アメリカ出身の監督について言えば、日系米人だった阪神のカイザー・タナカ(田中義雄)とボゾ・ワカバヤシ(若林忠志)に始まり、中日をリーグ優勝に導いたウォーリー・ヨナミネ(与那嶺要)、あっさりと退団してしまった広島のジョー・ルーツ、そして南海と阪神のドン・ブラッシンゲームと、いくらかの歴史がある。

 一九九五年、千葉ロッテの監督にボビー・バレンタインが就任する。ジェネラル・マネジャーの広岡達朗が彼を招聘したのだ。打撃コーチにはトム・ロブソンが招かれた。「ロブソン」と聞いておやっと思ったが、南海ホークスに一九七五年の一年だけ在籍した「やっぱり、あのロブソン」で、かなり驚いた。 

 広岡の肝いりで就任したはずのバレンタインだったが、チーム運営を巡ってゴタゴタやギクシャクが始まるには、それほどの時間を必要としなかった。

 広岡が「禁酒禁煙」を言い渡した二月一日からのアリゾナ州ピオリアでの春季トレーニング。バレンタインは午前十時から午後一時半までのスケジュールを組む。日本でのキャンプのように休日があるわけではなく、ましてカンカン照りのアリゾナでのトレーニングなら、それで十分だということである。しかし、起床から就寝まで練習に明け暮れることに慣れている日本人コーチには奇異なものだった。守備コーチの江藤省三と投手コーチの尾花高夫である。練習時間の短縮にバレンタインは反対する。

"'If you increase practice time,' he said, 'the players will get tired. When you get tired, you pick up bad habits. I don't want to force them and I don't want wear them out before the season begins. Sometimes more isn't better. They will round into form at their own pace.'1"

 これまで何度も語られてきた日本人選手は練習で疲れ果てて試合で実力を発揮できないという理論だ。

 

1 Whiting, Robert. The Meaning of Ichiro: The New Wave from Japan and the Transformation of Our National Pastime, Warner Books 2004, pp.179-180