母の認知症が判明してからは先行きの不安ばかりに囚われてしまい、かといってその不安を解消できる術も持たず途方に暮れかけてたときに、#認知症相談、◯◯市で検索してみると「地域包括支援センター」の初めて聞くことばがヒットしてきた。

意外にも目と鼻の先だったその支援センターに藁をも掴む思いで駆け込み、その時対応してくださった元看護師さんの優しい眼差しに胸の支えが取れ、初めての合うそのかたの前で泣きながら現状を吐露することになる。

泣いた、泣いたw。

とりあえず強い見方を見つけて介護の道の小さな一歩を踏み出したものの、まだ実際認知症の母とどう向き合えばよいのかわからず、家に帰れば心ない言葉を散々浴びせては自己嫌悪に陥るという悪循環の日々をおくることになる。

   父はというと呑気なもので、いつか夢でも覚めるように突然目が覚め正気に戻ると本気で思ってたらしい。

ンナワケアルカーイ。
最初の異変に気付いて程なくしたある日一枚の写真を持ってきて、「あなたの抱いてる赤ちゃんは誰の子?」と聞いてきた。

「いとこのゆう子ちゃんの子供だよ。」

「、、、ゆう子ちゃん?知らないわよ。」

「栄子おばさんとこの長女のゆう子ちゃんだよ!?」

「、、、。うふふふ(はぐらかし笑い。)」

名前を忘れたのではなく、存在自体が記憶からなくなっていた!完全アウト!!

翌日、健康診断だからと嘘をついて脳外に予約を入れてMRIと長谷川式スケールで早速診断。

「今日は何月何日ですか?」

「新聞に書いてあるわよ。」

「、、、。野菜の名前をあげてください。」

「八百屋で売ってるもの。」

「、、、。具体的にわかりますか?」

「サラダの中に入れるものよ。」

後ろで父と僕は笑いをこらえるのに必死だったが、その後MRI画像でも脳の萎縮が確認され初期のアルツハイマー型認知症という診断がくだされた。


   病院を出ると陽は傾き、長く伸びた僕の影に隠れるようにひょこひょこ後ろを歩く母はどこか虚ろで、不安気だった。

、、、車の免許取らなくちゃ。徘徊したら迎えに行かなきゃならないし、、、。


   夏の暑さがまだ残る湿った風が、僕ら家族をゆるく包んでいた。
その頃は実家の近くで一人暮らしをしていて、月に1,2度夕食時に顔を出す程度であまり両親と上手に付き合えなかった僕は少し距離をおいていた。

   料理が得意だった母は予告なしに訪れても、ササッと冷蔵庫にあるもので数品作ってくれていたのが次第に品数が減っていき、料理もウィンナーを炒めただけだったりレトルトカレーに茹でた野菜をいれただけなどの簡単なものに変わっていった。

そしてある日の夕食、ご飯として「食パン」が出され、おかずに「あんパン」が出されたことがあった。

「ヤバいぞ、、、。」