少し疲れてましたが、

京都御所で休んだのと、チオビタ2000が効いたのか、

痛みも引いてきました。

 

歩いていると、なにやら物騒な建物が。
京都大学の学生寮だそうです。
今は遠い学生運動の臭いがしますね。
無駄に「見えない敵と斗う青春」、少し懐かしい(笑)。

「斗う」と書いて「たたかう」と読む

 


通りすがりに熊野神社があったので寄ります。
西国一番霊場は熊野那智大社の如意輪道だった青岸渡寺なので、
非常に興味深い。
由緒書きを読むと、熊野詣に由来するらしい。
普通、こういう神社は、大きな本社がどーんとあり、
地方で、その御利益に預かろうという趣旨で勧進するために、
こぢんまりとしているケースがほとんどです。
でもここは、公家たちが熊野まで行けないときに来ていたみたいで、
かつては、本社をしのいで繁盛していたようですね。

川越にも仙波日枝神社というのがありますが、
村社にもならないほど小さい。
東京赤坂の日枝神社の本社の勧進元とは思えないです。
子が親を越えるみたいなことが、ままあるんでしょうね。

 

回り道に選んだのは、東に1kmほどの平安神宮。
京都には何回か来てますが、
今まで行くチャンスがありませんでした。
京都の寺社の中ではあまり注目されてませんが、
調べてみると明治時代に博覧会の目玉として再建されたのですね。
つまり、歴史がない。

コロナの影響もあるのか、人は少なめです。
正面からの本殿全貌は、なんか見たことがあるような?
10円玉?、いやあれは平等院のはず。
でもまあ平安時代の建物は、こんな感じなのでしょうね。



庭の手前の左右に配置されていた、
青龍と白虎の像が、ちょっとカッコいい。
でも、朱雀と玄武が見当たりません。
\600で神苑に入るとあるのかなあ。
水がなかったので気づかなかったけど、

調べてみると、これは手水舎だったのね。
どうも、朱雀と玄武は居ないみたい。

北から平安神宮に行ったので、
参道を南に知恩院に向かいます。
広いなあ。



参道脇にお土産屋さんが並びます
清水焼が出ていたので、ちょっと見させてもらいます。
焼き物好きの自分には楽しい時間ですが、
並んでたのは普通の陶器屋さんにありそうなものばかり。
ちょっと残念ですねぇ。
もともと清水焼は、
大量生産の磁器みたいなデザインが多いので、
風合いを好む焼き物ファンは絡みにくいです。

 

知恩院の手前を左に曲がり、粟田神社に向かいます。
由緒は全然知りません。
たんに通りすがりに寄るだけです。
陶器神社も熊野神社も参拝者はほぼゼロでしたが、
ここはぼちぼち人がやってきます。
くりた神社じゃなくて、あわた神社なのね、
などと思いながらお参り。
ちょっと高台にあるので遠望もききます。

 

東海道に続く粟田口にあったのが名前の由来ということで、
旅のご加護が得られるとか。
遠出してきた自分に相応しい神社でした。

 

入口に小さな社があって、ちょっと風貌が違う。
気になって寄ると、鍛冶神社だそうで、
文字通り鍛冶屋さんの神様を祀っています。
この金属の板は玉鋼とかかしら?
こういう職業的な神社が多いのも、京都らしさなんですかね。

 

右 足下に埋められていた玉?鉄製?何だろ?

 


 

知恩院の手前には青蓮院があります。
ここも通りすがるまで知らなかったお寺さんです。
入口の大楠はなかなか見事です。
生えている土手?の苔も風情があって芸術的です。

写真は撮ってきたのですが、

以下のグーグルのストリートビューの方が映えますね。
https://www.google.co.jp/maps/@35.0078806,135.7828583,3a,75y,294.32h,143.96t/data=!3m11!1e1!3m9!1sAF1QipM3Hml1aW0-9YWscgdF6ZtibCwkFkUMHt9URk9o!2e10!3e11!6shttps:%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2Fp%2FAF1QipM3Hml1aW0-9YWscgdF6ZtibCwkFkUMHt9URk9o%3Dw203-h100-k-no-pi0-ya305.34308-ro0-fo100!7i5376!8i2688!9m2!1b1!2i26

 

こんな絵画のような風景を道ばたに見いだせるのが、
京都に来た甲斐があるというものです。
お庭も見たかったのですが、
そろそろ時間も気になるし、
入場料も気になるし、
ということで庭先で失礼しました。

 

地図を見直してみると、大谷祖廟がありました。
朝、大谷本廟でスタンプラリーをしていて、

 

最後の一つはこちらで押してください、てことなので、
知恩院はパスして、向かうことにしました。

 

知恩院の前の神宮道を歩いて行くと、

道の真ん中に知恩院の山門があります。
道を挟んでカフェの入った宿坊があったりして、
このあたり全体が知恩院の境内だったんでしょうね。
山門をくぐると円山公園に出ます。
ここもゆっくり過ごしたい場所ですねぇ。

書き忘れてましたが、今日はほんとうににいい天気で、
こういう散策にはぴったりの日です。
朝の鴨川は少し寒かったですが、
今は汗をかくくらいに暖かいです。

 

円山公園を抜けて、そのまま公園に沿った坂を上り、
大谷祖廟に向かいます。
曲がるのが少し速かったですね。
参道はもう少し先立ったので、
山門の脇から入る道筋になりました。

ここはお墓参りしている方がたくさんいました。
その中に混じって本堂にお参りをすまし、

これは参道を上ったところの山門

 

スタンプラリーの台が見つけましたが、・・・ない。
不審に思ってすスタンプ台紙を確認してみると、
最後の一つは(西)本願寺じゃないですか。
こりゃ、無いはずだわ。
しかも、ここは(東)本願寺の飛び地なので、
全然、見当違いも甚だしい。(注1)
社務所で聞かなくて良かったです(汗)


多少の気恥ずかしさを残して山門を下っていきます。
目標の駅は四条通の京都河原町駅なので、
八坂神社にも寄っていきましょう。
たしか、ここには高校の修学旅行で来たはずです。

 

おお、ここは意外に人出が多い。
大通りに面した参道には屋台も並んでいます。
なんかの例大祭とかだったかな。
コロナウィルス対策で、
本堂の前には職員が配置され、
ガラガラの綱はくくられています。

ん十年前に来たはずの神社ですが、
全然見覚えがない。悲しい。

ここは味のある摂社が多いですね。
  大神宮社(だいじんぐうしゃ) 伊勢神宮の内宮と外宮
  美御前社(うつくしごぜんしゃ) 美人の誉れ高き宗像三女神
  悪王子社(あくおうじしゃ)  素戔嗚尊の荒魂(あらみたま)
  刃物神社(はものじんじゃ) 天目一箇神
美御前社の前には美人水が湧いてます。
オラもすくって顔にぬります(笑)
その他、日吉神社、祖霊社、厳島神社を二礼二拍手一拝して回りました。
さらに、大國主社は工事中なので表から参拝し、
表参道の脇にあった蛭子神社に詣でて、末社巡りは完璧。

表門の狛犬。知ってる限り一番かっこいい、と思う

 

と思ってたんだが、調べてみたらほかにも、
玉光稲荷社、疫神社、命婦稲荷社、太田社もあるらしい。
出店に隠れたりしてわからなかった。
ま、末社の神々には申し訳ないですが、
これで祇園地区の霊場巡りは終了しました。
時刻は2時半くらい。
20番善峰寺に行く東向日駅までは、
電車で10分くらいですかね。

旅行前は歩きで何時間かかるか不安でしたが、
意外に早く回れました。
さあ、最後の仕上げです。

 

15kmは歩いたと思う。

 

< 続 く >

 

注1             
 本願寺は戦国時代末期から江戸時代にかけて、内部紛争で第12代准如の時代に分裂。大谷本廟(西大谷)と大谷祖廟(東大谷)は、それぞれ西本願寺と東本願寺の飛び地で、どちらも宗祖親鸞の墓所、墳墓を称している。清水寺のそばで寄った本山興正寺もほぼ同宗で、分裂前の本願寺と関係が深く、親鸞を宗祖とし、遺骨堂としての霊山本廟がある。親鸞の本当のお墓はどこなんだ?。色々調べてみると、さっきたまたま寄った仏光寺も浄土真宗であり、興正寺の七世が残したお寺さんなのだ。
 ということで、今回の京都散歩は知らず浄土真宗の諸派を探訪する旅となっていたようだ。     

 

 

オラは、たまに山登りもするので、

足腰には自信があったのですが、
最近、左足の膝の調子が良くない。
普通に歩いたり伸ばしたりできるのですが、
屈伸運動で逆方向に伸ばすというか反らそうとすると、
ちょっと痛い。歳だねぇ。

鴨川に戻る

 

ここでカフェに入って充電したり名物料理を食べたりしたいところですが、
持ってきた菓子パンで飢えをしのぎます。
スマホのバッテリーを節約するために、
地図アプリは使わず、
印刷してきた地図を頼りに18番を目指します。

左 警邏中のお巡りさん隠し撮りw。ちゃんと信号守ってます。

中 祇園の通り。隠しきれない風情がある。

右 鴨川沿いの琵琶湖からの疎水の水路

 

その地図で気になった、仏光寺に寄りました。
碁盤の目のような道がちょっと歪んでます。
京都の町中にあるのに昔ながらの敷地を維持しているのでしょう。
建物も大きいです。
こういう知らないお寺さんがたくさんあるのが
京都なんですね。

 

あと、ちょっと気になったのが、
境内にあるカフェ。
後で通り過ぎた知恩院にもカフェがあったので、
京都はカフェ文化が花開いてるのかしら?

ここの本堂も上がっていいと書いてあったので、
仏前で読経してきました。

 

行き当たりばったりに知らないお寺と出会うのも楽しいですが、
予備知識が無いと理解が追いつかないのが歯がゆいです。

境内に味のある松があった。つい写真に納めます。

 

京都の町は外国の都市と同じで
通りが東西南北にまっすぐ作られていて、
方向的に間違うことが無いので楽ですね。

 

通りすがりに見つけたのは、
當堂職屋敷跡の看板。
當堂とは当堂座のことで、
目の不自由な琵琶法師などの集まり。
芸能事務所とか労働団体とか、そんな機能があったようだ。
自治組織で、その事務所的な建物が、
解散する明治4年まであったらしい。
なんと平安時代の昔に、そんな互助組織があったとは。
ブラ歩きはなかなか為になります。

よく漢字検定でお世話になった烏丸通りに出ました。

 

第十八番頂法寺(六角堂)は、
霊場らしい霊場ですね。
こぢんまりした境内に、
山門があって正面にお堂があって、
脇に御朱印もらう社務所があって。
さっきの17番で会った人が先に来てました。
この人はちゃんと読経しているので、
オラの方が先に終わって歩いてきたんですが、
車なのかなぁ。

 

裏の池には太子堂があって聖徳太子を祀っています。
この池にはかつての礎石が沈み、なぜか白鳥がいました。
そもそもここは聖徳太子が水浴びをした場所とされ、
その時に持っていた護持仏の如意輪観音が本尊だそうです。
法隆寺の夢殿は八角だけど、六角にしたのは何でだろ?

19番の革堂行願寺までは2km位かな。
京都御苑に沿っていけば間違うはずもないので、
まっすぐ北上します。

 

京都御苑は京都御所が中にあるので、
皇居みたいに一般入場できないと思ってました。

しかーし、完全に出入り自由な公園でした。
しかも新宿御苑のように、入場料さえいらない。

入り口付近にあった案内図を見ると、
京都御所はこの公園の一角のようです。
鳥居が見えたので寄ると、
宗像神社でした。
宗像神社は福岡が本社なので、
関東の自分には珍しい神社です。

 

入るとちゃんと使える手水があり、
しかも竹で手作りした柄杓が置いてあります。
これは珍しい。
氏神様?とはいえ、府社格だったそうだし、
営々と営まれる歴史があるのかもしれません。
境内の摂社に観光神社というのもあって、
京都の人のしたたかさみたいなものを感じます。

 

この御苑は、とにかく広い。
空いてるし、天気いいし、疲れてるし、
これは休憩するしかありません。
ベンチに座り込むと、
残ってたパンを食べ、缶コーヒーを飲み、
肉体疲労時のチオビタ2000を飲みます。
あわてて準備した来たので、
けっこう色々入ってます。
荷物が重い訳です。

木が大きくて、ノキシノブが着生してます。

関東だと、もっと山の中でないと見かけない。

 

10分ほど休憩して、
近くにあった厳島神社にも寄ります。
ここも九条家邸にあった神社だそうです。
京都三珍鳥居の一つ「唐破風鳥居」が有名らしいですが、
お参りしてる時は気付かなかった。

鳥居の上の横柱が盛り上がっている

 

機会があったら御苑も1周してみたいですが、
時間がかかりそうですよね。
御苑を出て革堂に向かうと、下御霊神社があります。
ここも全然知らなかった神社ですが、
なかなか因縁の深い、恨み辛みのこもった神社です。

 

祀られているのは実在した人々。
御霊は「みたま」と読めば普通に魂ですが、
「ごりょう」と読むと怨霊と同義語になるらしい。
つまり、恐れる対象をなだめる為に神社なのです。
祀られているのは、
 崇道天皇(無実の罪で移送中に憤死)
 伊予親王(謀反を疑われ自殺)
 藤原大夫人(伊予親王の母、ともに自殺)
 藤大夫(反乱を起こすも捕縛、処刑)
 橘大夫(無実の罪で移送中に没)
 文大夫(政争に負け流罪)
 火雷天神(菅原道真、左遷され没)            
と、生前に色々とあった方々。
あと吉備聖霊(吉備真備)がなだめ役?とした祀られている。

 

今、話題のコロナみたいな疫病は、
こうした恨み辛みを募らせた怨霊の仕業と考えられたので、
その鎮魂のための神社なのです。
なんとタイムリーな参拝でしょう。
心を込めてお祈りします。

 

この日は【梅和祭】(うめなごみのまつり)だそうで、
境内では、子どもを集めて傘の上でマスを回したりして、
テレビ取材みたいなのをしてました。

 

寄り道が多いですが、
19番革堂はそのすぐ隣でした。
行円上人という人に由来する天台宗のお寺さんで、
ここもいかにも観音霊場という風貌です。
と言うものの、聖徳太子とか崇道天皇とか、
きらびやかな話題がないので、
京都の中にあっては埋もれてしまいそうです。
延命地蔵尊もありましたので、
こちらにもお参りしました。

さて、時刻は12時過ぎ。
今日の予定はあと1つ。
2kmほど歩いて阪急電車に乗る予定ですが、
このまま行くと時間が余りそうです。
地図とにらめっこして、
さらに寄り道をすることにしました。

 

< 続 く >

 

今回の礼状巡りのメインは、なんと言っても清水寺です。
京都観光の中心地なので大混雑してるんじゃないか、
っていう心配が一番でした。

しかし、朝早くだったのでその懸念も無用で、

無事にお参りできて一安心です。

 

 

帰り道は登ってきた茶碗坂を外して、松原通りを下り、
この間、ブラタモリでやってた産寧坂に行きます。

 

坂を下っていくと、何やら重厚なお寺が出現。
本山興正寺だそうです。由緒書きによれば

親鸞にゆかりのお寺さんで、霊山本廟というのがあるらしい。
その荘厳さに導かれるように参道を登って行くと、
本堂に自由にお参りできると書かれていたの上がり込み、

読経をしてきました。

 

戻って、二寧坂の方向に進みます。

このあたりには、
お土産屋さんとか食べ物屋さんがたくさんあって、
にぎやかな雰囲気で、すごく楽しそうです。
感じのいいカフェもたくさんあります。
お遍路でなければ、ゆっくり散策したい町並みです。

インバウンドが戻ると混雑するのかな。

また来たら寄ろうと思ってると、
お土産屋さんの店頭で干菓子の型を見つけ、

衝動買いしました。


1個\250だけど、これは安いです。
後で黄粉干菓子でも作りましょう。

 

17番霊場は鴨川の方向なんですが、
二寧坂を一年坂に向けて歩いて行くと、
護国神社前に出ました。

 

予定より歩きすぎてしまいましたが、
来たついで200mくらい坂を登りお参りします。

 

御霊観音様も外から見えてましたが
ここは\300の参拝料が必要です。

 

さっきから五重塔が見えてたのでその方向に向かうと、
すごく華やかなお寺さん(大黒山金剛寺)がありました。
インスタ映えするお寺のようで、本当の結婚式なのか、
新郎新婦の出で立ちの人たちが撮影をしています。

 

五重塔は中に入れないようです。
塀の外から見るだけしかできないのは、
もったいない気がします。

 

 

やっと東大路通りを渡り、17番に向かおうとすると、
またしてもお寺さん。当然のように参拝します。

ここは六道珍皇寺といいます。
小野篁(注1)が毎夜、黄泉の国に行ってたという
世にも奇妙な井戸のあるお寺さんです。
これもブラタモリでやってて知ってましたが、
思いのほか、普通のお寺さんです。
妖気みたいなのが一切感じられないのは、
自分が能力者ではないからでしょうか。

 

ここは六道(りくどう・ろくどう?)の辻といいます。
知る人ぞ知る六道(注2)は、輪廻転生する世界観ですが、
昔の人が思い浮かべるのはあの世です。
もしくは、地獄そのものでしょう。
さっきの珍天寺の由緒書きによれば、

その昔、風葬の地であった鳥野辺に向かうために、

亡骸を運んでここらへんを通ってたそうな。

その時に珍皇寺では野辺の送りをしていたとか。

だから、お寺が多いのもうなづけますし、
小野篁があの世に行ったというのも、
さもありなんという土地柄なんですなぁ。

 

さ、やっと17番に着きました。
ここはありがたいことに入山料は不要です。
西国観音霊場は、四国お遍路より、
入山料の負担がちと重いです。

罰当たりな発言かもですが、

駐車場も有料のところが多くて、

ちょっと閉口しちゃいます。

 

 

隣の六道地蔵様もお参りしていきます。

こういうところは、たいてい自由にお参りできます。

 

さて、のどが渇いたのに気づくと、

時刻は10時30分過ぎ。

朝から早くも8km位歩いたかな。
2本持ってきていたペットボトル1本目を空ける。
夕食、夜食、朝食としっかり食べていた割には、
ちゃんとお腹が空きますねぇ。
そういえば、0泊の割に重いリュックが肩に食い込み始め、
膝も痛み出してきました。

 

原因の1つはこれ、同行石です。

つまり、お遍路に同行してもらう石です。

すべての霊場を巡りましたら、ご先祖のお墓に供え、

供養にするのです。

重いけど、そのために歩いてる訳なので、

頑張らねばなりませぬ。

< 続 く >


小野篁 (おののたかむら)

平安時代初期に実在した貴族。

文才のある人だが

権力や権威になびかないで

隠岐に流されるなど、

気骨のある人らしい。

復帰後、行政の中枢を担っているので、

実力もある人なんだろう。


六道(ろくどう、りくどう)
仏教で、人間が輪廻転生する

人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道

という6つの世界のこと。

 

 

川での写真は買って4年目のガラケーで撮影してたんだが、

五条大橋を撮影したところで早くも電池切れ。  Σ( ̄Д ̄;)がーんっ!

これはやばい。

しかし、対策がない。

 

五条大橋のとこで川端の散歩道から道に戻ると、国道1号線です。
ああ、昨年の夏に15番霊場からの帰り道だったな、
と理解しながら進むと、
さっそく陶器神社に出くわします。
この先の交差点の所にも大谷本廟があって、
去年からどちらも寄りたいと思ってたんですよぉ。

 

基本的に神社ではお賽銭と祝詞3唱、
お寺さんでは般若心経を唱えて、
参拝としてカウントしてます。

 

   鍾馗(しょうき)様が奉られてました。

   鍾馗様を祀ること所は少ないですが、

   像があるのはもっと珍しいです。

   この辺では多いのかな?


昨年は105神社と45寺を巡ることができました。
こういう寄り道の多いのが自分のよくないところで、
旅の日程を狂わします。
とは言うものの、
今回は20番の善峰寺までわずかに5箇所なので、
まあ余裕のはずです。

 

大谷本廟。本堂前で般若心経を読経します

うちは曹洞宗だが、宗派に関係なくお参りしてる

 

お遍路とか観音霊場巡りは、参拝より移動が中心になります。

でも、

西国の15番今熊野観音寺から19番行願寺(革堂)は、

2kmほどと近接しているので助かります。

ただし、京都の東、鴨川の近くの街中に点在しているので、

車で回ろうとすると、ちょっと停めるところがない。
だから、もともと歩くしかないなと思っていたので、
今回のバスでお遍路に来られたのはホントに都合が良かった。

 

京都駅から清水寺までは5km弱ってとこかな。

歩けといわれたら嫌だけど、京都の街を感じるにはちょうどいいくらいです。

こういう古い遺跡・遺構が多いのが京都のいいところ。

時代を感じます。

 

清水寺の開門は6時からですが、7時30分につきました。
自分は御朱印は集めてないのですが、御朱印の受付は8時から。
だから人はまだまばらです。

 

 

本堂とか清水の舞台とか、
これだけ人が少なく撮影に適しているのは、
朝のせいもありますが、コロナの影響は大きいんでしょうねぇ。

 

 

すいているので、座敷に上がり、正座して
開経偈、懺悔文、般若心経、普回向を唱えます。
ほんとは三帰礼文とかも唱えなければならないのですが、
我流で省略してますw。
いずれにしても国宝に上がり込んで読経できるっていうのは、
考えてみれば凄いことですよねぇ。

 


清水寺の裏には縁結びで有名な地主神社があります。
観音霊場巡りだけが目的なら寄る必要も無いのでしょうが、
雑念の多い自分には寄らないという選択肢がありません。
高校生くらいの可愛い女の子が一人、
お参りしてました。
学校もないし、失恋旅行かなぁ。
もう少し若ければ声もかけるんでしょうが、
変態オヤジ扱いされるのが落ちだよなぁ、
とか卑下しながら音羽の滝とアテルイの碑を見ながら帰ります。

 

 

考えてみれば、中学生の修学旅行で来たはずです。
音羽の滝の思い出は少しあんだけど、
ほとんど忘れてますねぇ。
帰り道は登ってきた茶碗道を外して、

正面の参道を下ります。

 

左 清水寺内の池。おじさんが鳥にエサあげてた

中 善光寺堂

右 門前の松原通 朝のためまだ人が少ない

 

アテルイとモレの碑。昔は無かったね。

気になったら、由来とかお調べください。

悲しい話があります。

 

松原通にある宝徳寺。清水寺の塔頭

品のよい観音様が鎮座してます。

こういうものが普通にあって道端で拝観できるのが京都のすごいところ

 

ほんと寄り道が多い。
現在9時10分

 

 

 チケットが安いのは、直前割引の意味もあるんでしょうね。
 急に出かけることにしたので、色々と準備不足なのは仕方ない。
 でも、スマホの電池切れだけは避けたい。
 あと、カメラの電池切れね。
 カメラを探すと、見つからない(・口・)
 もう一つのカメラも充電切れ ( ̄□ ̄;)
 タブレットパソコン持ってこうと思ったけど、
 マイクロUSB端子なのでアダプターがない。Σ( ̄Д ̄;)


 仕方ないので、
 携帯とスマホと2台持ちで頑張るしかない。
  しかし、2時間ほどの充電でいつまで持つかなぁ。

 バスの集合がかかると、20人ほどが乗車しました。
 もっと少ないかと思ったけど、意外に多い感じ。
 片側2列の普通の観光バスで、充電設備は無し。
 バスで充電できないのは、ちょっとつらいです。
 でも、2人連れが多いためか、
 一人で2席使えたのはラッキー。
 隣のおじさんは、前の席が空いてるのに
 2人座りになってしまい、可哀相でした。
 伝染も心配だしねぇ。

 

 京都までは約7時間。
 途中、沼津、岡崎、草津で各20分休憩します。
 消灯してしまい、スマホ使用は禁止なので、寝てるしかない。
 でも1日目は元気なので、そうそう眠れない。
 毎回下車して、お土産見て回ります。
 が、時間になると置いてかれるので、
 これが案外心臓に悪い。

 

 京都駅に着いたのは、朝の5時30分。
 駅前の牛どん屋のなか卯の朝定で充電し、
 清水寺目指して歩き出しました。

 

 バスを使ってもいいんだろうけど、
 朝早くだし鴨川も見てみたいしね。

 

 最近、石の収集・研究にも凝ってて、
 と言っても石ころを拾っては
 何の石かぶつぶつ言ってる程度なんだが、
 川を見つけると石ころを眺めて喜んでますw。

 鴨川にあるのは火成岩の大きな花崗岩、
 堆積岩のチャート、
 フォルンヘルスという変成岩が主体です。
 埼玉の秩父帯と同じ組成ですね。
 要は南の海で堆積した放散虫や泥の層が堆積して固まり、
 石になって隆起し、マグマの侵入で熱変成を受けてできた石です。

 鴨川には水鳥が多いですね。
 だから鴨川なんだと思いました。
 普通に歩いていれば逃げようともしないのは、
 人慣れしてるんですかね。あとでエサやりする人を何回か見たので、
 鳥の方が人の品定めをしているのかもしれません。

 牛若丸と弁慶が出会った五条大橋で川から上がり、
 いよいよ清水寺に向かいます。

 

< 続 く >

 

思えばモグワン第1回は2013年だったが、

その最終日の9月30日、自分は三重県の伊勢にいた。

この年は伊勢神宮の式年遷宮で、

20年に1度のこの機会を逃すと、

次回は生きてないんじゃないかと思ったからだ。

 

29日の夜に埼玉から車で出発、

高速を飛ばして約500km、

外宮・内宮を中心にお参りして、

その日のうちに帰宅した。

 

江戸から片道15日かかっていたお伊勢参りを、

24時間で弾丸参りするという、

お粗末なテレビ企画のような旅だった。


以来、日本は意外に狭いらしいと気付き、

4年前には四国八十八か所霊場めぐりも

そのノリで回ってきた。

 

そして昨年は西国三十三観音巡りを始めたが、

15番で止まっていた。

16番は京都の清水寺なのだが、

昨今の夏休みあたりはインバウンドで京都は外国人で混雑し、

宿も取りにくいので躊躇していたのだ。


ところが、新型コロナウィルスによって

世間が色々と自粛する中、

高速深夜長距離バスが爆安だという噂を耳にした。

調べてみると、東京-京都が通常8,000円以上するところ、

なんと片道1,500円から販売しているではないか。
 

天気を調べてみると日曜日は雨らしいので、

金曜日の夜に出発、

日曜の朝に帰ってくるという計画を立てた。

 

3月6日の昼過ぎに決行を決め、

午後2時にネットで切符を手配し、

午後11時には東京駅から出るバスに乗っていた。
 

午後9時頃になると、都内といえども電車はガラガラ。

中央は東京駅八重洲口地下通路。

日本の首都の駅もコロナの影響は大きいです。

ラーメンストリートもほとんどの店が行列無しだったので

つい立ち寄って完食。

 

バスは密閉空間で濃厚接触の場所としては最悪のはず。

なのに週末のせいか、結構たくさんの人が集結してました。

格安切符のおかげなのかもしれない。

閑散かなと思っていたのに、ちょっと意外。

 

< 続く >

 


クリスマスの夜、父と息子はコタツに入っていた。

ささやかな夕食の後、
コタツの上にはケーキの箱とザルみかん、
母はお風呂に入ると言って席を立ち、
父はボーッと渋谷の雑踏を映すテレビを眺め、
一人息子はスマホをいじっている。

 「息子よ」
 「なに?」
 「そろそろお前も適齢期だが、彼女はいるのか?」
 「なんだよ、急に。」
 「理由は無い。たまたま気になっただけだ。
  居ないのか?」
 「別にどうでもいいじゃん、
  居たって居なくたって、父さんには関係ないだろ。」

(ま、居ないんだろうな・・・)

 「そうか。だが、これは俺の親父の遺言でな、
  モテる秘訣というか、極意を教えといてやろう。」
 「何それ?、遺言?」
 「そう、三代前の爺さんからの遺言だそうだ、
  聞いてどうするかは、お前が決めればいい。」
遺言と言われては断りづらい。
息子はスマホをいじる手を止めた。
父は、少し背をしゃんとして話しかける。

 「お前は神様を信じるか?」
 「はあ?、父さんはクリスチャンだったの?」

クリスマスの夜に神を信じますかと問われては、
これは洗礼でも受けろということなのか?
息子はちょっと引いた。

 「いや、そういう訳じゃ無い。
  神社の神様でもお寺の仏様でもいいんだがな。」
 「信じるも信じないも、
  どっちかと言えば無宗教かなあ]
 「ま、そうだろうな。
  でも初詣はするだろ。」
 「だって毎年連れてかれるし。」
 「で、お願い事をする。」
 「まあねぇ。」
 「でも信じてる訳じゃない。」
 「そうだけど、まるっきり期待してない訳でもないよ。
  ちゃんと真剣にお願いはしてるし。」
父は、息子のいじらしい言葉に、
ちょっと嬉しくなった。
 「なるほど、それはいいことだ。
  でも、神が居るとは思ってない。」
息子は、曖昧に頷く。
 「そもそも拝殿はただの建物だし、
  神社の神様は、たいてい神話の世界の人だ。
  山だったり鏡だったり実在した人ということもあるけど。
  お寺の仏像も、
  しょせん木だったり金属だったりする」
息子頷く。
  「そういう物にお願いをして、お願いが叶うと思うか?」
 「そう言われちゃったら身もフタも無いよね。
  でも日本人は八百万(やおよろず)の神を信じてるから、
  岩でも木でも山でも神様が宿ると信じてんじゃないの?」
「おお、なかなか博学だな。
 そう、つまりは鰯の頭も信心からという訳だ。」
「何それ?」
「つまりだ、何事も信じることが大切だということだ。」
「まあ、そーなんじゃないの?」
「猿と人間の違いは何だと思う?」
「何?、急に。
 毛が3本少ないとか?」
「古いネタ知ってるなあ。
 そうじゃなくて、科学的というか、生物学的にさ」
「ああ、言葉を使うとか、道具を使うとかいうやつ?」
「そうそう、知ってるじゃん。」
息子はちょっと誇らしく、気分が良かった。
「もう一つは火を使うというのがあるんだけど、
 最近の研究ではもっと色々な違いがある。」
「そりゃそうだろうね。」
「その一つが見えないモノを信じる力なんだと」
「見えないもの?」
「例えば、未来と信頼と神様。」
「未来?」
「そう、猿は明日を認識できないから、
 エサは食べられる時に食べたいだけ食べる。
 仲間を信じないから、
 他人にエサを分けることができない。
  そして、神様を知らないから、
 お願いをするという行為はしない。」
息子は、ちょっとついていけなかったが、
なんとなく分かる気もした。
「人間は、神様の存在を信じるから、
 不作になるとお願いをする。」
「でもさ、信じても雨は降らないし、
 豊作になる訳じゃ無いでしょ」
「その通り。
 でも有史以来、人間が宗教をやめたことはないし、
 宗教をもったまま繁栄している」
「だから?」
「因果律ってのがあってな、
 原因と結果は結びついている。
 それは食べ過ぎれば太るという直接的な場合もあるし、
 風が吹けば桶屋が儲かるという間接的な場合もある。
 だが、その因縁は切り離せない。
 人間が見えないモノを認識した時から、
 それが猿を人間たらしめているんだ。」
「よく分かんないけど、
 信じることが大切っていうことでいい?」
「おお、理解力が高いな。
 その通りだ。
 で、愛というモノも見えないだろ?」
あ、そうくるのか。
息子は最初の話を思い出した。
「本来、岩は岩、木は木、山は山だが、
 日本人はそこに神を見出し、信じた。
 信じることによって、そこに神が宿り、
 信じることによって、
 偶然の出来事が神の御業(みわざ)、御心(みこころ)となる。」
「父さん、もしかして布教とかしたことあるの?」
「そんなものはないけど、遺言だからな」
「ああ、」
「話を戻すが、恋愛も信心が大切なんだ。
 問題なのは、相手が信じてくれるか、ということに尽きる」
なるほど。それはそうだ。
「だからな、好きな女の子が出来たら、
 『俺が好きなのはお前だけだ』と言い続けること。」
なんだ、それだけ?、と息子は思った。
「それだけだ。
 言霊(ことだま)と言ってな、言葉の威力は凄いぞ。
 そんなの信じられないと言っても、
 心には浸みていくもんなんだよ。」

そんなにうまくいくのか?、息子は疑問に思った。

「あら、何の話してるの?」
母が風呂から上がってきた。
「ん、父さんがね恋愛のコツを教えてくれたんだけどさ。
 ねえ、
 母さんは父さんに愛されてるの?」
父は当然だ、と胸を張った。
事実、事あるごとに
「ワシは母さんを愛してる」
と言って、はばからない人だったのだ。

母は言った。

「もちろんよ。」

へえ、と息子は思った。
父さんの理屈はよく分からなかったが、
でも、母さんには効果があったんだ、と思った。

「パパは
 背が高い訳でもないし、
 ハンサムでもないし、
 お金持ちでも無いんだから、
 ママを愛するしかないじゃない」

なるほど。
母さんの方が分かりやすいな。
息子は納得した。

 

 

 

 

彼女からの別れの言葉はいつも急だった。

オラがボーッとしている間に

彼女の心は冷め、離れ、

そして決意してからオラに告白するのです。

 

  もう、決めたことだから

 

ここが粘り時じゃないかと奮起しても、

それは時すでに遅し。

彼女の気持ちを受け入れることが、

彼女にしてあげられる最後の優しさだったのです。

 

空いた心の隙間を埋めようとして、

迷い込んだのがピグの世界。

子供だましのようなピグで遊ぶのは、

ホント、つらかった。

どんなに自分をだましても、所詮はお遊び。

所詮は、過去が忘れられなかったから。

 

それでも、ピグ友が増え、

ブーシュカを撫で、

モグワンで共闘するうちに、

オラは立ち直ることができました。

 

2年くらいは、そこそこインしてて、

それからブーシュカもピグライフも放置が続き、

携帯もスマホになっていました。

そして、今日、

 

アメーバピグ終わるってよ

 

という、ネット記事を発見。

は?、今日?

12月2日?、なんで2日なん?、月曜だし?

その真相は分からないまま、

家に帰るとピグに接続します。

なに?、FLASH入れろ?、許可しろ?

久しぶりすぎてログインすらままなりません。

しかし、最後の1時間、長年付き合ってきた

我がピグと遊んだのでした。

最後にピグライフの動物たちにエサをあげ、

出来てた料理を振る舞い、

ドラム缶風呂に入り、

ペットを撫で撫でしました。

そして、最後は永遠の眠りに就いたのです。

そう、彼女と同じように、

オラがボーッとしている間に中止の決定がなされ、

そして淡々と終了していきました。

出会いは別れの始めとか言いますが、

オラはこういうのが苦手です。

ピグ友とはスマホ版で会えなくも無いですが、

自分が作った部屋も農園もカフェも町も、

二度と行くことができません。

最後の1時間、オラは必死で画面コピーを続けました。

せめて、心の隙間を埋めるために。

ありがとね。オラの分身達。