スポーツ思うこと


ゴールドメダリスト  ニコライ・アンドリアノフ

旧ソ連 の体操選手

金メダルを取る為に日本選手と交流して当時の日本体操は強かった

そこでニコライ選手は日本選手から学び

ソビエトにそれを取りれていった選手の1人

1972年ミュンヘン五輪の選手村。
団体総合4連覇を果たし、個人総合と各種目別を含め計16個のメダルを手にした日本の男子チームの部屋に、19歳のロシア選手がウオツカのビンを携えてやって来た。
その青年こそがニコライ・アンドリアノフ。

ソ連チームのメンバーを連れてきたアンドリアノフは、日本選手と飲み始めた。

金メダル奪回をめざす彼等は、日本から何でも学ぼうと貪欲だったのだ。

身ぶり手ぶりに英単語、さらに体操界で用いられていたドイツ語を挟んでコミニケーションをしたという。

日本側は技術的なはなしだけでなく、
『うまくなりたければ器具を大事にしろ』
『日本では練習の前後に頭を下げて、あいさつする。これは礼儀であり、感謝を示すためだ』


その2年後、1974年の世界選手権で、ソ連チームは驚くべき光景を見せる。
かつては、練習場で各自バラバラにウオーミングアップをしていた彼等が整列し、一斉に礼をして練習を開始したのだ。

現在でもロシアやウクライナなどの旧ソ連の体操チームは、多くの選手が競技の前後に軽く礼をしている。日本から学んだ教えは、今でも伝統として根付いている。


こんな有名なエピソードがある


そして塚原選手に送った言葉がある


「『優勝する』この事はそんなに重要な事だろうか?
 いやもっと大切な事がある。
 それは激しい競争の中で、大人になっていく事であり、
 性格が鍛えられる事である。
 以前は考えられなかった事を、自分の中に発見する事である」


など様々なことを教えたという。