③
月曜日。いつものように作業服に袖を通して、作業場に向かう。いつもと何も変わらない、ライン作業が待っていた。
高校卒業して、特に何がしたいということもなく今の会社に入って、もうすぐ7年になる。
刺激がある職場というわけではなかった。決して大きな会社でもない。ありふれたテレビ部品の組み立て工場である。
大手の孫請け会社。地元ではそう呼ばれている。初めて就職が決まった時、ひとり息子が無事就職したということで家族みんなが祝ってくれた。正直、うれしかった。
だが、どことなく違う気もしていた。
自分には夢があった。そのためには大学か少なくとも専門学校に通うはずだったのだ。
マサトのプランが狂いだしたのは、中学3年の頃、父親が経営していた小さな町工場が倒産したことだった。一家の大黒柱は家族を養うため、自動車部品の工場に再就職した。
ちょうどそのころは、不景気の真っただ中にあり、父親の稼ぎで家族を養うのが精いっぱいだった。もちろん母親もスーパーのレジ打ちのパートで家計を助けてはいたものの、生活費を稼ぐどころではない。 事業の失敗という重荷は、思いのほか大きかったのである。
何よりも、後に残った負の資産―――莫大な借金。
それはマサトの進学にも大きな影を落とす結果となる。当初目指していた私立の高校を諦め、地元の公立工業高校に進んだ。
マサトもこのころからしだいにふさぎがちになっていく。親しい友達もいなかった。活発だった少年はその未来の大きな目標を見失いかけていく。
部活動には所属せず、同級生たちがグラウンドや体育館で動き回り、汗していたころ、マサトはアルバイトをして家計を助けるようになる。
本来ならアルバイトは原則禁止としていた学校側も、マサトの家庭の事情などが考慮され、特別に認められていたのである。
しかし、学校に申請していたアルバイトとは別に、深夜までやっている飲食店で働きだす。そうでもしなければ、生活の維持もままならないほど窮していたのである。
そんな中、無事高校を卒業しても、進学の夢は諦めざるを得なくなる。
本来、大学を出ていた方が就職の門戸も広がるわけだから、積極的に進学を勧めてくれていた教師たちだったが、父親がそれを頑なに拒否したのだ。4年後の未来よりも、今日、明日の生活をどうするか。それが問題だった。
かといって、マサトは親を恨んではいない。結果としてすぐには夢に届かなかったものの、決して諦めきったわけではない。
物事にはタイミングというものがある。今はその時期ではないだけのことなのだ。チャンスは必ず巡ってくるはずだ。マサトはそう信じていた。
★★★
マサトは持ち場について、作業を始める。その間、同僚たちとはほとんど口を利かない。ただもくもくと手を動かしていく。もう何年も似たような事の繰り返しだった。昼食も会社支給の弁当を一人で食べることが常である。午後の作業も特別なトラブルもなく、スムーズに進んでいく。
仕事を終えるのはおおよそ18時。素早く着替えを済ますと、携帯を確認する。
メール着信、2件。
「今日は予定通りに終わりそうなので、いつものところに20時でいいかな」シンジからである。もう1件は・・・ヒカリからだった。
「昨日はどうもありがとうございました。またシンジ君とライブに出られることがあれば、応援に行きますね。頑張ってください!」
絵文字は一切なし。デコレーションをされていないシンプルなメールだが、逆にその方がマサトにとってはありがたかった。どうしてもデコメールというのは苦手なのである。
昨日、別れ際に何気なくアドレスの交換をしたが、しておいて正解だった。マサトの電話帳にはほとんど女性の名前はない。基本的にあまり人と群れることが好きではない。いや、好き嫌いではなく、苦手なのだ。
しかし、ヒカリはマサトから見て魅力的だった。歳はほとんど変わらないはずだが、どことなく落ち着きがある。一言でいえば大人なのだ。
車に乗り込み、エンジンをスタートさせようとしたその時、携帯が鳴る。シンジからである。
「もしもし?」
「お疲れ。今いいか?」
「大丈夫。なんかあった?」
気のせいかシンジの声が上ずっている気がした。何やら興奮状態らしい。よっぽど何かがない限り、そんなしゃべり方はしないシンジである。何かあったな、とマサトは直感した。
「詳しくは後で話すけどさ、すごいことになりそうだぜ」
「すごいこと?ワンマンライブでもできるっていうの?」
「そんなんじゃないよ。もっとすごいことだ」
もう興奮が抑えられなくなっている。声が裏返し始めた。これは本当に何かあったのだろうか。
「もったいぶらないで言ってよ」
「聞いて驚くな。おれたち、メジャーデビューできるかもしれないぜ」