今回の事件の各新聞社の社説を比較して見ました





今回逮捕された男は、出身地の青森県で進学校に通っていた。順調そうだったのに、なぜ自暴自棄になってしまったのか。職場や家庭、生活に不満があったのか。この社会のどこかに生きづらくさせるものがあったのか。

 今の日本社会に閉塞(へいそく)感が漂うといわれて久しい。だが、それは決して他人を攻撃する理由にはならない。

 今後の捜査や裁判を通じて、できる限り真相に迫ってもらいたいが、それだけでは足りない。一見平穏なこの社会のどこかに若者を暴走させるものがあるとすれば、それを探って、何とかしなければならない。

 そうでなければ、巻き込まれた人たちの「なぜ自分に刃物が向けられたのか」という疑問や無念さに答えることにもならないからだ

(朝日新聞http://www.asahi.com/paper/editorial20080610.html#Edit2


多くの容疑者らが、犯行前に孤立感を深めていることにも注視したい。自殺の増加とも通底していそうだが、都市化や就労構造の変化などが進む中で、社会としての包容力が弱まっていることが災いしていないか。

 81年に東京・深川で母子らが殺傷された後、警察庁は多くの通り魔事件を分析、結果を発表したが、今こそ徹底した検証と再発防止策が必要だ。通り魔を常軌を逸した者の犯行と片付けているだけでは、惨劇の再来を防ぎ得ない。

(毎日新聞http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20080610ddm005070003000c.html


わが国は長年、治安の良さを誇ってきた。国民は「治安は警察に任せておけば大丈夫」との認識が強かった。しかし、これだけ凶悪で想定外の事件が頻発したのでは、そうは言っていられまい。

 国民一人一人が治安対策に関心を抱き、安全への自覚を持つことが肝要だ。繁華街などは、警察はもとより地元の商店街、地域住民が安全で安心な街をどう構築していくかも喫緊の課題である。

(産経新聞http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080610/crm0806100422002-n1.htm


社会の安全が、足元で揺らいでいる。福田首相も「社会的背景も含め、対応策を考えてほしい」と泉国家公安委員長に指示した。家庭や学校に問題がないのか。早急に原因を探る必要がある。

 秋葉原事件の容疑者は、犯行の約7時間前に、携帯サイトの掲示板に「秋葉原で人を殺します」などと書き込みをしていた。

 事前に発信元がわかれば、対応が可能な場合もあるだろう。

 現状は、警察が裁判所の捜索差押許可状を取ってサイト管理者などに発信元を照会している。犯行予告があったら速やかに警察に通報され、取り締まることができるような仕組みも検討課題だ。

(読売新聞http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080610-OYT1T00039.htm


不遇から抜け出せない若者の、やり場のない怒りの矛先が無防備な歩行者や買い物客に向けられたのなら、凶行は繰り返されるおそれがある。格差や貧困の広がりを食い止め、若者が希望を持てる社会を築かなくてはならない。

(東京新聞http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2008061002000096.html


秋葉原では最近、「美少女」が登場するアニメやゲームソフトなどを扱う商店が人気を呼んでいる。アニメの登場人物の服装を着る「コスプレ」を路上で楽しむ若者もいる。現実味のない仮想の世界が広がる。

 殺人という犯行に、男はどれだけ現実感を持っていたのだろうか。事前にインターネットの掲示板に、犯行予告を刻々と書き込んでいたことも、ゲーム感覚だったようにうかがえる。

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もっと気がかりなのは、土浦の事件の容疑者も一時、秋葉原に身を潜めていたことだ。昨年八月に山口県で祖父を殺害した男子高校生も事件後、秋葉原に立ち寄った。

(北海道新聞http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/97973.html


そこから凶行に踏み出す前に何とかできなかったのか。見えない心を察知するのは容易ではないが、今、最も現実的な防止策は、周りの人々が追い詰められた状況に気付いてあげることではないだろうか。ここまでゆがんだ社会。追い詰められた人はほかにもいると考えられる。
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 事件を受け、町村信孝官房長官は銃刀法の規制強化の在り方を検討する必要があるとの認識を示した。それも重要だ。だが、病根を明確にし、そこを徹底的に是正しなければ、規制強化は対症療法にしかならない。別の凶器を使った「不満の爆発」が起きる可能性もある。
 人の心をむしばむ社会状況を何とか変えなければ。二度と犠牲者を出してはならない

(琉球新報http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-132994-storytopic-11.html


 しかし立ちすくむ場合ではない。警察は、犯行の経緯を調べる中で、無差別殺傷を抑止するのに少しでも効き目のある手立てを探らなければならない。殺傷力の高い凶器のナイフに、犯人は、どう目をつけ入手したのか、また人が大勢集まる場所に警察官を目立つように配置していたらどうだったのか――といった警察の力が及ぶ点に、まず検証が要る。
 犯人の心理の分析も欠かせない。「世の中が嫌になった」心理状態が何を契機に「誰でもいいから人を殺したい」に至ったのか。心理学や犯罪学の専門家の手を借りて解明してもらいたい。
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 秋葉原の犯人は、下関の事件の3週間前に、東京・池袋の繁華街で通行人を襲った男と犯行時の年齢がほぼ同じだ。男は、「むしゃくしゃしていて、誰でもいいから殺そうと思った」と言い、自宅に犯行をほのめかすメモを残していた。今回の犯人の供述内容や、ネット掲示板に携帯電話から犯行を予告するメールを送りつけていた異様な行動は、おぞましいほど相似している。
 99年末に掲載した、1年を振り返る本社の社説は次のように書いている。「無差別殺傷事件で逮捕された若者はそろって、自身の社会的な挫折が引き金となって募った『世間への恨み』を動機として供述した。時代は再挑戦が可能な開放的な競争のしくみと、挫折者の恨みを和らげ社会の信頼を維持する多様な安全網を必要としている」
 状況は、今も、変わっていない。

(日経新聞http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20080609AS1K0900309062008.html


考えるべきは、容疑者が判で押したように「誰でもいい」と語った背景だろう。人生への失望が、なぜ無差別殺人に結び付いてしまうのか。
 憎んでも余りある凶行である。だからこそ、そこに至る過程を丹念に解きほぐす努力を怠ってはなるまい。同種の事件との類似性や違いを分析し、容疑者の深層心理にまで踏み込んでいく捜査と審理が求められる。
 事件の特異性に目を奪われているだけでは事の本質を見失う。

(新潟日報http://www.niigata-nippo.co.jp/editorial/index.asp





感想

朝日、毎日、東京、琉球

は、どちらかというと、容疑者は社会的な環境要因のせいで

犯行にいたらざるを得なかったというような内容ですね


産経、読売

は、容疑者云々よりも、セキュリティのほうを重視した内容


日経

は、セキュリティ&社会的な要因


新潟日報

は、犯人の心理を追求していけば本質が見えるということか


北海道
は、秋葉原に対する差別的な感じがみうけられるんすけど・・



こうして各社読み比べしてみると

ぜんぜん言及の仕方が違うのでおもしろい


結局あーだこうだ原因分析をしても

こういう事件の再発防止はできないのではないか

どの時代でも、孤立していって、自身の不遇を嘆いて嘆いて

犯行にいたるということはありうる

八つ墓村の元となった津山事件とか

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6

「みんなで声を掛け合って思いやりのある社会作りを」とかいったって

そんなの理想論だし、一人一人自分のことで精一杯だろう

そういった目標を掲げることで終わってしまって、実際に行動に出る人は

いないだろう

んー、考えれば考えるほど

原因分析は無意味な気がしてきた

事件の背景として、いろいろ家族関係とかが調べられて

興味深いとは思うけど、同様の環境で万人が同様の犯行に及ぶとも思えないし

とりあえず、事件に影響されず

同じようにこれからも生活していくだけ

でしょう