香港からマラヤにやってきた村岡伊平治が、シンガポールで日本人女性が働くアジアの娼館を国営化することを進言する。在シンガポールの領事は女衒の商売や娼婦、また娼館にことごとく批判的であるが、これは歴史的事実に反するのではないかと思う。伊平治の時代は、すなわち「からゆきさん」の時代であり、シンガポールにも多くの日本人娼婦がいたのである。日本人会の有力者も置屋の経営者だったはず。領事館が娼館の商売を知らないはずはなく、それどころかきわめて近しい関係にあったはず。なんて思ったら、映画では村岡伊平治こそがシンガポール日本人会の創設者だった。設立の式典で「会員の九割までがお女郎ですね」。村岡伊平治なる人物は実在していたらしいが謎が多い。シンガポール日本人会の公式ウェブサイトには、あんまり広めたくもない情報だからか、設立者や協力者については何も書かれていない。現代シンガポール、チューインガム禁制で売春合法。

写真は2011年11月に撮影した。これらのいくつか通りは、山崎朋子が「サンダカン八番娼館」で言及している。日本人娼館が集中していたのだ。ただ、たしかチャイナタウンあるいは中国人街と書かれていたような気がする。撮影した場所はチャイナタウンではなく「Bugis」である。大正12年11月に新嘉坡日本人會が発行した「新嘉坡概要」は、シンガポール域内の「料理店 飲食店 貸席業 藝妓業」を男13人、女18人、その他のマレー半島での数をそれぞれ4人、6人とし、「藝妓 娼妓 酌婦」の数を65人(シンガポール)、211人(マレー半島)と記載している。

逃亡した末に戻ってきた娼婦「ふみえ」がマレー人の情夫から聞いたと、「ここはマレー人の土地ぞ」と言う。これはまさにマハティールが主張してきた「Tanah Melayu」に通じるものだ。また「マレー人のまじない」にかからないように豚の油(つまりラード)を塗っておけと女将のしほが命じる場面もある。イスラム教侮辱かなとも思うけど、マレーシアで華人がマレー人との接触を避けるために犬を飼うという話は聞いたことがある。イスラム教では犬は豚と同じほど不浄だから。

ほとんどわかってないスペイン語ではあるが字幕はまったく信用ならん。「31人」が「35 chicas」、「九州一円から広島、岡山、四国、和歌山」が「Tokio, Kyoto, Hiroshima」……。