いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす(ん)


色は匂へど 散りぬるを
我が世誰(たれ)ぞ 常ならむ
有為(うい)の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔(え)ひもせず


万物は常に生成•変化•消滅していて、一時もとどまっていない。(諸行無常)
生あるものは必ず滅する。(是生滅法)
生まれ死ぬという無常の現世を超越して悟りの境地に至り、(生滅滅已)
煩悩に満ちた現世を脱し、生死の苦から解き放たれたとき、真の楽しみの境地が開かれる。(寂滅為楽)



桜


諸行無常(しょぎょうむじょう)
是生滅法(ぜしょうめっぽう)
生滅滅已(しょうめつめつい)
寂滅為楽(じゃくめついらく)

この句は、「雪山偈(せっせんげ)」と呼ばれ、お釈迦さまが雪山で修行していた時に、帝釈天(たいしゃくてん)がその道心を試そうと、食人鬼に変身して最初の二句を唱え、後の二句を知りたければその身体を差し出せと言ったところ、釈迦(雪山童子)は後の二句を聞くため喜んで我が身を投げ食人鬼に捧げ、帝釈天は童子の堅い道心に感じ入り童子の身体を空中で受け止め地上に安置して敬礼した、というお話が原始仏典の「涅槃経(ねはんぎょう)」の中に書かれています。

***

「いろは歌」は、この「雪山偈(せっせんげ)」を和歌にしたものだと伝えられています。

生死を越えたところに本当の安楽がある…

しかし、無常と知りながら、涙あふれるのが真実です。



寂滅(じゃくめつ)
坂村真民

母の柩(ひつぎ)に
火をつける
生き残るものの
このかなしみ
み仏のことば
知りつつも
涙あふるる




生も死も、大きな命の源流のひとしずく、一つの様相だとしたら、死ぬことは終わるということではなく、また別の様相へと変化していくということなんじゃないだろうか。
不生不滅(ふしょうふめつ:般若心経の中のことば)
生も滅も一つ
生も死も表裏一体
私たちはみな同じ命の源流の一瞬のきらめきで、生と死を繰り返しながら命という大きな源流をつないでいくのだとしたら、すべては同じ命の流れの中にいるのだから、生や死にこだわる必要は何もなくなる。
こだわりの世界を越えた先には、きっと、おだやかで満ち足りた世界が待っているにちがいない。(みゅ)

かたよらない
こだわらない
とらわれない
ひろく ひろく
もっとひろく