、そこから起こります。

 

 

 

エゴとがっちりとタッグを組んでいては

 

完全なる"エゴ色"の現実ですので

 

自由に創造できる隙間すらないというわけです。

 

 

 

エゴとの結託を徐々に緩めて(いきなり緩めると、また大騒ぎ)

 

 

そこに望む現実が流れ込む"空白"を作っていきましょう。