心と汗と花 | BuzzerBeat 斎藤工宝詞 公式ブログ

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感動映像プロデューサー

BuzzerBeat の

斎藤工宝詞です!





連載シリーズ書くのも

成功事例でなく

私の失敗事例なわけで ^_^;

けっこうなパワーが必要です。




10年前とは言っても

イヤな汗が

出てくるんですよね (笑)





長いけど、よしっ

書かせていただきます!^_^;





いろんな試行錯誤を

くり返しても

なかなか結果が出ない中





妻とココスで

「夕飯を食べて帰ろう」

ということになりました。





私とすれば

やるだけやったけど

「もう閉めようか…」

と妻に打ち明けようと

思っていた、まさにその日。






「さいとうさん♪」





聞いたことのある

甲高い声の主は、





事務用品で取引のある

私を担当してくれていた

HKさんでした。





「私、会社を辞めることになって

斎藤さんに挨拶行かなきゃ

と思っていたところだったんです…」





私は光が見えた!

と思いました。

(こんなこと、あるんだぁ…)










私にはHKさんが

まるで火の鳥に見えました。





なぜなら、以前から

HKさんのようなスタッフが

いてくれたらな…と

ずっと思っていたのです。





HKさんは事務用品の会社の

スタッフの中でも異次元でした。





とにかく親切。

まわりのスタッフさんが

効率重視で動く中

HKさんは

自分のことを放り投げても

お客様に尽くし抜く子だったんです。

私はいつも

HKさんを指名していました。





わかりやすく言ったら

一生懸命接客をしていて

夕方遅くになって

「お昼食べるの忘れてました~」 笑

って笑って言える 超天然!





もっとわかりやすく言ったら

根っからの商売好き。

お金だけのためでもなく

名誉とかのためでなく

根っから

お客様のお役に立ちたいオーラが

にじみ出ている子だったんです。





そして、街一番の

事務用品を扱っていた会社に

勤めていたので

地元生まれということもあり

この街のことは熟知しています。






(この子がいればやれる!)






もう私はジャニーさん張りに

「じゃ、YOU うち来ちゃいなよ!」

と軽いノリと

目は真剣の

熱いノリで誘ってみました。





でも、留学していた

オーストラリアに数か月

旅行に行きたいと HKさんは言い





「じゃ、旅行から帰ってきたら

お店に遊びに来てよ☆」




とだけ、約束を交わし

それ以降はHKさんが

来てくれることだけが

モチベーションの毎日となりました。




しかし、待てど暮らせど

来ないわけです。(約半年)





しかし、

縁とは不思議なもの

HKさんは帰国後

約束通り来てくれたんです。。。






これHKさんにちょっと似てます!(笑) ↑





もしあの時、ココスじゃなく

デニーズだったら

もしあの時、1時間ズレていたら

この出会いはなかったんですね。






私は 今のお店の現状を話し

とにかくHKさんにこの土地の

特徴を聞きまくりました。





すると、だんだんと

見えてきたんです!

見えなかった 突破口が





ここを書き始めると

もの凄く長くなるので

少し割愛させていただきますが





新参者を受け入れない

地域で、とにかく

撤退の早い地域だと。





何を売っているかより

誰が (どんなやつが)

どんな想いで

商売してるかを見られている。





でも、一度気に入ったら

ご近所や親戚まで

紹介で連れてくる地域だと。





なるほど!と思いました

今まで埼玉のやり方を

「どんなもんじゃい!」 的に

持ってきた私は 

てんで機械的で、まったく

郷を無視していたんです。






お金を出して下さる

お客様を完全に

ナメていたわけです。






そして

ライバル店の傾向を聞くと





もの凄く接客が悪い。

売ってやってる!感が強く

買いにくいし、感じが良くない。

とHKさんは教えてくれました。





これだ!と思いました。

その逆をやれば

受け入れてもらえるんじゃないか?

(斎藤は結構…単細胞 ^_^; )





とにかく感じのいいお店

でも、知識やアドバイスは

若くても 超頼りになるお店!

大手ができないフットワークとスピード

ようは、志高く 腰低くです。





そして、HKさんが入社して

2日間ビッチリ教え込んで

私は営業に出まくりました!(笑)





誰が売ってるが大事なのであれば

「私が売ってる!」 (笑)

と顔を出しにいけば早い話です!

(斎藤は結構…単細胞)笑





不安がるHKさんに

「どうせ お客さん来ないから!」

と言って 店に置いていき (笑)





その日から

ガンガン営業に行きました!

当たらなかった  【的が】

ようやく見えてきたわけです。





他社がカタログを送っている

用途も、私は顔だしで

何日も何件も

何万件も営業をしました。





ここ少しワープしますが、

すると

「わざわざ顔を出してくれたのは

お宅の店だけだったわ…」

と、だんだんとお客様が私を

指名してくれるようになったんです。





この時 思いました。

「なんで俺は

人に聞かなかったんだろう…」 と。





恥ずかしいとか…

馬鹿にされるとか…

今さらとか…





そんなプライドは

猛毒だったんだなぁ

と気付かされました。





人に聞いて

視点をズラせば

街の中は 答えだらけだったのに

それが自分のやり方だけしか

見えなくて、お客様のツボ、

本質が見えなかったんです。





そこからは

妻とHKさんと私の連携は

それは見事なものでした!





「あの店は感じ良い!」

「あの店は親切!助かるよ」

「あの店行ってみな

みんな若いのにいい子よ!」





実は、心からの親切って

一番口コミになるんですよね。






そして、私は父の言葉を

思い出しました。

(自分にしかできないものをやる)






ギフトの商品はほぼ

どこに行っても同じなので





私はお客様の困ったを埋める

自分だけの企画物を作って

ジャンジャン動きまくったのです。





いい企画があっても

知っていただかなければ

宝の持ち腐れです。





古い考えかもしれませんが

この足で

この顔で ^_^;

直接 私達の企画物の

ご案内を届けまくりました。





そして、この時編み出した

自分だけの企画物が

10年以上経った今でも

何度も手を加えて

弊社のスタンダードになってます。





ようはこの時に

今のスタンダードが

お客様の意見を集め抜き

現場で 誕生したわけです。






またここから少し

ワープしますが、

そこからもうありがたいことに

口コミだらけでした。





お客様がお客様を連れてきて下さり

売り上げは一気に右肩上がりとなり

売上は初年度の倍になりました。





親切だけでもダメ

企画物だけでもダメ





親切プラス

お客様の困ったを

徹底的に埋める

自分たちにしかできない

企画物という

この両輪が走り出したのです。





そして、何でもやろう

と欲張らずに

◆ しぼりこんで

◆ 特化したのが

いい方向にいったのだと思います。





その時にはじめて

【 心と汗と花 】

という、何ともカッコ悪い 

社訓が生まれました。






【 心と汗と花 】


◆心から仕事に取組み

仕事を人生の修行とし

お客様の心に花を

自らの人生にも花を咲かせます。





あまりに昭和みたくて

洗練されてませんが ^_^;





お客様のために

汗をかく犠牲心を

決して惜しまず

お客様のお役に立てればこそ

自分もお店も自ずと成長し

もはや販促さえもいらなくなる。

それが我が社の理想です。

という意味合いの社訓です。






何でこんな社訓が

生まれたかといいますと





私は自分の花ばっかり

追いかけて

お客様の心に花を咲かせる

なんて、当時はさらさら

考えていなかったからです。





ですから

一時はうまくいっても

それはマグレ

本当の実力ではなかった。。。





その視点を教えてくれたのが

妻とHKさんの

お客様に対する誠意です。





この二人の姿勢は

私の荒んだ心の

リハビリとなりました。





こんなことを書いたら

笑われてしまいますが

私が動く看板となって

営業で街に出て





妻とHKさんが

わざわざガソリンを使って

ご来店して下さるお客様の

想いを裏切らない接客をする





決して裏切らない連携は

今でも伝説だったなぁ…

と思っております。





それから数年後…

(またワープ) ^_^;





気が付けば 自分の夢だった

埼玉県 No1

の夢は達成しておりました。





「斎藤、コケるで…」




と言われて 3年後には

FC部門で全国6位まで

登りつめることができました。





そこまで来たら

FCで全国一位も

狙えない距離ではありません。

でも、もう狙う意味も

わかりませんでした。。。。





そして、当時

「斎藤をツブして、商圏を山分け」

と同盟を組んで、本店のまわりに

出店攻勢をかけてきた数社は

1店舗を除いてみな 撤退しました。






今、その経営者たちに

もし一言

言えるのであれば、





貴方がたは

俺の店を潰そうと

俺の動きを見て 商売をしてきた。




俺は (同盟を知らなかったから)

お客様を見て

お客様が喜ぶ商売をしてきた。





「戦じゃあるまいし」

と言えれば 言いたいです。^_^;






ブロック大会と言われる

FC本部の決起集会では

全加盟店の中で

私が〆の挨拶をしたり

モデル店として

壇上に上がらされたり





懇親会で恒例のディナーショー

では、妻が代表で毎回

芸能人への花束贈呈に選ばれたり





手のひらを返して

今度はチヤホヤする

本部の対しても

「こんなもんだよな…」 と

かなり 冷めていました。





念願だった夢の

埼玉一位は

全然 うれしくなかった。

踊らされてるだけだった。。。。





「何かがちがう」

って思いました。。。。。





こんなことのために

いろんなことを

犠牲にやってきてしまった






私の追いかけていた夢が

スタッフ全体の夢ではなかった

ということに

私は気付きませんでした。。。