どういうわけか、南ベトナムに存在した超一流の情報源であった人物に言及した日本の報道関係者による記述に出くわしたことがない。この国で取材を行う立場の者なら、この人物との接触がなかったはずはないと強く思われるのだが、開高も近藤も古森も牧も、彼については一言も触れてはいない。ベトナム戦争取材は彼を抜きにしては語れないほどの人物なのだが。

 ファム・スアン・アン。二年ほどのカリフォルニア州への留学から帰国した一九五六年から国営ベトナム・プレス、その後はロイター通信、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン、クリスチャン・サイエンス・モニターの各紙、そしてそして六六年からサイゴン陥落後までタイム誌の記者だった人である。カンボジアで解放戦線に捕らわれたタイム誌記者のロバート・アンソンを救い出したのも彼であった。また、秘密警察を組織して実権を握り、兄である大統領とともに六三年十一月のクーデターで殺害されたニューに直接報告する立場にあって、CIAとも関係が深かった。そして留学に際して査証の取得に尽力してくれた、恩人であるとともに、実は敵でもあった南ベトナム諜報部のチャン・キム・トゥイエンを、後に写真でよく知られることになるサイゴン市内のビル屋上(22 Gia Long Street)から海上へと飛び立とうとするヘリコプターに乗せる手筈を奔走して整えたのもアンだったのである。

 八十年代になってから、アンが解放戦線側の工作員だったことが明らかになる。四四年、十六歳で抗仏組織のベトミンの一員となった後、まったく変わることなく解放戦線に情報を送り続けていたのである。

 彼については二〇〇〇年代になってから、彼の生涯を辿るラリー・バーマンとトーマス・バースによる著作が相次いで出版され、トゥイエンの国外脱出に関する経緯についても詳述がある1, 2。取材される中で、アンは意図して偽情報を記者たちに渡したことはないと断言する。また彼は留学時を人生最高の日々だと述べて、アメリカを熱い好意でもって回顧する人でもあった。彼はそして、アメリカ人記者のアンソンの解放に手を尽くし、また北側によって統一されるベトナムで自らに降りかかるであろう危険におそらく十分気づきながら、陥落が迫るサイゴンからトゥエンを脱出させたのである。陥落直後のサイゴンからニューヨークのタイム誌編集部に送られた最後の原稿は彼によるものだった。

 

 

1 Berman, Larry., Perfect Spy: The Incredible Double Life of Pham Xuan An, Time Magazine Reporter & Vietnamese Communist Agent, Smithsonian Books paperback edition, 2008, pp.218-226

2 Bass, Thomas A. The Spy Who Loved Us: The Vietnamese War and Pham Xuan An's Dangerous Game, University of Massachusetts Press paperback edition, 2018, p.219