ニュージーランドと全くないのですが、、、

思い出したので書き留めておこう。

結核の話。


あれは、10年ほど前のこと。


散々色々な国を駆け回り、日本に本帰国して一年経つくらいのある日。

会社の健康診断に行った翌日、突然病院から電話が。

先生から直接です。

肺に怪しい影がありますと。

すぐに呼吸器内科の専門病院に行ってください、と言われ、、、


え!私肺がんなの⁉️

怪しい影って何⁉️

本当に心配でした。


そして翌日、母と一緒に東京病院に駆け込んだわけですが、もうその場で隔離、入院になりました。


ただ、痰の検査をしても胃液を採取しても、菌は出てきませんでした。

いわゆる、排菌をしていなかった。


これが、さらに辛い羽目に…


菌が出るまで検査をしなければ、ということで、一番恐れていた内視鏡。気管支鏡検査が必要になりました。

あまりに恐ろしいので、泣きながら、全身麻酔でやってほしいと懇願しましたが、ダメでした。

その頃は、出来ませんでした。


ブログなどで色々調べると、胃カメラの30倍苦しい、とか、息ができない水の中にいるみたい、とか最初の霧吹き麻酔が拷問とか色々でてきて、。もう怖くて眠れませんでした。

その晩は、個室に先生が来てくれて、検査の経過を絵に書いて説明してくれて、、、

なんとか慰めてくれました😭


そして当日、まずは拷問台に座らされ、霧吹き麻酔から始まり、涙を流しながら、オエオエって何回もなりながら、麻酔をし、手術台に乗り、器具が声門を通るので声を出せなくなりました。


検査終了‼️


感想は、、本当に辛い検査でしたが、ネットの情報ほどではなかったかな、、

麻酔が効いていたので、検査自体は落ち着けば大丈夫👌

ただ、肺🫁の狭い道に器具が入ると苦しくなります。そしたら手を挙げます。

自分もモニターを見れたのでよーくわかりました。

落ち着くことが大事‼️


これからやる方は、頑張って👍


検査の結果、陽性で治療開始です。


ここからは、結核患者の病棟に移り、結核の人だけの隔離病院で過ごしました。


私の場合、排菌をしていなかったので2週間で済みましたが、ほとんどの方が3ヶ月以上入院していました。

薬が効かない場合があるからです。

そうなるとなかなか退院できず、また副作用も大きいのでかなり悲惨です。


まずみんなから、入院何日?と聞かれます。


2週間と答えると、相手にされませんでした。


退院できるまでのルールはこうなっています。


2週間おきに痰の検査を3回して、すべて陰性だったら退院できます。

なので、3回目の日はかなりピリピリしてます。

なぜなら、もし陽性だと、また1回目からやり直しなんです。必然的に、6週間の入院延長が決まるわけなのです。

なので、かなり精神的に辛いです。


私は2週間の退院ののち、6ヶ月間薬を毎日飲み、そのカラを保健所に提出しました。

国の指定病なので、国に管理されます。


医療費は、5%負担です。


入院中はとにかく暇でした。


長い人たちはゲームをしたり、廊下で運動したりしていました。


問題は、ネットでした。


今思えば、WIFIさえあればドラマとか見て過ごせたのですが、当時はネットがなく、暇で親にパソコンとDVDレンタルしたものを持ってきてもらい、なんとか過ごしてました。


隔離病棟なので、もちろん買い物はできず、必要なものがあれば看護師さんに頼む、という形。


面会にくることは出来ますが、入り口で専用のマスクを購入してもらいます。


入院中は、辛かったですが、とても優しい看護師さんがいて、結核の歴史なども話してくれました。

昔は、もう森の中に置いておかれて、家族もそのまま会いには来なかったんだよ、死ぬまで。

食事も、係の人が置いて行って、後から扉を開けて食べてたんだよ。


今の時代で良かったよ、と励ましてくれました。


何事も経験。

辛い経験こそ、誰かの励みになります。

私はそう思うので、辛い時期はあまり怖くないです。


私のこの記事が少しでも誰かの励みになることを祈ります🙏🤞


必ず出れるから、頑張ろう‼️

乗り切ろう‼️

明日があるさ‼️