いずれも谷崎潤一郎の小説が原作だが、必ずしも原作の内容に沿ってはいない。

市川崑が監督した「鍵」は1959年、またともに増村保造による「卍」は1964年、「刺青」は1966年にそれぞれ公開されている。

京都が舞台の「鍵」は、えんぴつで線を引いたような眉の京マチ子(郁子)と中村雁治郎(剣持)が主演。剣持の死を確認したときの郁子がまったく感情なしに言う「死んだ」が印象に残る。また、結末も予想できないもの。ふたりの娘、敏子を演じる叶順子の関西弁はまったくダメ。

「鍵」は83年にも岡田真澄と松尾嘉代の主演で公開されている。こっちは、日本での公開時にはカットされていた場面を含む言わば海賊版がグアムかどっかで上映されたはず。こちらはネット上で探しても見つからない。

嫉妬に苦悩する女ふたりと男ひとりの心理を描いて名作とされている「卍」だが、岸田今日子、船越英二、川津祐介の大阪弁がひどすぎて見ながら笑ってしまう。「お春さん」も落第。若尾文子のはまずまずだが、ときどきおかしい。演技が真剣であればあるほど笑いたくなるのだ。冒頭で園子が言う「もう少し、筆動きましたら」の英語字幕が「write」となっているが、絵画の話のはずだから「draw」でないと。また「お梅さん」という女中さんが字幕では「Oum」と表記されている。

すっきりと見られたのは原作とはかなり異なる内容になっている「刺青」。時代劇なのに。ただ、お艶が助けを求めるとき、近くに恋仲の新助がいることがわかっているのに「『誰か』助けて」というのは不自然かなとは思う。