先日、NHKの番組「100分de名著」で、精神科医の中井久夫さんの特集の第一回目として、中井さんの本『最終講義』が紹介されていました。
失礼ながら、中井さんのことや統合失調症という病気の歴史についても初めて知ったのですが、当時の常識や偏見にとらわれず、ありのままを正しく観察し、統合失調症の症状を、固定した「状態」ではなく、回復への「過程、プロセス」だと捉えた新しい視点が、どこか般若心経の「空(くう)」に似ていると感じました。
特に、次の言葉が心に残り、これは書きとめておきたいと思いました。


“精神健康度で大事なことは…
「自分が世界の中心であると同時に、世界の一部でもある」という認識
一見矛盾した視点を同時に持てるかどうかということが大事“

これは、病気の有無に関係なく、大事なことなのではないでしょうか。
自分が世界の中心にいる時と、端っこにいる時とでは、見える景色は全く違う。
物事を本当に正しく見るためには、そういう全く違った視点を、同時に持てる柔軟さが必要なのだと思います。

かたよらない・こだわらない・とらわれない

『最終講義』は、統合失調症という病気に関しての著書ですが、人生哲学としても大変参考になる本だと思いました。

以下、放送内容を書きとめておきます。





“分裂病の回復は登山でいうと、山を登る時ではなく、山を下りる時に似ています。”

“治療は山岳遭難救助に似ています。”

《『最終講義』中井久夫 著より》




精神科医 中井久夫は、統合失調症に苦しむ患者に寄り添い続けた臨床医です。
そのかたわらで深い教養と思索(しさく)に満ちた著作を発表。
多くの人に気づきと希望を与えてきました。
患者を回復へと導く中で中井が重きを置いたのは、今注目されている「ケアの思想」だったと、精神科医の斎藤環(たまき)さんは言います。

筑波大学教授の斎藤さんは、長年引きこもりの支援に携(たずさ)わり、近年は、開かれた対話によって心の病からの回復を図る「オープンダイアローグ」という精神療法に注目しています。
そんな斎藤さんが心の師と仰(あお)ぐのが、中井久夫です。



(斎藤さん談)
「20代のまだ新人の精神科医だった頃に、一般の単科精神病院の病棟勤務をしていたのですが、正直非常に劣悪な環境にあり、こういうところで何をしているんだろうというふうな絶望感みたいなものがあったんですが、ちょうどその時に中井さんの本に出会い、非常に衝撃を受けまして、ある意味心を救われた思いがしました。
以来、本当に心の師として仰(あお)いでいるという、そういう存在ですね。」

「中井さんは医学部に入る前、京都大学の法学部に入ったのですが、結核になってしまい、1年間休学をして医学部に転向しました。そしてウイルス研究所で非常に熱心にウイルス研究をしたのですが、その時匿名で医局制度を批判した『日本の医者』『抵抗的医師とは何か』という本を発表し、研究室から破門されてしまいます。
しかたなく東京へ出て、そこから精神科医としてメキメキと頭角をあらわしていきました。
ご自身に患者経験があったことで、弱者・マイノリティー・精神障害者に寄り添う視点が一貫してありました。
また、医学知識のみならず、人文系の知識にも厚く、そういった観点からも統合失調症の研究に携(たずさ)わってこられました。」



精神科医
中井久夫(1934〜2022)
  • 京都大学医学部卒業
  • ウイルス研究から精神医学に転向
  • 名古屋市立大学を経て神戸大学教授
  • 統合失調症(2002年までの呼称「精神分裂病」)臨床治療の第一人者
  • 阪神•淡路大震災以降、被災地の「心のケア」に尽力
  • 翻訳、エッセイ多数



『最終講義』(1997年)
中井久夫が退官した1997年に行った最終講義の内容で、ライフワークとして続けてきた統合失調症研究についての中井の業績がコンパクトにつかめる、入門書としては最適な本。



“分裂病は、研究者から転じて後、私の医師としての生涯を賭けた対象である。
私は医師としての出発点において、実に多くの分裂病患者が病棟に呻吟(しんぎん=苦しみうめくこと)していることを知った。”



統合失調症とは、さまざまな要因によって、精神の統合機能が阻害(そがい)されてしまう病気。
不安•不眠•神経過敏などが前触れとして現れ(前兆期)、自分と外界の境界が曖昧(あいまい)になり、自分の中で生まれている言葉が外から聞こえるように感じたり、妄想(もうそう)が起こったりします。頭が「ざわざわ」し、自分の思考が外に「つつぬけ」になっていると感じたり、全てが「あべこべ」に感じたり。(急性期)
そして、抑うつや無気力の症状などの慢性状態へと移行し固定化されると、長らく考えられてきました。
患者にとって大変な困難を伴うこの病気は、近代の精神医学の中で長らく大きな謎であり、治すことが難しい進行性の病と見なされてきました。



臨床の世界にやってきた中井久夫は、あることに気づきます。

“これまでの分裂病研究を見わたすと、まず発病論や本質論は多くても、回復過程を記述したものがほとんどないのに気づきました。
発病過程は直接観察する機会が少なく、これに反して、回復過程はいくらでも観察することができるはずだのに、これはどうしたことだろうと考えました。”



そこで中井が重視したのは、患者の様子をつぶさに記した看護日誌。
また診察の際には、患者の話を聞くだけではなく、必ず体の診察もしました。
中井は、患者の症状をグラフ化。
すると、体に症状が現れたり、夢を見るようになったり、変化する時期があることに気づきます。
中井は、これを「臨界期」と呼び、それが回復の始まりであることを発見しました。



“慢性患者を慢性患者とみなすのを止(や)めたら、いろいろなものが見えてきて、離脱への萌芽(ほうが)はその中に混(まじ)っている。”

《『最終講義』中井久夫 著より》



統合失調症は、治らない「状態」に固定されるのではなく、回復する「過程」、プロセスである。

「状態」ではなく、回復への「過程」
統合失調症は「治る病気」だ!

中井久夫は、統合失調症をこのように捉え直したのです。

(今は治る病気と皆思っていますが、当時は一回入院したら一生出れない不治(ふじ)の病だというのが常識だった。それに逆らった中井の考え方は、非常に画期的だった。)



【統合失調症の経過】

前駆期(不安•恐怖•不眠)
 ↓ 臨界期
 ↓(身体症状が出てくる時期)
急性期(幻聴•幻覚•妄想)→慢性化 ↙︎(慢性期は「状態」ではなく「過程」)
 ↓ 臨界期
回復期(身体症状・夢)→慢性化 ↙︎(慢性期は「状態」ではなく「過程」)
 ↓ 臨界期   
寛  解(かんかい)
(治癒(ちゆ)と呼ばずに寛解と言った)


当時は、急性期から慢性化して、あとは変わらない(回復しない)と思われていたが、中井は、慢性期は「状態」ではなく回復への「過程」だと捉えた。



統合失調症は、精神が暴走する病と捉えられていた。
「臨界期」は、精神の暴走を防ぐ防護壁のようなもので、いろいろな身体症状が出てくる時期。
逆に「前駆期」「急性期」には異常なほど身体症状が現れない。

この「臨界期」を発見したのが中井の大きな功績。
ふつうは病気の悪化と思われるような身体症状を回復の兆候と捉えた。

統合失調症は、長らく患うと慢性化し、欠陥状態(廃人)になって元には戻れないと当時は考えられていたが、中井は、見かけ上慢性症状だったとしても、そこには回復への過程が潜在していて、どんな場合でも回復への希望はあるのだと断言した。

統合失調症に関して変わってきた考え方としては、どんな人でも数分程度だったら統合失調症に似た状態になることがあり、誰でもなり得る可能性はあると中井は主張した。



統合失調症は、精神の暴走。
それを防ぐのはこのようなものだといいます。

【統合失調症から人間を護るシステム】

有害度
(低)   睡 眠
 ↓    夢活動
 ↓    心身症
 ↓    意識障害
(高)    死

例えば、「睡眠」に関して言うと、統合失調症になると、睡眠が障害されてきて、非常に短時間睡眠になり、それと同時に万能感が出てきたりする(眠らなくても全然大丈夫だと思ってしまう)。これは危険な兆候である。
「睡眠」は、統合失調症への移行を防ぐ非常に丈夫な壁である。

「夢活動」に関して、夢は日中のストレスやトラブルを寝ている間に整理する活動である。
それがあるおかげで、夢によって老廃物を排泄していると考えられ、それがあるうちは精神のバランスが保たれていると判断した。
実際、発症すると夢が消える(夢をまったく見なくなる)。逆に夢を見るのは、回復の兆候である。

ストレスを受けた時に、体の方にそれを受け止めて胃潰瘍になったり便秘や下痢になったりした場合は、ストレスが精神に集中していないので統合失調症化はしないが、身体が受け止めきれずに脳に集中してしまうと、暴走が始まってしまうので、まずは体で受け止めるというシステムがある、と中井は考えた。



中井は、心の状態をはかる、こんな方法を紹介しています。

“「できるだけでたらめに一から九までの数を言って下さい」というのです。
急性期の患者は一二三四五六七八九、一二三四五六七八九としか言えないのです。
自由度がこんなに低い状態になれば、内界や外界に発生する刺激になすことなくふりまわされている状態であろうかと思います。
外界も、自分がその中で自由に動きまわり、人やものと出会えるような空間でなくなって、すべてが恐ろしい“必然”とみえてもふしぎではありません。
また、内面に生れては消える印象や観念や思考も同じように受けとられることが少なくありません。“

《『最終講義』中井久夫 著より》



心のゆとり、自由度がなくなり、すべてが必然に感じられてしまうという極限的な心の状態。
それは、山の上で孤立無縁に陥った遭難者のようなもの。
治療は「山岳遭難救助」に似ている…と中井は言うのです。



統合失調症の人には「メタ(複数)視点」が無い。
物事を複数視点で見ることができるかどうかが、回復の度合いを見る時に注目する点である。

“精神健康度で大事なことは…
「自分が世界の中心であると同時に、世界の一部でもある」という認識
一見矛盾した視点を同時に持てるかどうかということが大事“



患者の中には、自分の気持ちや症状を言葉にできない人もいます。
中井久夫が可能性を見いだしたのは患者の描く「絵」でした。

【患者の言葉を育てる絵画療法】

妄想や幻覚があるうちはたくさん話をするが、回復してくるとそれが消えてくるので話題が乏しくなってくる。
回復期の面接は貧しいものになりやすく、これが慢性化へとつながってしまう。どうやったら問答が豊かになるか色々工夫した。
そして、川や山、田んぼに道など、モチーフを順番に伝えて一つの風景になるように
描いてもらう「風景構成法」を確立した。



”それは自然な絵でした。
時にいじけた絵であっても、すべて“感じられる絵”
そして患者の説明はしばしば切ないほどの肌身に迫るものでありました。
絵のかたわらで患者のことばが次第に育ってゆきました。
それは私の精神科医としての生涯の中でもっとも感動的な、快い驚きでいっぱいの体験でありました。“

《『最終講義』中井久夫 著より》



中井久夫は『最終講義』でこんな言葉を語っています。

”私たちは
「とにかく治す」ことに努めてきました。
今ハードルを一段上げて
「やわらかに治す」ことを目標にする秋(とき)であろうと私は思います。
かつて私は「心の生(う)ぶ毛」ということばを使いましたが、そのようなものを大切にするような治療です。
そのようなものを畏(おそ)れかしこむような治療です。“



(齋藤さん談)
「“生ぶ毛”はセンサーでもあり触手(しょくしゅ)でもある。外界の兆候や刺激を鋭くキャッチするセンサーであり、人に接する時のソフトに触るような触手である。
こういったものは、慢性期の患者においても決して失われていないと中井は主張した。
強引な作業療法や大量の薬を使った抑圧的な治療を受けすぎると、生ぶ毛がすり減ってしまうということがあり、そうなると回復に非常に有害な影響があるということを主張した。
どうしたらすり減らずにすむかということを考え、「患者の尊厳を尊重する」「畏(おそ)れかしこむ」治療を目標にした。
患者の尊厳を押し殺さずにいかにそれを伸ばすことができるか。
治療論としてではなく、むしろ人としての常識的な寄り添い方をする方が治療になるのだという考え方、キュア(治療)よりも看護・介護(ケア)の方を重視していた。
ちょうど今現在、医療の世界でも、キュアとケアは実はかなり近いのではないかと言われ、だんだんケアの時代になりつつあると思っている。
そういった意味では、中井は予見的なことをされていたと改めて思う。」


(司会:伊集院光さん談)
「直接的に統合失調症の話というだけではなくて、今自分はどういうことを考えて生きているのかをこの本を読みながら振り返るといいかなと思う。
ゆとり、生ぶ毛がちゃんと残っているかどうかちょっと今日考えたいですね。」