「十戒」の主役モーセは、ヘブライ人の子で、神様から十戒を授かった預言者と史書にはありますが、そのとおりだそうです。

当時のエジプトの首都は、調査どおり、メンフィス博物館の在るイネブ・ヘジにあったそうです。

 

当時、エジプト王の迫害は酷く、数万人に及ぶヘブライ人を助けるために、モーセは神の力を借り幾つかの奇跡を起こしたとされていますが、全て本当の事だったようです。

ですから、旧約聖書の出エジプトは事実なのだそうです。

 

モーセがエジプト王に見せた奇跡には、モーセの杖がヘビに変身した様に幻影を見せたり、実際の疫病を流行させたりしたことで、エジプト王は恐怖し、ヘブライ人がエジプトを脱出する際には、追っ手などは無く、エジプトを出て行ったそうです。

 

ですから、途中、エジプト軍から逃れるために神が黄海を二つに割り、ヘブライ人達は海底を進んだとなっていますが、残念ながら逸話だそうです。

 

そもそもエジプトを出発して目的地に辿り着くコースに黄海を渡る様なコースはありません。地図を出して線を引けば直ぐ分かる話しです。

 

エジプトを離れたモーセ達は、神から新天地を約束された土地が在る東へと進みます。その途中、シナイ山で神から十戒を授かったとされています。

 

この中で出てくるシナイ山は、神様が記憶を辿ったところ、ナイル川沿いのメンフィス(旧名:イネブ・ヘジ)の対岸にあるヘルワンという町の北東3km程の所にある山だと饒速日尊は明言しています。

 

ネットでシナイ山を調べると、シナイ半島南部にあるシナイ山やホレブ山などが比定(推定)されていますが、神が大勢の民を連れて移動中のモーセにわざわざ何百キロも遠回りさせるなど考えられません。

 

話しを戻します。モーセは、シナイ山で神(天の川銀河の太陽系がある区長)から十戒の石板を授かったとのことです。その後、なおも東へと進みます。

 

皆様には申し訳なくも、残念ながら、私は出エジプト記を読んだことがありません。

この出エジプト記には、エジプトを出発して40年もの長きに亘り、モーセ率いる民は放浪したとあります。

 

飲食物も無く砂漠の様な土地を数千人が40年間も旅をする?そんなバカなです。

到底常識では考えられません。

 

でも、饒速日尊はそんな事は仰っていません。わざわざ過去を紐解いて頂いた内容は次のとおりです。

エジプトを出発して6日目、民の一部から「パンや水が欲しい」とモーセに詰め寄ったため、神はパンと飲み水を民に与えたそうです。

 

しかし、一部の民はパンと水だけでは我慢できず、日を追って堕落していったそうです。

9日目になって、民の一部が、現在のニュー・カイロの新都心(建設中)部の南端部に於いて、神から授けられた十戒の掟を破り、有名な「金の子牛」事件が起きたそうです。

 

神は怒り、堕落の一途を辿る者達のみに怒りのイカヅチが突然落ち、堕落者全員の命を奪ったそうです。

この時に残った民は数千人だけだったそうです。屍は放置され、残った民のみで旅を続けたそうとです。

 

因みに、この事件があった地は、地図で線を引けば分かりますが、エジプトを出発して到達地のヨルダンのネボ山麓まで山を避けたルート上にありました。饒速日尊から概ねルートは合っているとのことでした。

 

そのコースは次の様になります。

メンフィス⇒ヘルワン⇒ニュー・カイロ副都心南部⇒山岳部の北側を通ってスエズ⇒北上し地中海沿岸部⇒イスラエル西端⇒死海の西海岸⇒ヨルダンのネボ山麓でした。

 

ほぼ目的地まで大勢の民が移動できる最短ルートだと考えます。

神様が誘導しているのですから、遠回りは絶対しないと確信します。

 

因みに、エジプトを出発しネボ山の麓に到着するまでに46日間を要していたそうです。

全行程を地図上で概略引いてグーグルアースで測定してみたところ、約600kmを旅したことになります。

 

一日平均約13kmで移動していたことになります。ほぼ砂漠と小山の様な土地ですから、さぞ、大変な旅であったと思います。

 

考古学では出エジプトは紀元前1295年頃になっていますが、神様は違うと云われています。

この時代のエジプト王はラメシス1世で間違いありませんが、時代は紀元前262年の出来事だそうです。

 

因みに、先程、神ヤハウェ(天の川銀河の第10区長で本当は名前など無いそうです)様に直接、モーセ授けた十戒の件と約束の地までのエピソードについて伺ってみました。

 

すると、確かに2300年程前にモーセに十戒を授けた。当時のエジプト王が云う事を聞かないので、王に幻惑を見せたり、エジプトの民に疫病を発生させた。

 

しかし、エジプトを脱出させたモーセ達に「40年間イスラエルの民は荒野の地に留まるだろう」とは言っていないし、彼等の旅は一月半程度だった。また「金の子牛」事件の時にイカヅチで罰した。

 

その際に数万人居た民は、数千人へと減少した。と饒速日尊が教えてくれた内容と一致していました。

幸いな事に、「般若心経」を通じて全宇宙の神々とご縁を結ば差せて頂いているのでお聴きする事は可能です。ただし、今回は、天使総長様に許可を得て、第10区長様に接触し教えて頂きました。