私の母の関連で「喪」に入ってしまうかと思いきや、母が元気を取り戻し現在は「喪」が解けています。

そこで、良く聞く、神社と「喪」の関係について書いてみたいと思います。

 

一般的に「喪」の期間は参拝してはいけない。家の神棚にも白幕で目隠しお参りをしてはいけない。

と言われます。また、女性は生理中は神社には行ってはいけないとも言われます。

そこで、意思疎通能力の乏しい私なりに「喪」と「血」について、Oリングで伺ってみました。

 

先ずは「喪」についてです。

「喪」とは、人が亡くなった時に、亡くなった方との関係に応じて設定される期間を言います。

では何故「喪」が設定されるのでしょうか。

 

人は亡くなると現世から霊界に行くまでの間、幽界という世界で「霊」になる準備をします。

亡くなって幽界に居る間は「人間」から「霊」に変化している最中なので、神様とは意思疎通が出来ません。

なので、神様から幽体となった方は得体が知れない存在なのだそうです。だから嫌うそうです。

しかし、予め設定されている「喪」の期間中であっても、亡くなった方が「霊界」(成仏)に入ったことが分かれば「喪」は解けるそうです。

でも、残念ながら現世の人間にはそれが分からないので、神様が設定した一定の期間を「喪」としているそうです。

饒速日尊に確認したところ、これで概略合っているそうです。

 

次に「血」についてです。

「血液」は「赤血球」「白血球」「血小板」から成っていることはご存じのとおりです。

ただ、「赤血球」には遺伝子はありません。そして、「血液」勉強された方はご存じと思いますが、「赤血球」から色々な細胞に変化することが出来ます。云わば、「赤血球」から身体が出来上がったと言っても過言ではないかも知れません。大胆に言えば「赤血球」=「人」でもあると言えます。

ただ、医学的には医学の一丁目一番地が崩れるので必ず否定されます。

 

でも「赤血球」から色々な細胞に変化していることは事実です。それを知ってかどうかは知りませんが、一部の宗教の宗派では輸血を嫌うのはそのためだと思います。

 

ただ、私は宗教には一切興味が無い事を予め申し添えておきます。

 

と云うことで、「赤血球」=「人」とも言える「赤血球」が混じった「血」=「人」が神社の境内に落ちれば、「血」が放置されることで、大袈裟と思われるかも知れませんが「死体」が放置されることになります。「死体」を神様は嫌います。ですから昔は、その可能性のある生理中、又は生理に入る可能性の有る女性は参拝してはいけない。となったのだと思います。

 

しかし、神様に伺うと、生理用品が進歩した現代では、生理中でも参拝して差し支えないそうです。ただし、生理用品を着用していることを前提にです。

 

一方、「血」が滴る様な状態で境内に入るのはダメです。理由は説明したとおりです。

もし、境内で鼻血が出たり、ケガをして「血」が滴ってしまった場合は、その場を塩で清めるか神社の方にお知らせすることをお勧めします。理由は言わずもがなです。

 

以上、神様が嫌う「喪」と「血」についてでした。