人間にとって生きていくために必要不可欠な物の一つが「塩」です。

飽食の現代では「塩」は悪者扱いですが決して欠く事が出来ない物質でもあります。

 

古来、「塩」は政治にも使われるほど貴重な物であり、歴史を見ても明らかです。

さて、「神様と塩」についてですが・・・。

 

一般的に「塩」は穢れや厄災を祓い清めるために使われる物とされています。

では、穢れとは一体なんなのかというと・・・

 

「穢れ」を辞書で引くと、忌まわしく思われる不浄な状態と書かれていました。

今一つ私には理解できなかったので、饒速日尊にお伺いしました。

 

すると、「穢れ」≒「喪」だそうです。

「穢れ」は物質で「喪」はエネルギーの違いはありますが

 

理由抜きで、何れも神様が物凄く嫌います。

そもそも「穢れ」は神様が教えた言葉だそうです。

 

先ず、「喪」については、以前の投稿を簡単に説明すると

「喪」とは、屍から一定期間出る負のエネルギーで、神様の力を弱めてしまう気の様なものです。

 

それに対し、「穢れ」は物質で、端的に云うと「血液」の死を意味する言葉だそうです。

「穢れ」は人間にとってではなく、神様にとって忌まわしく不浄な状態なのです。

 

信じられないかも知れませんが「血液=赤血球」は、その人個人を造る素です。

医学を学んだ人は一笑の下に否定すると思います。

 

「赤血球」を簡単に説明すると、遺伝子を持たないが、その人の身体(細胞)の大元です。

人は「赤血球」から派生して各細胞に変化し人の身体を造っています。

 

それは事実ですので議論を待ちません。

それを理解している方は世界中に居ますが、医学の大御所たちが触りたく無いのです。

 

戻ります。

「穢れ」とは、この「赤血球」の死を意味します。

物質である「血液」の死です。

 

ですから、「人の死」や「死に直結する疫病」「出産」「月経」は

神様にとって「穢れ」なのです。

 

そこに、人の尊厳だとかハラスメントだとか差別だとかは全く関係ありません。

なぜなら、「穢れ」とは神様にとって忌み嫌う事だからです。

 

本来の「穢れ」の意味は、人間にとって何の影響も無いことなのです。

人間が勝手に意味を履き違えているだけです。

 

「塩」は、神様にとっての「穢れ」を清めることが出来る

唯一のものなのだそうです。

 

ですから、神事に関わる際には、海水や塩水で身を清めるのです。

神事に使われる「塩」は粗塩が好まれるとありますが、ウソだそうです。

 

海水から造られる「塩」であれば、どのような「塩」でも良いそうです。

家や部屋の四隅に「塩」を置くのは、神事的に場を清めるためだそうです。

 

よく「塩」で魔や邪気の穢れを祓い清めると云われますが、

「塩」にはその様な力は無いそうです。

 

「神様と塩」の関係には、現界において

「穢れを清める力」の他に「場を清める力」があるそうです。

 

因みに、神界を含む霊界には必要が無いので「塩」は存在しないそうですよ。

以上が、「神様と塩」の関係でした。