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希望の新時代は我らの農漁村から池田大作
 
池田名誉会長が贈る指針
「希望の新時代は我らの農漁村から」
農漁光部指導集編集委員会
池田大作
聖教新聞社
定価741円
207ページ
2015年9月6日 初版発行
 
2016年 平成28年 3月31日 読了
 
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【目次】
発刊に寄せて 池田大作
農漁光部・農漁光青年委員会の指針
 
 第1章 小説『新・人間革命』
 第24巻「灯台」(抜粋)
 
第2章 随筆
地域を照らす信頼の灯台       (「随筆 新・人間革命」)2003.12.9
「命」支える労苦の皆様方に最敬礼! (「随筆 人間世紀の光」)2005.2.9
人も自然も輝け! 立正安国の大地  (「随筆 人間世紀の光」)2009.3.1
 
第3章 写真紀行
新潟・魂の大地  (写真紀行「地球は美しい」)1999.8.22
秋の実 讃歌     (写真紀行「光は詩う」)1999.10.3
黄金の村       (写真紀行「光は詩う」)1999.11.7
鈴なりの柿      (写真紀行「光は詩う」)1999.12.5
桃源の里       (写真紀行「光は詩う」)1999.12.26
いのちの湖 (地球紀行「我がふるさとは世界」)2003.7.27
 
第4章 和歌・メッセージ
農漁光部への和歌
第1回 世界農村青年会議(秋田)    1982.9.14
第3回 世界農村青年会議(山形)    1988.9.24
第1回 農村ルネサンス体験主張大会  1997.2.15
第2回 農村ワールド会議(宮崎)    1999.9.14
第4回 農村ルネサンス体験主張大会  2000.2.17
第5回 農村ルネサンス体験主張大会  2001.2.17
第6回 農村ルネサンス体験主張大会  2002.2.10
第3回 農村ワールド会議(岩手)    2002.9.10
第11回 農漁村ルネサンス体験主張大会 2008.2.10
第15回 農漁村ルネサンス体験主張大会 2012.2.5
第1回 世界農漁村青年会議(宮城)   2013.9.8
第17回 農漁村ルネサンス体験主張大会 2014.2.9
 
第5章 対談
◎トインビー対談『二十一世紀への対話』
都市から農村へ<第1部/第2章「人間を取り巻く環境」>(抜粋)
◎ユイグ対談『闇は暁を求めて』
消費文明<第1部/第1章「物質的危機」>(抜粋)
自然条件<第2部/第4章「新しい文明に直面した日本とフランス」>(抜粋)
◎スワミナサン対談『「緑の革命」と「心の革命」』
第3章「農業ルネサンス」への挑戦
 
第6章 スピーチ
第5回 本部幹部会  1988.5.22(抜粋)
京都記念幹部会    1989.10.18(抜粋)
第22回 SGI総会  1997.2.19(抜粋)
「5.3」記念協議会 2006.3.29(抜粋)
 
農漁光部歌「誉れの英雄」
 
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小説「新・人間革命」第24巻「灯台(抜粋)」、写真紀行、和歌・メッセージ、対談など、池田大作創価学会名誉会長の著作および『聖教新聞』掲載のスピーチ等から、農漁光部に関する指針を抜粋・収録。
(商品説明より)
 
名誉会長は「発刊に寄せて」で、日蓮大聖人に直結する創価の三代は「生命を育み支える海辺の農漁村の出身であること」を無上の誉れとして、民衆仏法を広めてきたと力説。
そして「一番、苦労した人が、一番、幸福になる。これが、大聖人の仏法です」「農漁光部の宝の同志は、この仏法の絶対勝利の法則を、先頭に立って示し抜いていく証明者なのです」と強調した。
さらに、大聖人の御在世にあって、熱原の農民信徒たちの信念を貫く行動が「新たな民衆凱歌の時代を開く起点」となったように、今日、農漁光部が「生命尊厳の希望の新時代を勝ち開いていく時が来た」と万感を込めて呼び掛けている。
(聖教新聞記事より抜粋)
 
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農漁光部に関する池田先生の指導集です。
 
以下、ポントメモです。
 
一番、苦労した人が、一番、幸福になる。これが、大聖人の仏法です(P5)
 
●天災という非常事態が生じた時こそ、政治の真価が問われる。対応を誤れば、天災は人災となって不幸を増幅させてしまう(P19)
 
●状況にのまれ、流されていくのか。状況に立ち向かい、改革していくのか――それは、常に、人間に突きつけられている課題である。
しかし、改革は至難である。本当の信念と強靱な意志力が求められるからだ。それを引き出すための力が、信仰なのである(P23)
 
●「何を要求するかではなく、何を与えうるか」に、発想の根本をおくべきであるということであります。
各国が争って要求し、駆け引きをし、奪い合うのではなく、今すぐに各国が、まず「何ができるか」「何をもって貢献できるか」ということから、話しを始めなければならない(P25)
 
●大聖人は、『心の一法より国土世間も出来する事なり(P563)』と仰せだからです。国土の違いも、我が一念から起こり、我が一念に国土も収まります。
心の力は偉大です。何があっても負けない、強い、強い信心の一念があれば、一切の環境を変えていくことができる。それが『三変土田』の法則です(P32)
 
●仏法では、食物の徳性を、五つに分けて考察している。  
第一に、生命を維持し、寿命を保つ。  
第二に、精神と身体の生命力を増大させる。  
第三に、身体の輝きや活力ある姿を生む。  
第四に、憂いや悩みを鎮める。  
第五に、飢えを癒し、衰弱を除く。  
そして、その食物の価値を現実に発現できるかどうかは、食べる側の人間の
生き方によって決まると考えられているのである(P51)
 
●今、私は、インドにおける「緑の革命」の父として名高い農学者のスワミナサン博士と対談を重ねている。
博士は、核廃絶と世界不戦のために戦うパグウォッシュ会議の会長でもある。  
私は、博士に申し上げた。  
「農業を守り、支える人こそが一番偉大です。一番尊敬されるべき人なので
す」  
博士は会心の笑みを浮かべられた。  
思えば、マハトマ・ガンジーは、「農民こそ、世界の主人公なり」と訴えて
いる。  
あの孫文の「人民こそ皇帝なり」との宣言も、農民大連合に捧げたスピーチ
であった。孫文は断言した。  
「農民がすべて連合したときにこそ、われわれの革命は成功する」と(P55)
 
●大自然を前にしては、人間はあまりにも小さすぎる。その人間の小才も、偽りも、ごまかしも一切きかないであろう。
ゆえに正しき生き方とは、大自然によって自分自身が生かされていることへの「報恩」と「感謝」の限りなき呼吸ではないだろうか(P59)
 
●農畜産物も、水産物も、それが人びとの口に入るまでには、生産者のどれほどのご苦労があり、どれほどの真心が込められているか、計り知れない。
そこには、単なる「お金」には換えられない、気高き汗が光り、渾身の生命の貢献が輝いている。
その労苦を感じられなくなった時、人間は傲慢になる。その真心を忘れ去った時、人生は堕落する。
「いただきます」――その一言を、生産者の方々へ感謝合掌の心で発していくことが、大切な「食育」の出発点ではないだろうか(P70)
 
●北国の人達は、口下手で、自分のことは、うまく言えない。ただ、黙って、自分の作品を出す。
「この米を食ってみてくれ」「米には、おれたちの魂が入っとるんだ」
それでもわからない人には、わからなくていいのだ。
調子のいい、口先ばかりの「嘘つき」が、大手を振って歩く世の中。まじめなあなたがたは、どんなに悔しい思いをしてきたことだろう。
精魂込めた自分の分身が、心ない政治家の論理、金の論理に、ずたずたにされるたびに、どんなに腹が煮えただろう。
食は文化。食は命。
食べ物のことを、いいかげんに考える社会は、おかしくなる。農村を忘れることは、人間を忘れることだ。自分の「根」を忘れることだ。文明人は、金に「魂っこ」を取られてしまったのだ(P91)
 
●軽佻浮薄な都会人が、田舎者だと見下しても、そんな根無し草の人生より、何千万倍、あなたがたが尊いか。
日本中、どの土地にも、何百年、何千年もの先祖の苦闘が染み込んでいる。労働に自分のすべてをかけて生き抜いてきた、その汗が、この畦にも、あの川べりにも、光って見えるではないか。
だから「田舎」ではない、ここが「中央」だ。ここが世界の「真ん中」なのだ。
働く者、その人こそが「主人」だからだ(P93)
 
●柿も、人も、めいめいが自分の持っている「宝」を、この世に現すために、生まれてきた。
ある人の回想である。高校時代、懇切丁寧に教えてくれる数学の先生がいた。難しい個所など、だれかが「とても、できません」と言うと、先生は涙をこぼさんばかりにして、「わからなければ、わかるまで何度でも教えてあげます。だから、自分をあきらめたようなことだけは、言わないでください。やれば、できるんです。できるまで、ぼくが、いくらでもつきあいますから」。
悲しげに顔をゆがめて、そう言われると、簡単にあきらめていた怠け心が恥ずかしくてたまらなかった(P105)
 
●おかしいことは、おかしいと、正しいことは正しいと、嘘も人権無視も許さないと、ひとすじに言い切ることだ。
その当然のことができなかった結果が「戦争の世紀」20世紀だ。その当然のことを実行する時「平和の世紀」が来る(P112)
 
●私が会長に就任して一番先に祈った一つは「お米がたくさん、とれますように」だった。
人間は食べないと生きていけない。食べ物を大事にすることが、生命を大事にすることである。労働を大事にすることであり、人間を大事にすることである。それが「文化」の基礎である。文化とは「いのちを大切にする」という生き方だからだ(P115)
 
●東北の歴史は、いつも「中央に従属させられ、利用されてきた」歴史であった。
言葉まで蔑視され、かつては学校で「方言を使うな」とまで言われたのである。使った子どもは、「方言札」を首に懸けられた。
何という転倒!
方言のどこが悪いのか!
方言とは「なまった言葉」ではない。血の通う「生きた言葉」だ。大地から生えてきた「地生えの言葉」だ。「ふるさとの心」そのものなのだ。
そもそも、地方とは「端っこ」ではない。主権在民なのだから民衆が主人。「主人」がいるところなのだから「中心」だ。
民衆が根を張った、それぞれの大地が中心であり、「都」なのである(P116)
 
●いつもいつも不便さに耐え、吹雪に耐えてきた東北の友よ。
迫害にも耐えながら、「新世紀の歌」を高らかに歌ってきた東北の友よ。
あなたたちが、だれよりも尊敬される「新世紀」がきた!
苦労に苦労を重ねてきた東北だからこそ、私は勝ってほしいのだ。どうしても幸福になってほしいのだ(P118)
 
●農村を忘れることは文明を忘れることであり、人間を忘れることであるとは、私の信念です(P131)
 
●詰まるところ農業科学者にとっての幸せとは、農民たちの笑顔、わけても、農家の女性の笑顔に尽きるのです。彼女らこそが、家庭での子育てや暮らしのやりくりなど、あらゆる問題の矢面に立っているのですから――スワミナサン(P189)
 
●農業を大切にしない社会は、生命を粗末にする野蛮な社会です。その社会は、早晩、あらゆる面で行き詰まる――これが私の持論です。――池田(P190)
 
●いつの世も、民衆は、リーダーに対して確かな手応えを求めている。ゆえに指導者は、人々の苦労や人情の機微がわかる人でなければならない(P197)
 
●釈尊は主催者に頼んで、まず農夫の席をもうけ、食事をさせてあげた。そして、彼が食事をすませ、一息つくのを待って、それから釈尊は法を説き始めたのである。
この農夫が、それこそ喜んで、また真剣に法を聞き、心から満足したことはいうまでもない。
まさしく、皆を満足させてあげるのが「仏」である。
ところが、このとき、こうした釈尊の心づかいに対し、僧のなかには、眉をひそめ、文句を言う者もいた。
「たった一人の、しかも、みすぼらしい庶民のために、なぜ、そこまでするのか!」と。
しかし釈尊は、言い切った。「おなかがすいているときに説法をしても、理解などできない。空腹ほど、つらいものはないのだから」と。
権威主義でもなければ、組織主義でもない。あたたかな人間主義である。こうした釈尊の、そして日蓮大聖人の慈愛が、何ひとつわかっていないのが宗門であると、多くの人が憤慨している(P202)