字幕の翻訳機能ができて内容が理解できるようになった5年前の動画。

 

 

 字幕の翻訳機能ができて内容が理解できるようになった2か月前の動画。タイトルが上の動画に倣ったものか?

 

 

 リプレイスメンツとはどんなバンドなのか?

 

 わたくしがリプレイスメンツの存在を知ったのはおそらく20年くらい前、『史上最高の名盤500』『史上最高のバンド100』みたいなランキングをネットで見たのが最初でしょう。ローリング・ストーン誌の有名なやつ。

 

 当時はいまのようにYouTubeやサブスクなどで簡単に音楽を聴けるテクノロジーがなかったですし、音楽を聴くことにハングリーだったので、ああいうランキングの上位から片っ端にレンタルして聴き漁りました。CD-Rにコピーしたり、MP3ファイルに変換して保存したり。邦楽アルバムは3000円、洋楽アルバムも国内版は2000円くらいでしたから、5枚1000円のレンタルがめちゃくちゃお得感ありました。

 20代はそうやって何百、何千とアルバムを聴きましたね。(まあ理解できるわけもなく無駄に聴いた感は強いですが。)

 しかし所詮は田舎のゲオで品揃えも悪く、マイナーなバンドは聴けずじまい。リプレイスメンツもあるわけがなく。

 

 ところがある日、ブックオフでリプレイスメンツのアルバム『オール・シュック・ダウン』の輸入盤CDを格安コーナーで発見。「確かこのリプレイスメンツってやつも名盤ランキングに入ってたな、安いし買おう」と思い買って帰りました。

 

 特に期待せずに聴いてみると「絵に描いたようなポップなアメリカン・ロックで妙に懐かしく、ときにもの悲しい」という感触でした。とてつもなく聴きやすく、しばらくするとお気に入りに。素性のわからない謎のバンドでしたが他のアルバムも買い集めました。安い簡易的な紙ジャケのアルバムセット、タワレコのリマスターの復刻などいろいろな商品が発売されました。ライブ盤が出たり、新商品が出るたびに買いました。

 何年経ってもなぜかずっと飽きず、ポール・ウェスターバーグのソロ作まで買えるものは全部買ったという感じです。

 ずっと追ってると、まさかバンドの伝記まで発売。英語でろくに読めないにも関わらず買いました。(翻訳の日本版は望めそうにない……。)

 

 ネットの情報も充実、翻訳機能もできて、ポール・ウェスターバーグのインタビュー記事もけっこう読めるようになりました。インタビューを読んでもバンドについてはあいまいな認識しか持つことができませんでしたが。

 日本では人気・知名度ともほとんどなく、アメリカですら「売れなかったけど多くのミュージシャンに影響を与えた伝説的バンド」という知る人ぞ知る存在。

 YouTube動画はけっこうありましたが、言葉がわからないので内容を把握できたか確証が持てず。それがついに字幕機能、翻訳機能によって、どんなバンドだったのか知ることができたのです。

 

 

 リプレイスメンツはボブ・スティンソンのバンドが前身

 

 リプレイスメンツの結成メンバーはポール・ウェスターバーグ(ボーカル、ギター)、ボブ・スティンソン(ギター)、トミー・スティンソン(ベース)、クリス・マーズ(ドラムス)です。

 わたくしはポール・ウェスターバーグがフロントマンでリーダー的存在だと勝手に思っていましたが、実はボブ・スティンソンのバンドが前身で彼がリーダーだったようです。

 

 

 ボブもトミーも父親から虐待を受け非行に走り、ギターと出会う

 

 ボブ・スティンソンの境遇は悲惨で、2歳のころに家庭を望まない父が出ていき両親が離婚、その後に母は再婚、再婚相手の継父から虐待を受けるというものでした。彼はその苦痛から逃れるように怒りに任せて非行を繰り返し、その非行を原因として更生プログラムを受け、そこでギターと出会います。(ギターと出会って更生したわけではなく、以後も過度なアルコールやドラッグをやめることはなかった。)

 トミー・スティンソンはボブの弟、母と再婚相手の子どもで、彼もまた父から虐待を受けます。母はついに離婚しますが、彼らの心の傷が癒えることはありませんでした。11歳になったトミーはボブと同じように非行に走り、それを苦慮したボブは更生のためにトミーを音楽の道に誘い、友人のクリス・マーズなどとバンドを結成します。それがリプレイスメンツの前身となるバンドです。

 

 

 ポール・ウェスターバーグはプロを目指すメンバーを探していた

 

 ポール・ウェスターバーグは下流の平凡な家庭に生まれ、セックス・ピストルズに影響を受けたことで音楽の道を志すようになります。(ジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスもそうだったし、ピストルズの影響は絶大ですね。)

 高校を卒業後(しかし卒業式には出席せず卒業はしていない?)ギターや機材を買うために働き出し、清掃や地元の政治家の雑務の仕事をしていました。

 

 そして仕事の帰り道にどこかの家からバンドの演奏が聴こえてきたわけです。たびたび立ち寄って盗み聞きするほど感銘を受けたらしいですが、その演奏していたのがボブ・スティンソンのバンドでした。伝説的な瞬間、エピソードだと感じます。それからポールは、ポールを知っていたクリス・マーズのつてでバンドに参加する運びに。

 ポールは「モテるため、楽しむためにバンドをやるやつとではプロにはなれない」と考え、「音楽、バンドしか生きる道がない」メンバーを探していました。まさに参加するのにうってつけのバンドを見つけたわけです。

 

 またポールはギタリストを目指していたものの、ギターの才能に限界を感じギターボーカルに転身します。

 バンドに参加後、リーダーであるボブにパンクのパクリ曲を大量に作って聞かせ、「自分は才能がある」と思い込ませてボーカルの座に収まったらしいです。ボブは本物の不良で音楽に疎くパクリ・ハッタリだと気づきませんでした。それにボーカルをやれるのがメンバー内でポールだけだったのは事実でしょう。ポールはボーカル、作詞、作曲を担当し、早い段階から音楽面での主導権を握るようになります。

 パクリでもハッタリでも大量に曲を用意して聴かせられるあたり、すでにポール・ウェスターバーグの才能を感じるエピソードです。

 

 

 リプレイスメンツは常に酔っ払って失敗を繰り返すバンド

 

 ところがいざライブをやるとなると、音楽ビジネスという未知の世界に飛び込んだメンバーはみんな自信がないわけです。元からアルコール中毒で酒浸り、ドラッグにも手を出していた状況で、緊張をごまかすためにさらに依存していきます。

 

 リプレイスメンツは常に酔っ払って失敗を繰り返すバンドなのです。

 

 また観客のウケを狙って細切れの有名な曲を演奏したり、わざと怒らせるような曲を演奏したり。酒に酔っているというのもあって、演奏もめちゃくちゃで悪ふざけのショーになることが多かったようです。(このエピソードはストゥージズみたい。)

 とはいえ飲酒量が少なく客の質もいいときはまともに演奏したらしく、ライブの当たり外れが大きかったとのことです。

 その上にトミー・スティンソンは10代前半で年齢制限によりライブで演奏することが許されず、ごまかしながらやっていたとのエピソードもありました。

 

 

 リプレイスメンツの功労者、ピーター・ジェスパーソン

 

 バンドはクリス・マーズの地下室でデモテープを制作。ポールはそのデモテープをライブのブッキングのため、地元の有名なDJでレコード会社経営者でもあるピーター・ジェスパーソンに送りました。

 

 デモテープを聴いたピーターはかつてないほどの衝撃を受けます。「地元から世界的なロックバンドが生まれるかもしれない」という興奮、高揚感を感じ、リプレイスメンツ(当時はそのバンド名ではないかも)のライブを観に行きます。

 

 しかしピーターが観たのは酔っ払ったバンドメンバーが会場から叩き出される悲惨な光景。

 「世界的なバンドになれる可能性があるのに今のままではどうにもならない」と感じたピーターはバンドメンバーにアドバイスし、ついにはマネージャーになります。リプレイスメンツの可能性を高く評価し、情熱を持っていたピーターがバンド活動を活性化させバンドを大きくしていきます。

 そしてバンドはハードコア・パンク調の曲が並ぶアルバム『ソーリー・マー、フォーガット・トゥ・テイク・アウト・ザ・トラッシュ』でデビュー。(レコーディングにビビっていたメンバーはたくさん練習したそうです。)

 

 

 リプレイスメンツはハードコア・パンクに愛着がない

 

 デビューアルバムは地元で評判になり、実質2ndアルバムともいえるepの『スティンク』もリリース。

 しかしポールはハードコア・パンクのバンドとしての可能性に限界を感じ(「他のバンドのほうがハードで速いのでこのジャンルでは勝てない」と思い込む)、しかもハードコア・パンクに愛着がありませんでした。単に流行でその手の音楽をやっていたのでしょう。(そういえばR.E.M.も当初はパンク・バンドになる可能性があったらしいし、ポリスも初期はパンク調の曲をやっていました。)

 その上ポールのソングライターとしての能力が向上し、パンクの枠に収まりきらなくなります。それが『フーテナニー』という2ndアルバムに表れています。

 『フーテナニー』は批評家から高い評価を受け、全国規模のラジオでも流れるようになり、リプレイスメンツは地元以外でも知られるようになります。

 

 

 『フーテナニー』から『レット・イット・ビー』でさらに評価が高まる

 

 『フーテナニー』の評判からでしょう、レコード会社のスカウトがライブに視察に来たり、R.E.M.のライブに帯同(前座で出演したということ?)したりしましたが、やはりメンバーの酒やドラッグによる問題、権威に反発する性格によって上手くいきません。

 とはいえR.E.M.のピーター・バックもレコーディングに参加した『レット・イット・ビー』(ビートルズの曲名から。「次にラジオで流れた曲をアルバム名にしよう」という遊びによって。ピーター・ジェスパーソンがビートルズのファン。)は評論家から高い評価を得ます。そしてついにサイア―・レコーズ(ラモーンズやトーキング・ヘッズと契約したレーベル)と契約、メジャーデビューに漕ぎつけます。

 

 

 オリジナルメンバーの最後のアルバム『ティム』でメジャーデビュー

 

 リプレイスメンツはメジャーデビューアルバムを引っ提げてツアーを回り、サタデー・ナイト・ライブ(深夜の生放送のテレビ番組。日本で言えば『笑っていいとも』みたいな。というか『笑っていいとも』がこの手のアメリカの番組のまね?)にも出演し、演奏しました。

 しかし生放送であるにも関わらず、ポール・ウェスターバーグがボブ・スティンソンの演奏ミスを見て放送禁止用語を呟いてしまうんですね。ウインクをしてごまかすものの場の雰囲気は冷え込み、さらにメンバー間で服を取り換えるなど謎の悪ふざけ。滞在していたホテルをめちゃくちゃにして損害を与える、など顰蹙を買う行動を繰り返します。

 ツアーもポールが指を怪我して終了。

 せっかくのメジャーデビューも鳴かず飛ばずという感じで、売れるチャンスをふいにしてしまいました。

 

 しかしこの一連の流れは『オール・シュック・ダウン』に収録されている曲の歌詞に似ています。服を着させられる、ウインクなど。『ドント・テル・ア・ソウル』にも『タレント・ショー』という曲がありますね。

 ポール・ウェスターバーグは実体験を何かしらに置き換えて歌詞にするタイプっぽいです。

 

 

 ボブ・スティンソン、ピーター・ジェスパーソンの解雇、バンドの崩壊へ

 

 そしてツアー終了後にギタリスト、バンドの創設者であるボブ・スティンソンが解雇されます。

 理由はボブのアルコールやドラッグの中毒が悪化、さらに演奏スタイルがポールの作る曲と合わなくなったこととされています。(ボブのソロ演奏を増やすために質の悪い曲を収録してアルバム全体のクオリティが下がった。またボブも自身の演奏パートの減少、役割が小さくなっていくことに不満があった。)

 

 弟であるトミーは「メンバー全員がアルコールやドラッグの中毒だったが、ボブほどは酷くなかった」と発言しています。(それを裏付けるようにボブは1995年に35歳で死去しています。)

 

 そしてマネージャーのピーター・ジェスパーソンも解雇。ドラッグが原因とのことですが、元からポールとあまり意見が合わなかったらしいので、それが原因の気もします。

 バンドの象徴的存在のボブ・スティンソン、マネージャーとして情熱を注いできたピーター・ジェスパーソンがいなくなり、バンドの崩壊が始まります。

 

 

 以後は実質ポール・ウェスターバーグのソロ作、解散へ

 

 ボブ・スティンソンの穴埋めにスリム・ダンロップ(リプレイスメンツの地元、ミネアポリスのギタリスト)が加入し、『プリーズド・ミート・ユー』が制作されます。

 とはいえバンドの創設者や功労者を解雇してポール・ウェスターバーグのワンマンバンド状態。トミー・スティンソンやクリス・マーズの心も次第にバンドから離れていくわけです。

 『ドント・テル・ア・ソウル』は小さいながらヒット曲も生まれますが、『オール・シュック・ダウン』はゲストミュージシャンによる録音が多く、クリス・マーズも一時脱退。ついにバンドは解散します。

 

 

 リプレイスメンツの与えた影響

 

 リプレイスメンツはR.E.M.と並んで初期のオルタナティブ・ロック(というかインディー・ロックのことでは?)バンドであり、数多くのミュージシャンに影響を与えました。ニルヴァーナ、グリーン・デイ、ウィルコにまで影響を与えているらしく驚きです。(確かにウィルコの初期は古風で王道なロック調でパンク以後のリプレイスメンツに似ています。)

 そしてニルヴァーナがオルタナティブから大成功し、メインストリームとの垣根を打ち破ったわけです。

 そう考えるとリプレイスメンツは十分に成功したバンドだと思います。

 トミー・スティンソンは「リプレイスメンツは売れなかったがゆえに神秘性があって一部の人の興味を引き、評価が高まった」のような発言をしていましたが、そういう一面もあるでしょう。

 

 

 リプレイスメンツとはどんなバンドなのか?(2回目)

 

 不良、落ちこぼれゆえにアルコールやドラッグと縁が切れず、大衆に迎合することもせず、売れることもできませんでしたが、嘘のないロック音楽を貫こうとしたのだと感じます。ボブ・スティンソンやピーター・ジェスパーソンの解雇もバンドを前進させるためにできる限りのことをした結果でしょう。

 

 アルバムを初めて聴いてから長らく謎のバンドでしたが、ついにリプレイスメンツの歩みを知ることができ、感動していると同時にバンドが解散してしまったようなさみしさも感じます。

 しかしまだまだ聴き足りていない曲も多く、バンドの紆余曲折を知ったことで歌詞も理解できる部分が増えるのでは? とも思います。

 

 今回この記事によってリプレイスメンツを紹介できたのは、ファンであるわたくしにとって意義深いことでした。

 日本のリプレイスメンツのファンは本当に少なく、また紹介されることもないので、ここまで読んだあなたは日本でも有数のリプレイスメンツファン、マッツファンなのではないでしょうか。

 

 そしてリプレイスメンツをAIに解説させるとわたくしのこの記事を引用しまくるようになるのではないか? とも思います。(仕組みを知らないのでよくわからないけど。)

 日本語でここまで詳しくリプレイスメンツのことを書いたのはわたくしが最初で最後でしょう。

 一ファンでしかないわたくしが日本におけるリプレイスメンツのイメージを作ってしまうかもしれませんが、ブログの一つの記事としては労力をかけて書き切った思いです。

 

 ここまで読んでくださったかた、ありがとうございました!