第三次中東戦争(六日間戦争)とイスラエル占領地の拡大(⑦立山良司著イスラエルとパレスチナで) | わかったできたの笑顔がやる気スイッチを押すこじんまりしたこじま塾。

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ファタハらのゲリラ活動で高まった中東の緊張は1967年春にはさらにエスカレート。慎重なエジプトのナセルも行動を起こさざるえなくなる。
5月22日、紅海とアカバ湾を結ぶエジプト領海のチラン海峡封鎖を宣言する。
イスラエルの船は同海峡を通過することができなくなる。また、イスラエル向けの戦略物資を積んだイスラエル以外の船舶も通過することはできないとした。
スエズ運河の通航を許されていないイスラエルにとってはアカバ湾だけがインド洋方面につながっており、でなければアフリカ大陸をぐるっと一回りして地中海から入ってくるしかない。イスラエルはただちにエジプト、シリアに対する先制攻撃の準備を開始した。
戦争を予期しながらもイスラエルの行動を読み切れていなかったアラブ側に対してアラブ側の行動を完全にモニターしていたイスラエル。6月5日、エジプト時間午前8時45分、シナイ半島、スエズ運河地帯、さらにエジプトカイロ周辺にあるエジプト空軍基地はイスラエル空軍の猛攻にさらされた。
突然の空襲に飛び立つ間もなく滑走路上で次々に破壊されたエジプト空軍機。
開戦から3日目の6月7日にヨルダンが停戦を受諾、翌8日エジプト、残るシリアも6日目の6月10日ついに停戦を受け入れた。
六日戦争、六月戦争とも呼ばれる第三次中東戦争は、ファタハらパレスチナゲリラ組織が狙った通りにアラブ諸国とイスラエルの全面戦争になったが、結果はイスラエルの圧倒的勝利と占領地の拡大に終わった。
ヨルダン領となっていたエルサレム旧市街を含むヨルダン川西岸、エジプト占領下のガザ地区、パレスチナ全域に加えてシリア領ゴラン高原、エジプト領シナイ半島もイスラエルの手に。支配地はわずか六日間で四倍以上になった。
広大な地域を支配下において停戦からわずか三日の6月12日、エシュコル首相は「67年戦争の占領地全域からの撤退はありえない。イスラエルは防衛上必要な地域を絶対に手放さない」と、演説。第一次中東戦争の際に引かれた休戦ラインまでイスラエルが撤退する意思をもっていないことを明らかにした。
エルサレムを東西に二分していた休戦ライン沿いのバリケードも取り除かれた。
イスラエルはエルサレムを「統一された首都」と宣言。ヨルダン領だった東エルサレムを併合した。
第一次中東戦争でヨルダン川西岸とガザ地区に逃げ込んだパレスチナ難民のうち19万人が再度難民としてヨルダン川東岸に。もともと住んでいたパレスチナ人のうち20万人も難を逃れた。
1967年末までにはヨルダン川東岸に逃れてきた難民の数は74万人に膨れ上がった。当時のヨルダン川東岸の人口200万人のうち三分の一がパレスチナ難民。ヨルダンの政局は極めて不安定になった。
一方ヨルダン川西岸、ガザ地区に残ったパレスチナ人110万人はイスラエルの占領下で生活することに。やはり占領地になったシリアのゴラン高原に残ったイスラム教の一派とされるドルーズ教徒1万人も同様だった。
パレスチナ問題の解決はより難しくなった。