またしばらく文字を書くことから遠ざかってしまいました。
しかし、最近頭のなかに回遊しているモノを整理したいと思い久しぶりに書きたいと思います。
ここ最近、自分が周囲の意見、目に影響を受けすぎて自分を見失っていたことに気づきました。
組織の中に身を置くと、良くも悪くも周囲の人たちの考え、価値観に大きく左右されてしまいます。
彼らの意見や考えはあくまで一個人の考えであり、彼ら自身の経験や主観によって形成された、ある意味偏った主張である。
わかってはいるものの、日々を過ごしていく中で、徐々に自身にすり込まれ、支配されていっている感覚に陥りました。
また、組織に属して1年半が経った今、これまで見えてこなかった周囲の光景に気づくようになりました。
それは、人を見下す考えや他人の悪口(ヘイト)が平然と飛び交っている、そんな状況です。
自分のやるべきタスクにだけ注力すればいいのにも関わらず、他人のあれやこれを取りあげバカにし、嘲笑する。
そんな、なにも生まない言動が目の前で繰り広げられていたのです。
そのような状況を目の当たりにし、当事者でないはずの自分が苦しくなる。
今の自分はそのような環境に身をおいていることに気づきました。
人間は醜いものであることを前提にすれば、組織内にかかわらず、どこでも当然のように起きている事象なのかもしれません。
事実、小学校や高校、大学でも同じように見てきた光景ではありました。
しかし、「良い大人」たちが上記のような会話を交わしているものほど見苦しいものはないと思います。
「大人」のリアルな日常に強いショックを覚えました。
組織ですから、様々な人がいるのは当然です。
本来異なる個人を同じ指標で量ることはナンセンスですが、集団の中で欠点が目立ってしまったり、どうしても浮いてしまう人はいるでしょう。
しかし、それはあくまでその人の「一部分である」ということを忘れてはいけないと思います。
目に映る切り取られた一部がその人のすべてであると決めつけ、良さには目を向けようともせず公然と批判する。
自分の中の小さな世界でつくられた色眼鏡で見ている。そんなことにも気づかずに。
このような考えが個性を殺し、ひとつの型にはめようとする悪しき同調圧力を生むのだと思います。
そんなことを考えていたとき、大学時代に教えられた「良いとこ探し」というものを思い出しました。
それは、所属していたゼミで、個人やグループ研究の発表後、聞き手が感想やコメントを共有する際に、「改善点や指摘を加える前に、良かったところを言う」というものです。
「批判は1/10の力でできる。まず、みんなの良さを探し、認め、共有しよう。」
当時の教授は常に良いところに目を向ける大切さを説いてくれました。
最初は難しかったものの、「良いとこ探し」をしていくなかで、自然と他人の良いところが見えてくるようになりました。
批判や否定から入るのではなく、まずは良いところを探し、認めていくことの大切さをゼミの場で学びました。
過ごしてきたゼミの環境を思うと、今の環境は本当に息苦しいです。
他人の意識を変えることは不可能であることはわかりきっているため、自身が思う居心地の良い場所で生きていくためには、環境をかえることが最も簡単で効果的な選択であると考えています。
しかし、今の環境で得られる知識や経験が多いことも事実で、数年は今の場所でやっていこうと思っています。
今は、きっと消えることのない価値観の押しつけと、ジャッジを雑音としてシャットアウトする方法を身につけていこうと思っています。
例えば、自分の明確な目標を掲げるであったり、他人はもちろん、ありのままの自分を許し、認める、など。
ぶれない自分をつくりあげる方法を考えていきます。
最後に、上記のような問題について、アフリカでの長期滞在経験のある友人と話した際に、その友人が発した印象的な言葉をメモとして残しておきます。
「凝り固まった自分の価値観を押しつけてくる人はみんなアフリカに行けば良いのに。そうすれば自分の考えがどれだけ偏っているか気づくはず。」
「そもそも自分が異質である環境(海外など)に身を置けば、何をしても異質な個性として認められるだろうから同調圧力などの苦しみは感じないだろうな。」
友人へ。いつもほんとに勉強になります。
Nov 17, 2020