そして、もうひとつの「北ベトナムと日本政府が国交をもつことについて、躊躇する理由はない」だが、以下の外相答弁は論文が引用している朝日年鑑の文言とほぼ一致している。

第71回衆議院予算委員会2月27日

梅田勝:(北ベトナム労働党機関紙ニャンザンの編集長が「日本とサイゴン政府との関係は、北ベトナムとの国交樹立に当たって障害にはならない。日本がベトナム再建のために寄せるあらゆる援助を歓迎する」と述べており)外相が明確に国交樹立の方向へ進めるということが明言できないのは、どういう理由があるのでしょうか。

大平正芳:これは北越政府がどういうことを考えておるかよく承知した上でいろいろ申し上げないと、こちらのほうで一人相撲をとってもいけないわけでございますから、私どもとしては、十分意思の疎通をはかった上でと考えております。……現在の状況は、少なくとも言えることは、北も南も全土を代表する唯一合法の政府であるという立場を最後まで貫く態度にはなっていないということは言えようかと思うのでありまして、私どもといたしましても、いろんな事情が許しますならば、国交を持つということについて、日本としてちゅうちょする理由はないと考えております……

これら外相答弁を受けて、予算と外務の両委員会によって北ベトナムとの国交樹立交渉を目的とする外務省の三宅和助らによるハノイ再訪が公に了承されることとなった。

ちなみに、党機関紙ニャンザンの副編集長はブイ・ティン中佐だったはずだ。彼は統一後に国が進もうとしている方向に大きな疑問をもつようになる。フランス共産党機関紙リュマニテからの招待を受けた彼は労働党の承認を得て渡仏した後、帰国することはなかった。回想録「Following Ho Chi Minh」において、レ・ズアンやレ・ドクト、また1975年の「ホーチミン作戦」を指揮したヴァン・ティエン・ズンを痛烈に批判している。