その一方で、この構想は中国と韓国(朝鮮半島)と「深みのある関係」を結ぶことを「隣交」と称し、日中韓の関係史教育の充実とともに、この隣交には「韓国語や中国語の語学教育を飛躍的に拡充するのが望ましい」とも述べている1。また「日本国内の主要な案内板には英語と共に両国語が併記されるくらいに『隣交』感覚を研ぎ澄ましたいものである2」とも。中国語教育に本腰を入れるなら、国語科目の一部となっている漢文授業の記号(レ点や返り点)付き、番号付きの教授法をどうするつもりなのか、しっかりと考えてもらわなければならぬ。すでに、あちこちの案内板には日本語に加えて、ローマ字、繁体、簡体の漢字、ハングル、また場所によってはキリル文字の表示があったりする。ローマ字表示で十分だと思い、また「英語と共に両国語が併記」される状況と求めるということは、日本への訪問者に少々の日本語を知ろうとする姿勢、つまり相手側の「グローバル・リテラシー」は期待しなくてもいいということだろうか。

 しかし、日本語と英語に加えて、中国語と朝鮮語の素養を求めるなど、言語教育としては何とも欲張った提言ではないか。文化的な背景から、日本語、中国語、朝鮮語にはいくらかの類似点が認められるものの、日本語を母語とする者が他言語の習得に費やさねばならない時間は相当なものだ。英語だけでもさんざんてこずってきたのに。海外居住が長年であっても現地語の運用能力が「片言+」ぐらいの人はめずらしくない。すべてが日本語で事足りる日本国内にいながら、英語を日本語と併用し、さらに中国語と朝鮮語の素養を得るなど、よほど積極的な意識を以てでなければ実現はまったくほど遠いことだろう。日本国民がこの期待に応えられるとは到底思えない。しかし、この提言内容の良し悪しは別として、二十一世紀の終わりまでにはまだ多くの年月あることを楽観の材料としておきたいが、この提言、小渕首相への提出後、いったいどうなってしまったのだろうか。すっかり忘れ去られているようだけど。この構想にはいくらの税金がかかったのだろう……。「オブチミスト」なんて言ってた総理大臣に「グローバル・リテラシー」を理解させるのは困難だったようにも思う。

 

 

1 『日本のフロンティアは日本の中になる―自立と協治で築く新世紀―』 「21世紀日本の構想」懇談会 二〇〇〇年一月十八日 三〇頁

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