山田太一さんの訃報と寺山修司との交流。 | わかったできたの笑顔がやる気スイッチを押すこじんまりしたこじま塾。

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府中市分倍河原のこじま塾という個別指導の学習塾で日々教えてます。高校の勉強、小中一貫生、単科生にも対応します。hpもあります。都立入試問題解説など受験に役立つ情報満載。数学の問題なのに国語も勉強できたり。読む力、書く力はすべての科目に通ず。

 

山田太一さんが亡くなった。不揃いのリンゴたちが一番リアルタイムで見た世代だが、男たちの旅路特攻隊帰りのベテラン警備員鶴田浩二と今は泰然自若で紅茶を手にする水谷豊や桃井かおり、森田健作が今どきの若者や真面目で熱血なな若者役で出ていたり、じぶんの住んでいるところからももよりの多摩川が舞台の岸辺のアルバムは当時駆け出しディレクターだったというTBS堀川とんこうさんの本も愛読している。
そんな作品群を書いた山田太一さんと寺山修司さんの付き合いを初めて知ったのが虚人寺山修司伝田沢拓也。「虚人」というのがなんとも誤解を生むが読んでいくと寺山の葛藤や世間との付き合い方、自分の見せ方などなるほどと思わせられる。

その中の山田太一さんに関する記述。

抜粋
山田太一は河出書房の雑誌文藝の学生小説コンクールで次作に入選していた。(特選が気になる)次作だったために作品は掲載されなかったが、「早稲田大学教育学部国文科山匁太一」と名前が掲載されていた。修司はその「文藝」を読んで、さっそく山田を探し出し、話しかけてきたのである。

山匁については字をくずして書いたらそう印刷されてしまったと「美少年の」山匁は答えたとある。

記事を見ると本名は石坂太一とあるので学生時代からペンネームで投稿していたのか、と思うと小説家として大成しようと気概を持っていたという記述の一端が見える。
ふたりはチェホフ、ヴァレリー、中原中也など文学論をたたかわせ、勉強してきては次に会う時にまたこれを読んだかというように競い合った。

卒業後にまたふたりが出合うのは映画の現場。
松竹の駆け出しの助監督山田が再会したのは篠田監督と仕事をする気鋭の寺山修司のロケ現場だった。

抜粋
ドアを開けたら、修司がストーヴをかこんで女優たちと談笑していた。
「あっ」
山田に気が付いた修司は、
「やぁ」
それだけで何の会話のやりとりもなかったが山田は深く傷ついた。

この後、山田太一さんと寺山さんの間にまたさまざまドラマが書かれているのだが、このへんに。

山田太一さんのご冥福をお祈りいたします。