日本人選手としてアメリカ大リーグに最初に登場したのは、もちろん村上雅則である。しかし、彼の南海、阪神、日本ハムでの選手時代で記憶されているのは、昭和四十八年のパリーグ・プレーオフのニュース映像においてぐらいだ。
日米にあった壁を「無理やり」蹴破ったのは、村上ではなく野茂英雄だった。現在の競売に近い日米間の制度がなく、任意引退した選手が現役復帰するには引退時の球団においてでなくてはならないという協約を逆手にとった行動だった。任意引退した場合、協約はその選手が海外で現役を続けることを想定していなかった。引退時の球団においてでなくてはならないというのは、あくまで日本国内のことであり、国外で選手として復帰する場合は適用されない。協定の不備を見事についたのが、野茂のドジャース移籍だった。所属していた近鉄バファローズの監督だった鈴木啓示との意見の相違がなければ、大リーグ移籍はなかったかもしれないと彼は言うが1、野茂が破った制度の壁はとてつもなく大きい。ただし、引退後の渡米ということであるなら、江夏豊が野茂に先んじていると言わねばならないが、彼のアメリカでの契約に至る経緯はよくわからない。
1 Whiting, Robert. Tokyo Junkie: 60 Years of Bright Lights and Back Alleys... and Baseball, 2021, Stone Bridge Press, p.318

