昭和20年以前の映画にはなかなか手が出ないので、これまで見たのは長谷川一夫と李香蘭が主演した「支那の夜」(昭和15年)と木下惠介が監督した国策映画の「陸軍」(昭和19年)だけだった。「支那の夜」は李香蘭が見たいがためだった。

小津安二郎による戦後の作品はかなり見たが、もっと以前のものを見つけてしまった。見ないわけにいかないではないか。

「戸田家の兄妹」は昭和16年の作品で、大家族のぎくしゃくを描く。すぐに「東京物語」を連想した。三宅邦子と佐分利信が、「東京物語」なら杉村春子と原節子という感じの役柄。雑音のせいで、聞き取れない個所があるが、床にカメラを置くような小津独特の構図がここでも見られる。

ほんのしばらく見たところで、「え、この場面はどっかで間違いなく見た」と思える場面に出くわした。つまり、少年が祖父に英語の試験のことを話す場面。

「2番、間違えちゃった。で、"My sister is three years younger than me"ってのをね、『わたくしの妹はわたくしより3つ年下です』っていうのをね、ぼくはね、『わたくしの妹は3つでわたくしより若い』って書いちゃったの」

「そりゃ、ちょっと違ったな」

これは、ずいぶん前に見た20年近く後の「お早よう」(昭和34年)にある場面とそっくりである。

「読んでごらん」

「My sister is three years younger than I」

「何てことだい?訳してごらん」

「わたくしの妹は3歳で、わたくしより若い」

「そうかあ?ちょいと違うな」

「戸田家の兄妹」の話に戻る。女性、それも未婚の女性が外で働くなどということはもっての外らしく、「おコップ」なんて日本語が使われているかなりの上流家庭。母親(葛城文子)の還暦祝いにすでに成人している子どもたち、また孫たちも集まり、父親(藤野秀夫)も楽しく過ごした1日だったが、夜になって急に具合が悪くなりそのまま急逝してしまう。死後、父親が高額な手形の保証人になっていたことがわかったりして、家や骨董を売ることに。

次男の昌二郎(佐分利信)は自ら望んで天津へ行き、母親と未婚で三女の節子(高峰三枝子)は長男夫婦、進一郎(斎藤達夫)と和子(三宅邦子)と暮らすことになる。ふたりが来ることを和子は快く思っておらず、母親と節子にとっては居心地がたいそう悪い。新一郎から相談された長女の千鶴(吉川満子)がふたりを引き受けるが、彼女は息子、母親にとっては孫の扱いが気に食わない。ふたりは別荘へ移ることを決心する。

父親の死去から1年。法要のために帰国した昌二郎は母と妹がずいぶんと傷んだ別荘に住んでいることを知って、「食うや食わずの人間だって、親と子の間はもっと温かいもののはずなんだ。……なんで仏さんがお喜びになるもんか」と憤慨する……。

節子の友人、時子が昌二郎のために持ってきたおみやげが「からすみ」と「このわた」。う~ん。たぶんもう食べる機会はなさそう……。劇中、長女は「千鶴さん」と呼ばれるし、クレジットでも「千鶴」となっているが、和子が「千鶴子さん」と呼ぶ場面がある。

料理屋の女将役の宮本文子には、「東京の恋人」でハルミの母親役として会ったばっかり。それから、法要後の食事の場で、昌二郎が「XXXさん。ちょっと話があるんだ。しばらくあっちへ行っててくれないか。用があったら手を叩く」と言う。仲居を意味する言葉だと思うが「XXX」が聞き取れずわからない。日本語なのに……。