おサボりしている間に、季節は夏から秋を飛び越して冬になってしまいましたね。

先週まで「こんなに汗かいてるの私だけじゃね?」

と恐れ慄いていましたが、

今週は「私もうニットに冬一軍のアウター着てるけど大丈夫?」

ってなもんです。

でも最高気温はそれなりに高くないですか。

気候も狂ってんね、自律神経。

 

久方ぶりにのこのこと顔を出した理由としましては

数日前に出くわしたある出来事にずっと思考を支配されている為です。

 

朝の通勤ラッシュが過ぎたくらいの時間に

某駅のホームで乗り換えの電車を待っていました。

すぐに電車が到着したけれど、それに乗ると中途半端に早い時間に目的地に着いてしまいそうだったので、次の電車を待とうとそのままホームに残りました。

ホームの安全ドアが閉まり、電車の扉も閉じようとした時

閉じかけたドアの細い隙間をすり抜け、

車内から男性が飛び出して来ました。

でも安全ドアはもう完全に閉まり切っていたので

男性は車内に戻ることもできず

ホームに降りることもできず

安全ドアと電車に挟まった状態で

困った笑顔を浮かべて狼狽している。

きょろきょろとホームを見回しても駅員さんの影もなく、

危険な行動を注意するアナウンスの気配もない。

それでも流石に車掌さんか誰かが気づいてくれるだろうと思っていたけど、

何と、

電車は平常運転としか言いようがない程当たり前に発車した。

男性は慌てふためきながら安全ドアによじ登り

転びそうになりながら何とかホームに着地し

そそくさと去って行った。

 

この一連の出来事は、まさに私の目の前で起きていた。

2メートル足らずの距離で、そんなに近くにいたのは私だけだった。

あの男性にとってかなり危険な状況だったと思う。

「もし、安全ドアを乗り越えられていなかったら、

スイカゲームの大きな果物と大きな果物に挟まれた小さい果物がその間を転がりながら落ちていくシステムで、線路に落ちてそのまま轢かれていたかもしれない」

後になってそんなことを考えて身震いしたのだけど、

それと同時に

「あの出来事が起こっていた時自分がどういう状態だったか?」

を思い返してみて、さらに怖くなった。

私はその時、ただただ冷静にその一部始終を見ているだけだった。

駅員がいないかホーム上を見渡すくらいのことはしていたけど、さして慌てることもせず

緊急停止ボタンを押すとか、ドアを乗り越えるのに手を貸すとか

できることはあったはずなのに何もしないで見ていた。

何なら「何だこいつ…」くらいの冷めた目だったかもしれない。

「突然の出来事に唖然としてしまった」とか

「その時は大怪我や死に至るかもしれないとまで考えられなかった」とか

本当のことだけど言い訳がましくもある。

「私って思ってた以上に人としてやばいのでは?」

という不安が、毎日のふとした瞬間に頭によぎる様になった。

咄嗟の判断ができるか云々を抜きにした場合

他人に対する思いやりが欠如し過ぎてやしないか?

でも、もしあの人が小さな子供だったら、

もしくは女の子だったら
おそらく私の居かたはもっと違っていたと思う。
友達や知り合いだったなら尚更。

大人の男の人だから自分で何とかできるだろうと無意識のうちに判断していたのか?

養老孟司氏が言っていた

「人にとって死とは、その人が親しくある他人の死だけだ」

みたいな説を思い起こしたりもしたけど、それとこれとはまたちょっと違うし。

 

とにかく私は不安だ。

いつか決定的に人の道を外れてしまわないか。

菩薩のようになる気はそもそもないけど、

せめて、自分で自分にぞっとするようなことはもうあってほしくない。

そして、電車発車間際の無茶な乗り降りダメ絶対。

皆さまも身の回りに気をつけて

どうかご安全なライフをお送りくださいね!