児島のご当地ヒーロー!コジマキッドとその敵ダリンジャーのブログ
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最後の書き込みです。

2010年1月1日より開始しました。このコジマキッドブログ、本日を持ちまして終了とさせていただきます。長い間、ご愛読下さいました皆様、ありがとうございました。

 

そして、JC戦士コジマキッドの活動も本日を持ちまして終了とさせていただきます。今まで応援して下さった皆様、本当にありがとうございました。

 

(一社)児島青年会議所 コジマキッド部会一同

マスクの中から見えたもの

マスク(仮面)の中から見える景色。

 

それは、ごく限られた人しか見れない景色でもあります。

 

 

2008年7月、児島公園で開催されたクリーンアップウォーク。初めてコジマキッドがみんなの前に登場したのは、この時でした。

慣れていないものだから、妙に照れ臭く、恥ずかしい。動き分からない。立ち振る舞いも分からない。視界も妙に狭く周りが見えず、歩きづらい。そんな時に、助けてくれるメンバーもいれば、そうでないメンバーもいました。慣れるまではまともに歩くこともできなかったし、マスクを自分でつけることもできなかったので、助けてくれるメンバーがありがたかったです。

また、初登場の際にはプロテクターもつけていなかったので、かなり貧弱。クリーンアップウォークに参加していた子供たちも何だかぎこちないし。大人の感覚では、ヒーローものには子供たちも興味を持って寄って来るだろう・・・だが、そうでは無かった。カッコ悪くて、動きがぎこちなくて、知名度もなくて、しゃべらないヒーローには、寄って来ない。倉敷ケーブルテレビも来ているのに、ヒーローがポツンと立っていたらカッコ悪いし、かろうじて数名が興味を持ってくれたので、その子たちの近くを付いて回ったという表現の方が正しい行動で初日を終えました。

 

大浜海岸でのクリーンアップウォークに登場した際には、透明のプロテクターを装着。前回より動きは慣れていました。子供たちの反響も前回よりは弱冠マシ。

 

3回目の登場となった琴浦南小学校でのクリーンアップウォーク。ここで、勝手な判断で封印を解きました。

登場した瞬間、後に決めゼリフとなった「児島を愛し、夢と希望を持つ子供たちの味方 JC戦士コジマキッドだ!!」

当時部会長的な役割を担っていた人からの指示は、しゃべらない設定。しゃべる時は、吹替の口パクでと言われていた。それが急にしゃべったものだから、その担当者も驚いていた。でも、これが良かったと思っています。それまでは設定が決まっていなかったので、子供たちとのコミュニケーションも数少なく、言葉がほとんど発せないから、うなづく。口のところが開いているのは、はっきり言ってカッコ悪いけど、せっかく開いているのだからしゃべった方が良い。ゴミ拾いをする中で、子どもたちとたわいもない会話をすることでコミュニケーションが生まれました。少し身近になった気がしました。

 

わくわく体験教室・吉備、秋の瀬戸大橋まつり、と少しづつ世間に出始めた頃の11月、小学生親睦球技大会が開催されました。しゃべれるようになったとは言え、子どもたちの感触は受け身。寄って来てはくれません。そんな時、高谷先輩が「コジマキッド、おぇ、自分から各ベンチを回って応援してけぇや」と笑いながら言ってくれました。先輩命令だったので、やむを得ず応援に行きました。

 

この時気づかされました。

子どもたちは、カッコ悪くても変わった格好をしたヒーローものには少なからず興味を示します。でも、こちらが恥ずかしい照れ臭い以上に、子供たちの方も恥ずかしい照れ臭い気持ちがあるから近づいて来ないのだと。こちらからアクションを起こしていけば必ずリアクションがある。こちらからアプローチすることが大切。その時から少し変わりました。

 

小さな子どもと接する時には、ゆるキャラと違って身軽なのだからしゃがんで同じ目線でコミュニケーションをとろう。他のオーバーフェイスのヒーローと違って口元が開いているから積極的に会話をしよう。元々カッコ良さがウリでは無いので、飾らず岡山弁でしゃべろう。他の地域には他のキャラクターがいるのだから、児島の中でより身近に接することのできるところを特長にすれば良いのだと気づきました。

 

大人たちが託していた担い。それはスーツを着たおっさんが言っても伝わらないことをコジマキッドというツールを使って代弁させようというものでした。その趣旨を初めて聞いた時、「なるほどな」と思いました。大人とは違った立場で、より子どもたちに近いところでメッセージを伝えることができるかもしれないからおもしろそうだなって、新たな可能性を感じました。

 

立ち上げ当初から2010年くらいまでは環境問題と言ったところで「ごみを捨てないようにしよう」というメッセージでのショーやクリーンアップウォークといった事業で一貫していました。でも、途中から迷走したように思います。それは大人の都合、組織の都合もあって方向性が定まらないようになったからでした。それでも、2013年は「人のものをとらないようにしよう」・2014年は「食育(いただきます・ごちそうさま・残さず食べる)」・2015年は「チームワーク」・2016年は「郷土愛」というテーマを持って、コジマキッドショーも少しずつマイナーチェンジし、最後に「コジマキッドとの3つの約束」というのを盛り込んで子供たちにメッセージを送りました。配役者がセリフを覚える関係で、ストーリーが1パターンでしたが、ご当地の名産を盛り込んだ武器や、ブームから少し遅れたギャグが随所に盛り込まれていたので、子供たちは楽しみながらメッセージを受け取ってくれたと思います。

特に決めゼリフである「児島を愛し、夢と希望を持つ子供たちの味方 JC戦士コジマキッドだ!!」は、いつも子どもたちの潜在意識に呼びかけるつもりで『児島を愛して欲しい』という強い想いを込めて、発していました。自己満足かも知れませんが、ほんの少しでも伝わっていたら幸いです。

 

やっぱり、自分たちのまちを好きになることが1番だと思います。

 

自分たちのまちを好きになるためには、子どもの頃から家族や仲間・地域の人たちと楽しい思い出を地元で共有した記憶を育むことが大切だと思うし、自分たちの住んでいるまちのことを知ることが大切だと思います。そして、やがて成長した時には、一度は県外に出たとしてもゆくゆくは地元に戻ってきて地元のために何かやってやろうと思えるような人財を育成することができたら良いなと思います。

2010年度の会頭 相澤先輩がおっしゃっていた「国を支えて国に頼らず 組織を支えて組織に頼らず 家族を支えて家族に頼らず・・・・家族に見返りなんて求めないでしょ」・・・大好きな家族のためなら自分を犠牲にしてでも頑張れる。それなら、大好きなまちのためなら自分を犠牲にしてでも頑張れる、当然見返りなんて求めない。青年会議所メンバーを見ても、そうだと思います。児島のまちが好きだから、児島青年会議所のことが好きだからこそ、「児島のまちが、児島青年会議所が、少しでも良くなるように何かやっちゃろう」って気持ちが芽生えるのだと思います。

 

また、コジマキッドの活動をしっかりやりたいなと思ったのは、タマシマンのストリーミングサイトの存在があり、立ち上げ当初にそれを見たからだったと思います。玉島ケーブルテレビで定期的に流される15分番組、全20話くらいあったかな。1話1話にストーリーがあって、玉島青年会議所が取り組んでいる問題や活動や事業にちなんだ敵キャラが登場して、それをタマシマンが倒すというもの。これを見た時に、すごく良いなと感じました。何が良いと思ったか?それは、そのストーリーの中で「社会の中で(自分たちのまちでは)、こういう問題があるから玉島青年会議所ではこういう活動をしている」というのをまず最初に発信していたので、これだったら子どもといっしょに何となく見ている親御さんにも青年会議所のことがPRできるし、発信できるよなって。イメージも良いし、繰り返し流れるのだから、すごく良いツールだよなって思いました。その頃から9年間、たいしたことはできてませんが、真摯に活動してきたつもりです。

(↑コジマキッド部会が高校生を巻き込んだプロジェクトチームで作成したコジマキッドのDVDは、倉敷市を通じて倉敷市児島地区の小学校・幼稚園・保育園に配布し、教材として活用していただきました。DVDの内容は、児島の名所を舞台にコジマキッドが奮闘するもので、子どもたちが楽しみながら児島のまちのことを知って好きになる、郷土愛醸成が目的のものです。)

ある時、先輩であるタマシマンさんが青年会議所を卒業される時、声をかけて下さいました。

「○○くん、頑張れよ。君は選ばれた人間なんだから」

 

最初、その意味が分かりませんでした。

 

今少し感じるのは、マスクの中から見える景色を体感できる権利が与えられていたということでしょうか。マスクの中から見ることのできた子どもたちの笑顔、喜んでくれる表情、かまって欲しさに寄ってくる姿、興味を抱くまなざし、まちの人の親切な対応、そして助けてくれる仲間たち。それは、ごくごく日常にもありふれた景色で、普段だったら見逃していたかもしれません。そんな景色をじっくりと見ることによって、「児島のまちのために」という想いをより燃焼させてもらったのかもしれません。

 

初めて変身した頃、それまで近寄ってきた子どもたちが、普段の姿に戻ると近寄って来ない(当たり前ですが)ギャップに寂しさを覚えたことがあります。本日12月31日からは、マスクを装着することはありません。同時に、古川先輩が松山の地でおしゃっていた有効期限が訪れ、JCバッジも名刺も使えません。ギャップは少し寂しいですが、何年もかけて積み上げてきたJCプライドと魂、そして経験と人間関係を活かして飛躍していかなければならないのだと思います。

 

太陽が熱い 潮騒が響く 児島のまちに俺は立ち上がった 

未来のまちを守るため 正義の心を内に秘め

 

たくさんの子どもたち、たくさんの皆さんとの出会い・出来事に感謝して、マスクを脱ぎます。

 

長い間、本当にありがとうございました。

 

2017年12月31日  JC戦士コジマキッド

 

明日中に終了します。ホームページにもアップしました。

明日で終了する旨をホームページにもアップしました。



そういえば、おもしろいことをおっしゃっている先輩がいましたので、現役メンバーの参考のために紹介させていただきます。実感がこもっていて、すごく参考になります。

家族サービスをしっかりせんといけんよ。家族サービスとは、子供サービスでは無く、嫁サービスが大事。

また、男性脳と女性脳は違うということ。違うということが分かっていても、その違いは想像以上に違うということ。女性は蓄積で考えるとのことです。

コジマキッド

受傷後65日目 可動域回復を目指して

リハビリ継続中です。

今は可動域の回復のためにできることをやる時期。湯の中で背屈と底屈をやってます。

 

あと、今週からは1日30分程度のバイクトレーニング(有酸素運動)を取り入れました。装具装着中は足首が固定されているから大丈夫なはず(´∀`*)ウフフ

 

それとケロッグバンドトレーニングも今週からはしっかりやります。病院でのリハビリでもチューブトレーニングが入ってきたので大丈夫なはず(´∀`*)ウフフ

回復具合はほんの少しずつですが、前向きに・ポジティブに。このブログが終了するまでに完治報告をするのは無理でしたけど(^-^)


今日は仕事納め。皆さん、事故には気をつけて。よいお年を。そして、いよいよ明日でコジマキッドも終了させていただきます。

コジマキッド

事務局の大掃除。

事務局の大掃除でした。いよいよ今年も終わります。

ホワイトボードには来年の予定が。


1月と言えば京都会議、みたいな体内スケジュールが来年は無いのかと思うと、さみしいね。

コジマキッド
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