おかわりしてた給食メニュー

(昭和30年当時の学校給食を再現したもの)

 

 75年間生きてきた私の人生にとって最大の幸運は、小学校に入学する前年の昭和29年、第5次吉田内閣において

学校給食法が制定されたことです。びっくりマーク 

 

 そして、今でも思い出すたびに涙が出そうになるほど悲しくなるのも、この学校給食でおかわりしたことですね。ショボーン 

 

 「どんな事情があったか知らんけど、それは少しばかりオーバー過ぎるだろう」と言われそうですが、自分としてはこれでも控え目に表現しているほど、嬉しくもあり、悲しくもなるのが学校給食の思い出なのです。えー

 

 昭和28年、私が5歳のとき近所に「からつボート」が開設されましたが、継母から誘われて初めて行った「からつボート」で大穴を的中した母は、たちまちギャンブル狂になり、一億円近くあった我が家の全財産をボートレースにつぎ込んでしまったのです。

 それだけなら、まだ再起の望みもあったのですが、母は親戚、知人たちから多額の借金を重ね、父が気付いたときには高利貸しにまで手を出していたのです。さらに悪いことが重なり、父が機械に挟まれて大怪我を負ったことで、裕福だった我が家はたちまち地獄のドン底まで転がり落ちてしまいました。

 

 小学校に入学するという節目の年は、ドン底の底から、さらに底なし沼に引きずり込まれようとしていたときで、親は借金取りから逃げ回り、私も毎日お腹を空かして不安な日々を過ごし、身も心もボロボロの状態で小学校に入学しましたが、そこで学校給食を初めて食べたときの感動と喜びは、70年が過ぎた今もって鮮明な記憶として残っています。!!

 

 自由におかわりも出来ましたが、給食費の未払いという負い目を感じていた私は、まずいと言って誰も手を出さない脱脂粉乳を毎日毎日、飽きることなく何杯もおかわりしましたが、なんと小粒だった私の身長がぐんぐん伸びはじめ、4年生になったときにはクラスで一番大きくなっていたのです。

 

 幼いときから辛い目にも遭ってきましたが、身長が伸びたことだけは幸運でした。そして、貧乏によって精神力が鍛えられたことも、お金では買うことのできない自分の財産になりました。 

 

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「ネヴァーギブアップ」天から与えられた試練を乗り越えた先には、ガンにも負けない強い肉体と明るい未来が待っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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