8/6に岐阜城に登ったときに、

こんなパンフレットを見つけた。

 

 

これは見に行かねば、と思い、

土曜日の仕事を早めに切り上げて、

水道橋駅から、とことこ歩いて行きました。

 

しかし、九段会館は改修中で閉鎖されてます。

?????

あわててスマホで確認してみると、

なんと、隣の昭和館の催事だったwww

 

ということで、昭和館に行ったわけですが、

九段会館の展示より、

普段からやってる通常展示の方に興味がそそられ、

同時開催の、お菓子の記憶と一緒に拝観してきました。

 

 

昭和館の展示は、

昭和初期から高度経済成長前夜までくらいの

生活の歴史、特に家財道具の展示でした。

 

自分は昭和の埼玉の田舎育ちですので、

年代的には合致してるんですけどね、

目線は、東京の下町あたりをぃ意識してるのかな

当時の田舎生活は、

こんなに物質文化が豊かではなかったと思う。

 

 

ちなみに、自分の家では、

水道やガスが使えるようになったのは

昭和40年頃でしたね。

それまでは、井戸と薪の生活。

暖房は豆炭のこたつだけ。

母は、私のおむつを、

田んぼの用水路で洗ってくれたそうです。

冬場のおむつ洗いは冷たかったと、

子供の頃に教えてくれました。

東京との地域格差、

今の若者の文化的には断絶を感じます。

 

また、戦争の爪痕を強く意識しているようで、

戦中・戦後の庶民の暮らし、

苦しさを一部垣間見ることが出来ます。

でも、伯父3人を失った身からすると、

そんなに軽いモノでも無いのも事実。

まあ、血生臭い展示は無理だろうし、

それでもこういう展示があるだけでも

後生に伝える一助となることを期待したい。

 

昔のお菓子の展示は、数が少なくて期待はずれ。

もう少し資料は集められただろうに、残念。

 

最初の目的の九段会館の展示は、

九段会館が見た昭和でなくて、

昭和の九段会館の歴史という企画ですかね。

GHQの接収とかの歴史が学べたのは良かったです。

九段会館にかつて入ったときに、

既に老朽化が見て取れたので、

歴史的建造物として残し、

活用してもらいたいです。

 

時間が余ったと言うよりは、

昭和会館の展示によって昔の記憶が呼び起こされ、

近くの靖国神社に行きました。

若い頃には、伯父たちが祀られていることは知らず、

今回は身内の弔いという意味合いが強いです。

 

 

とにかく、広い。

 

 

もう少し。

 

 

日本の夏は、

戦争犠牲者の慰霊という側面がありますよね。

暗い気持ちにもなるんだけど、

忘れちゃいけない歴史。

ましてや、身内がここに祀られているという事実。

戦争賛美になっちゃいけないんだけど、

彼らの犠牲の上に今日の平穏な毎日がある。

頭を垂れずには居られません。

 

▲最近出来た慰霊のための「さくら陶板」

 47都道府県ごとにデザインが違う

 なんか、心打たれたデザイン

 

靖国神社を後にして、

北の丸公園に向かいました。

毎日新聞で知ったんですが、

ここに戦争遺跡が残っているらしい。

 

 

これは途中の千鳥ヶ淵。

爆風スランプの「大きなタマネギの下で」

が心の中で流れますね。

 

これは、切ない歌。

 

桜の季節は綺麗ですが、

人混みも半端ない。

個人的には、道を挟んである

戦没者墓園の方が気になります。

 

 

そこから千鳥ヶ淵を回り込んだところに

「千鳥ヶ淵陣地高射機関砲台座跡」がありました。

 

 

これは、太平洋戦争時の空襲に備えて、

皇居を守るための機関銃を据えてたらしいです。

でも、空爆は高度10000mとかからなので、

高射砲でもないと届かない。

なんか、当時の戦略というか、

そもそも間違ってたんだろうなあ、

という遺跡です。

 

それでもね、

そういう時代が確かにあったという

証拠なんだよなぁ。

こんな都心の真ん中なのに、

草むらにはショウリュウバッタが居て、

母親に連れられた小学生が、

網で追いかけてました。

 

 

こういう風景こそが、

残すべき、景色なんじゃなかろうか。

 

都会の風景が、雨に濡れてます。

 

▲毎日新聞社社屋と地下鉄東西線竹橋入り口

 あ、ここに社屋があるから、

 機関砲のことを新聞に載せたんだな。

 

竹橋から地下鉄に乗り、

そのまま高田馬場のブックオフまで行って、

昭和館の展示に魅せられたのか、

古い本を買ってきました。

 

 

もう一度、今日の復習をゆっくりしたいと思います。

 

それにしても、

北の丸公園の科学技術館に行ったのは

かれこれ20年くらい前かしら???

その時は、またゆっくり来たいなぁと思ってたのに、

あっていう間に月日が過ぎちゃいました。

いつか行こうとか思ってると、

結局行かないのよねぇ。

 

頑張って、あちこち行こうと思ったのでした。

 

<了>

 

少し調子づいて、また登ってきました。

 

今回は棒ノ折山(棒ノ嶺)ぼうのおれやま(ぼうのれい)という

埼玉県と東京の県境の山だ。

ふもとの名栗湖からの標高差は700m程度。

登り2時間ほどのお手軽コースである。

▲今日は新しい靴で登ります♪

 

最初は駐車場から車道を名栗湖まで歩くんだけど、

これが意外に急坂で、10分で疲れてしまいます。

まあ、準備運動ということで。

 

 

 

▲見にくいけど↓のところで鹿が見下ろしてました

 

▲武甲山と同じで、植林された山道を進みます。

 

ところが、絶対的に違うのがゴルジュと呼ばれる岩の峡谷

ま、規模は小さいし、ここ以外にも

あちこちの山にもある地形ですが、

そこを流れる沢を登る登山道ってのは、なかなかありません。

 

▲第1ゴルジュ この岩の間のせせらぎを登る

▲第1ゴルジュを登って振り返ったところ

 

▲第2ゴルジュ

 

▲第2ゴルジュの途中。行き止まりを鎖場で回避する

 

 写ってる高校生?は、かなり苦戦してました。

 降りてたのは16:50頃でしたが、山は余裕をもっと登りましょう。

 

▲第2ゴルジュを登り終わると、あとは普通の山

 

でも、この沢を下りで通るのは、

滑るし急だし濡れてるしで、かなり危険のうえ、

増水時には渡れない箇所もありそう。

滑落事故もあったそうで、甘くみることはできません。

 

その後は急な道をひたすら登る。

階段は崩れ、杉の根はむき出しで、歩きにくい。

標高差は武甲山よりやや少なめなのかもしれないが、

ゴルジュも含め、本格的な山っぽい。

▲これは下りの道

 

 

曇り空だったけど、頂上はガスって眺望はなし。

10:40出発、13:15着。標準時間とおりでした。

25分休憩・おにぎり食べて13:40下り始めます。

 

▲登り・下りの分岐点にある岩茸岩

 3-4m位。上れます

▲滝ノ平尾根にある展望台から、今日の唯一の眺望

▲2時間ほどで川俣バス停登山口

15:35 出発地のさわらびの湯に戻ってきました。

途中、1回こけました。

汗と泥を流して帰ります。

 

久しぶりに来たので、名栗湖を一周してみました。

上 エヴァみたいに鋲打ちされた斜面

下 凄烈な湧き水 持ち帰ってコーヒー淹れました

 

▲なんとなく撮ってたら16種類ものキノコがありました

 

▲ バッタとトンボ もう秋の気配ですね。

 

お疲れ様でした

 

 

 

 

8月4日、オラは名古屋のホテルに泊まって

テレビを見ていた。

すると、夏山遭難のニュースが流れてきた。

 

 

 

おお、そう言えば岐阜城がそばだったな、

と思い出したオラは、時間の空いた6日に登ることに決めた。

 

以前、長良川のほとりに宿泊したときに、

いつか登ろうと思ってたのよね。

国道22号線で岐阜市内に入ると、

正面に金華山が、そして頂上に岐阜城が見えます。

 

ナビを頼りに駐車場を見つけると、

目の前にどーんと山がそびえます。

標高は329mらしいですが、

急峻な山ですね。

 

駐車場で登山しそうな人が何人か居ます。

ちゃんとトレッキングシューズを履いている人が多くて、

ハイキング気分の自分はちょっと浮いてる?

ま、なんとかなるでしょう。

 

天候は曇り。気温は32度。

日差しがないだけ有り難い。

付近図があって、

登山口を確かめられました。

時間があるようでないので、

さっさと登り始めます。

 

今回は、低山だし

レポートは少しはしょりましょう。

 

瞑想(めいそう)の小道は、金華山を半周りしてから登るような

鵜飼いコースという感じです。

あ、迂回コースの間違い(笑)

距離は約2km、標高差300mくらいです。

とても遭難するような登山道ではありませんが、

何カ所か危ないところが無いわけじゃ無いですねぇ。

 

金華山の山体はチャートという石でできてます。

これは放散虫という太古のプランクトン?の殻が固まった石で、

堅いです。

堅いということは風化しないので、

切り立った山ができる。

という仕組みです。

これは、何ヶ月か前の

ブラタモリでもやってましたね。

ただ、同じチャートでも、

この山の石は変成作用を受けすぎてて、

ボロボロです。

だから、登山道の石が砕けてて歩きにくい。

オラはランニングシューズで登ったんだけど、

これだと足裏が痛いくらいです。

 

戦国時代には、草履で登ったのだとしたら、

昔の人の足の裏は堅かったんだろうなぁ。

 

しかも、急なところは結構な急坂です。

道を外れなくても、

2mも滑落して頭を打てば、

充分に救急車を呼ぶケガになるでしょう。

 

とか、考えながら、

風景を撮りながら、

ちょうど50分程度で登り切りました。

 

お城に入るか迷ったんですが、

次回がいつになるか分からないので、

入って眺望を眺めました。

入城料\200

 

適当に撮影した長良川側を、つなげてみました。

なんとなく雰囲気が伝わるといいのですが。

 

お城は小さめですが、

かっこいいですね。

いかにも日本の城、という感じで好きだな。

 

 

時間があれば博物館にも寄るんですが、

それは家族とでも来たときに譲りましょう。

 

帰り道は、直滑降コース馬の背で降ります。

しかし、何やら怖い説明書きがありますね。

 

 

距離が短いぶん、40分の登山道ですが、

下りだったせいもあり25分で降りました。

だけど、こっちは登ってきた道以上に

岩場でかつ急峻です。

まじ、足を滑らせたら10m落ちられます。

ごつごつした岩場なので、

これはほんと危ない。

家族向けのハイキングコースにあってはならない道ですね。

でも、小学生の女の子も登ってました。

何事もないことを祈るばかりです。

 

下山したら、三重の塔だけは、と観に行きました。

そこには、ブラタモリでみた褶曲したチャートの層がありました。

織田信長が庭園にして見せたと言われている岩ですね。

 

時間も無いのでお土産も見ずに駐車場に帰ります。

駐車場の横には長良川が流れてます。

対岸の一つの宿屋に泊まったのは、

10年くらい前かしら。

河原には、チャートと砂岩、

火山の噴出物の凝灰岩なんかがありました。

中流域なので、手頃な大きさで形のいい石がたくさんあります。

 

ということで、

マッハで金華山を堪能し、

岐阜市内のブックオフで何冊か本を購入して帰ってきました。

 

お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

もっと登りたいと心は言うんだけど、

なかなか時間が合わないのと、

もう一人の僕がその気にならない。

 

とはいうものの流石に間隔が開きすぎたので、

近場&縄張りの埼玉・秩父・武甲山に登ってきました。

 

▲この写真は降りてきてから秩父市内から撮影した武甲山。

 

いわば表武甲で、雄々しい山容ではありますが、

今も石灰岩の採掘で山体全体が削られ、

まるでピラミッドのようにむき出しの石灰岩の山です。

産業遺産として秩父市民には受け止められるかもですが、

自然破壊の傷跡という見立ても否定できません。

 

▲登山コースはその裏側にあります。

 裏側ですが表参道です。(笑)

 そう、武甲山の頂上には御嶽神社があります。

 今日のコースはこの地図で現在地から表参道を登り、

 小持山、大持山を縦走し、降りてきます。

 

登りはじめから9合目あたりまで、

登山道はほぼ杉の人工林の中を歩きます。

夏なので日陰ばかりの方がありがたいのですが、

眺望が全然無いのは、登山の楽しみの1つがない、

ということなんですよね。

近場の割に東京・高尾山のように人気がないのは、

その為かもしれません。

 

でも、楽しみというのは、眺望だけではありません。

 

 

夏の日差しの木洩れ日は、

スポットのようになって、

下草を美しい緑色に映えさせます。

 

 

これを写真に集めるワクワク感は、

なかなか街中では味わえません。

日差しは意外に早く動くので、

シャッターチャンスは、短い。

もうちょっとスポットずらして欲しい、

という、と自然相手の撮影というのは、

時間を忘れます。

でも、もっといい被写体があるかもなので、

一カ所にグズグズも出来ない。

のんびり登るはずが、せわしない登山になります。

 

 

順序が多少前後しますが、不動滝、樹齢700年の大杉などがあります。

3枚目は小持山への移動中の尾根から見た武甲山の裏側です。

 

はい、頂上に着きました。

あ、神社の写真撮るの忘れてる(T-T)

 

本当の頂上は金網で囲われちゃってるんですが、

すぐ横からの景色です。

真ん中が秩父市内、荒川が左から右に走り、

山の切れ目から長瀞を通り、関東平野に流れます。

 

アニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」

で有名になった橋も見えてますね。

 

▲せっかくなので市内風景の映像でお楽しみ下さい。

 

 

そのほか、杉林の中で見つけた生き物たちです。

アズマヒキガエルは初めて見ました。

10月に登ったときには、子鹿が居たこともありますし、

イノシシの足跡はあちこちにあります。

 

 

これはコース半ばの小持山と大持山の間の展望所です。

岩が突き出ている場所で、少しスリルを味わえます。

表参道の眺望の無さは、これで相殺です。

 

 

岩に座っておにぎりを食べます。

足下は30m位の絶壁ですが、ちょっと分からないか;;;

 

 

雨が続いていたせいか、キノコも沢山生えてました。

最後の赤いキノコが見事で、直径10cm余りの大輪でした。

ほんと、花みたい。

誰か、名前教えて下さい。

 

大持山を南に下り、三叉路にある、

コース的には最後の眺望です。

右側に白いUFOのように見えるのは、

プロ野球の西武ドームだと思います。

 

ここから更に1時間ほど下山して、出発地に戻ります。

 

コース全体の標高差は

800m↑120分で武甲山、

200↓-200m↑90分で小持山、

30m↓-30m↑45分で大持山

800m↓75分で出発地の一の鳥居に戻ります。

 

休憩を入れて8時から15時過ぎと約7時間かかりました。

前回は5時間位の気でいたんだけど、

どこで時間を浪費したことか???

ま、山は余裕を持って登りましょぅ。

 

 

最後に、ゴミの話。

いつの頃か、山からゴミを拾ってくるようになりました。

自分は缶コーヒーの缶を集めてるんだけど、

山の中で凄い古い缶を見つけたことがありました。

また、今はない缶コーヒーのプルタブが懐かしくて

つい、持ち帰ったのが始まりです。

今では目についゴミはなるべく持ち帰り、

少しでも山の美化になればと思ってます。

 

武甲山は神社もあるのでお酒のお供えとかもある関係か、

ガラスの欠片が結構落ちてて危ない。

海だとシーグラスとか呼ばれて集める人も居るようですが、

山のガラスは鋭くて危ないです。

今回のコーラの瓶と缶は、結構な年代物ですね。

 

下界の気温は35度くらいでしたが、

山の中は意外に涼しかったですね。

心配していた夕立にも降られず、登山としては最高でした。

 

最初の武甲山の写真は、西部秩父駅前にある祭の湯からの風景です。

温泉で汗を流して帰ります。

 

お疲れ様でした。

仕事でよくExcelを使うんだが、

色々と困ったときにはGoogleで検索して

親切な方の知恵に助けてもらっている。

今回は、「シート見出しが消えた」についてなんだが、

それでも解決できなかったケースの紹介。

いや、こんなお馬鹿はオラくらいのものかもしれない。

 

一般的なケースの解決方法

 

他にも掲載があるけど、

検索し直すのも面倒だろうから、

紹介しておきますね。

 

Excel2010

①「ファイル」→「オプション」→「詳細設定」

② 「次のブックで作業するときの表示設定」欄の

 「シート見出しを表示する」の項目のチェック

 

普通はこれで解決する。

だが、オラの場合、チェックは入ってるのにタブは表示されない。

 

オラの場合の、解決方法

ワークシートの左上に Book1 と表示されているのがヒントで、

実はワークシートが縮小されていたのが原因。

ここでいう縮小とは、ウィンドウ枠の右上にある

3つボタンの真ん中のやつ。

 

この2列のボタンは、上がExcelそのもの、

もしくはブック全体のウィンドウの大きさを変える。

下の段のボタンは、個々のワークシートを、

Excelの枠内で縮小表示する。

他のワークシートと同時に表示して、

内容を確認するときなどに使用する。

 

オラはそれをしようとして、

ワークシートのサイズが絶妙に大きくて、

ワークシートの最大化ボタンも、

シート見出しも見えなくなっていました。

 

ワークシート上部をドラッグしてボタンを表示させ、

最大化するで元に戻りました。

 

まあ、こんなことはなかなか起こらないんだろうけど、

はまっちゃうと悩むのよ。

ということで、もし誰かのお役に立てたら幸いです。

 

 

 

 

 

 

友人からのリクエストで、

ちょっとのつもりで書き始めたのですが、

少し長くなりすぎました。

お暇でしたら、時間つぶしにお読みいただければ幸いです。

では、はじまりはじまり~

 

オラの過去の健康状況
生まれたときは4200gの健康優良児は、

大きく生まれて小さく育ったが、基本的に五体満足。

小学生時代は3kmの通学路で鍛えられ、中学校ではソフトテニス部だった。

陸上競技系はだめだったが、大車輪ができるくらいに身は軽かった。

大学卒業時、身長161㎝、体重50㎏、胸囲90cm、胴囲73cmくらいだったかな。
 

社会人になって運動はせず、27歳で結婚すると1年1㎏のスピードで肥えていった。

30代は少し反省して夜中に10km程度のジョギングをしていたこともあったが、

64㎏ほどで固定された。胴囲は86cmまで増えた。


問題は中性脂肪で、これは高校時代から飲み続けている

缶コーヒーとカップラーメンの影響が大きい。

間食のできる職場なので、いつも何か食べられるというのもよろしくない。

最悪のデータは中性脂肪が450、悪玉コレステロール200ほど。

何も自覚症状がないので、人間ドックに行っても基本ほっといた。

みんなとモグで出会ったのはそのころ。

夜中までネットに張り付いていて、まあ、不健康な生活だったよね。

転機

朝、駅まで15分歩いて2階まで階段を登ると、

胸が痛い気がする。

運動不足のせいかとも思ったが、少々気になるようになった。

そんな折に谷川岳に行ったとき、ハイキング程度なのに全然仲間についていけず、

胸がキューってなる。

さすがにまずいかなと判断し、医者に行くことにした。

24時間心電図、心臓レントゲン、検査入院ととんとん拍子に検査が進み、

結局、心臓に3本ある動脈のうち、

左下降枝がほぼ閉塞、左回旋枝も狭窄が進み血流不足ということで、

3本のバイパス手術が適当、という診断結果だった。

51歳だったかな。

初めて死を身近に感じるとともに、

それまで気にしてなかった胸の不調がすべて心臓の悲鳴に聞こえてきた。

心臓の検査で心臓までカテーテルを入れた経験から、

心臓の位置や心臓の感覚が研ぎ澄まされてしまい、

感度の閾値が上がっちゃうのよね。

もし、今止まったらこのまま死んじゃうんだ、

という実感はなかなか心に重い。

思い込みで症状が改善するプラシーボ効果の逆で

ノシーボ効果というのがあるが、まさにそれ。

何もなくても胸が痛い気がしてくるから困る。

だったら即手術、という流れなんだろうけど、

オラは違った。

だって、昨日まで普通に生活していたのに、

いきなり胸を切り開いて肋骨切って、心臓をいじくるなんて

狂気の沙汰としか思えない。

とにもかくにも痛そうじゃない(>_<)

ちなみに手術の成功率は98%。

普通の人はそれで安心して受けるのかもしれない。
だが、2%の失敗には同意しかねた。

50人のオラがいたら1人は死ぬ。

この確率は意外と当たりそうな気がする。

それが悪性のガンとかで、回避が難しい状況なら仕方ないが、

今は何も問題がないのだ。

逃げ出すには十分な理由だと思うのだが、どうだろう。
まあ、医者は「これで何かあったら生存率は60%とかに落ちます」とか補足していたけど、

なら何かないように節制すればいいのね、というのがオラの回答だった。

妻も自分の意見に同意してくれた。

普通の家族ならさっさと手術しなさいよという状況かとも思うのだが、

夫婦ってのは価値観みたいなものは似てくるのかね? 

おかげでその日から食事内容が変わった。

 朝 麦飯のおにぎり半分(塩なし、味噌ニンニク1粒入り)、
   レモン絞ったトマトジュース、
      はちみつを入れた無糖ヨーグルト
 昼 弁当なし(自分で何とかする)
 夜 まずは、どんぶりサラダ
    ご飯などの炭水化物はなし、あってものり巻き2つとか
    野菜か魚の主菜、ビールは妻と1缶
    食後に抹茶とお菓子


まさに死をかけた戦いだったので、最初はお昼も食べなかった。

甘い缶コーヒーもやめて、カップラーメンはもちろん、

普通のラーメンも月に1回とかになった。

たまに出される幕の内弁当も、半分食べて持ち帰ったり、

揚げ物はすべて衣を外したりした。

コンビニで買う100円の刻みキャベツをドレッシングなしでむさぼる。

これに慣れるとスーパーで買ってきたキャベツを丸ごとかじるようになった。

これは意外に味がするし顎も鍛えられていい。

夕食後のお菓子もしばらくは絶っていた。

外食は元々少ないのだが、

たまに行くのは牛丼かラーメンか、回転寿司。

ドーナツやハンバーガー、ピザ、焼き肉を食べることもほとんどなくなった。

あと、薬とサプリは頼りにした。

医者からは高脂血症の改善薬として、

コレステロールを下げる薬と血液をサラサラにする薬、

副作用で尿酸値があがるのでその薬などがある。

降圧剤はまだ飲んでない。
 

サプリは腰と膝の為にグルコサミンとか飲んでいたのだが、

医者の勧めでDHAが加わり、

それでも心配なのでカルピスがつくってるラクトウェルというサプリも

通信販売で購入するようになった。

メタボには関係ないが、目のサプリ(沖縄の一望百景)も飲んでる。

溺れる者は藁をもつかむのである。
おかげで一か月の薬・サプリ代金は2万円を超え、

食後の薬は10粒くらいあって、なかなか飲みごたえがある。

運動も本格化し、週に4日ジムに通うようになった。

それまで入り浸っていたパチンコは副流煙が血管を縮めるというので

妻に出禁にされたのも大きい。

基本的に10分の柔軟、20分の筋トレをした後、

ランニングマシンで(走り続けられないので)時速5㎞くらいで60分歩く。

最後、風呂に入るついでに、サウナで汗を流して体重を絞って帰る。

これで2㎏位しぼれる。もちろん食事をすればすぐに戻るんだが、

ちゃんとトレーニングできた後のビール(ほぼ発泡酒だが)はうまい。

でも、妻と一缶を分ける、慎ましい贅沢だ。

1年後、最悪68㎏あった体重は、最小で60㎏を切った。

血液検査の結果、すべての数値が正常範囲に収まり、

特に悪玉コレステロールは70台まで下がり、

その数値に医者も驚いた。

胴囲も78cmほどになり、ベルトも1穴縮まり、

きつかったズボンがするするとはけるようになったのは嬉しい。

その後

そこで油断するのがオラの凡庸たるところで、

コーヒーには砂糖を入れるようになり、

お昼も普通に食べるようになった。

回数は多くないにしてもカップラーメンや大盛りの機会も増えた、

ただし、朝夕は妻の管理下なので、ほぼ変わらない。

サプリは多すぎたので、

膝への効能は認められないというネットの意見が多いグルコサミンはやめた。

運動も、コロナのせいでゴルフのレッスンを辞めたのをはじめ、

ジムもコロナ対応で値上げされ今年の5月に泣く泣く退所してしまい、

運動もおろそかになった。

おかげで体重は64㎏、胴囲も82cmほどと、

中性脂肪最悪期に近くなってしまっている。

現在の血圧は上130弱、下80弱、脈拍は50回程度とまあまあの値。

この8月の血液検査はなんとか正常範囲だが、

ちょっとぎりぎり感がある。

また目も老化のせいで網膜前膜という状態になっている。

これも悪化すると手術が必要なので、少々気が重い。

奥歯も抜歯が必要と言われてて、年を取るというのはなかなか大変だ。

でも、まだ家族のためにもモグ友のためにも生きなくてはならない。

ということで、今は職場の建物の周りをせっせと走っている。

1週430mほどなのだが、これが4分30秒ほどかかる。

最初は60分で12周しかできなかった。

時速は時速6キロ弱、つまり早歩き程度なのだから情けない。

でもまあ、少しずつ早くなってて、今は平均16週くらいできる。

時速7.5キロくらいだ。速さ的には軽いジョギング程度なんだが、これが精いっぱい。

高校生の時は1500m6分少しだったのだから半分程度の速さだ。

ランナーを目指すつもりはないので、心臓の持久力・耐久力がつけばいい。

これはコロナ対策にもなってるはずで、

強い呼吸器系は中等症以上に悪化した時には心強い。

まあ、発熱やインフルエンザに縁のない体質なので、心配はしていない。

現在

走るようになって、また少しウェストが細くなってきている。

足の筋肉もモリモリで、自分史上最大筋肉量になっているんじゃないかなぁ。

走ってばかりなので腹筋は割れないんだけど、

カッコつければライザップ感も少しはあるのですよ(笑) 

ただ、内臓脂肪は13㎏前後であまり減らないのよねぇ。これが不思議。

いずれにしても50歳を越えてから食事と運動の習慣を変えて、

体質、血液の値、筋肉量、運動能力なんかが変わるのに、

やっぱり3年くらいかかる。

ほっとくと体重は半年で戻ってしまうので、油断大敵。
継続の秘訣は、食事は妻が管理してるので、これは超、楽。

昼間、食べ過ぎなければいい。

だけど、間食がねぇ。コーヒーは1日に2杯。

甘くなくても飲むけれど、スタバのキャラメルマキアートが大好き。

そしてかりんとうが大好きなのよねぇ。安いし、お茶とよく合うし、カロリー高いし(笑)。

運動は、ジムが一番いい。

会費の元はとる、いや、それ以上に使いたいオラは続けられるwww。

周りに人の目があるので、サボれないしね。

ジムじゃないと、友達と頑張るのがいい。

今日は10周走ったとか話すだけで、継続する力になる。

たまに運動公園に行って、もっと速くて頑張っている人が居るのを見ると、

これも頑張る力になる。

いずにしても、時間があったらという姿勢ではダメだよねぇ。

夕方6時からは運動の時間、みたいに生活の中に組み込まないと、なかなか続かない。

今は1日60分走るのを目標にしている。

何でもいいんだけど、1時間体を動かしている、

ということが重要だと思う。

これがお腹が空いて何か食べちゃう6時ころにするのがポイント。

やっぱり、空腹時間を持てないと、痩せることはない
今走ってる距離は8キロ前後。

これを10キロまで延ばしたいんだけど、まあ、焦らず、休まず。

ただし、休息は入れる。故障すると、やめる口実になっちゃうからね。
ジムで歩いてたので、痛かったり故障しないでいられるのはそのおかげ。

運動慣れしていないとすれば、

最初は運動する習慣作りから始めるしかないと思う。

 

そして、誰かに宣言する。

オラはここで宣言してしまったので、1年後も続けてないと恥ずかしい。

そうして自分を縛ると、継続は可能だ。

 さあ、運動して健康と痩身を取り戻したい人は、コメント欄で宣言してくださいね。

 

長々とお読みいただいてありがとうございます。

アドバイス等ありましたらご教授くださいね。

では、また。

 

 

 

 

 

 

4月19日掲載させていただいた金魚ちゃんが、

5月7日に天に召されました。

 

金魚すくいで取ってきた子供の誕生日が5月6日なんですが、

誕生日を見届けて、旅立っていった様な気もします。

11年以上、生きてくれました。

 

 ▲一昨年の10月撮影

 

病状は小康状態に見えていたのですが、

少しずつ悪化していいたのかもしれません。

 

松かさ病について色々調べてみましたが、

松かさ病が原因で健康を害するのではなく、

体力や免疫力が落ちて、松かさ病になるのかも。

 

もちろん、相互に影響し合うのでしょうが。

人間と比べるのは少しはばかられますが、

自分の親を看取った時も、少しずつ弱っていくのが分かって、

色々手を尽くしても、少しずつ進んでしまうのを思い出しました。

天命だった寿命を全うしてくれたのだと信じたいです。

 

以下、6/13、書き足しです

 

4月
 見た目の痛々しさとは裏腹に、あまり弱っている風ではなかったし、

 それほど変化もしなかった。

 だったら何か治療ができそうなものだが、これといった手立てがなく、

 見ていることしかできない。

 

 それを知ってか知らずか、

 金魚ちゃんの瞳は、いつもの通りに涼やかだ。

 4月中は、普通に泳ぎ、エサも食べていた。

 もしかしたら治るのかもしれない、と思うことさえあった。
 

5月

 疑う余地のない病状になる。

 血走ったウロコの範囲が広がり、

 腹部はどす黒くなってきた。

 尻尾の方が浮くらしく、せわしくヒレを動かして態勢を戻しているようだ。

3日

 水面に浮かびっ放しになる。

4日

 ブクブクの泡の勢いにさえ逆らえなくなり、

 水槽の隅に押しやられる。

5日夜

 逆立ったウロコが4枚もはがれてしまう。

6日

 次男の誕生日

 呼吸が小さく、弱くなった。
7日 朝

 起きて水槽を見ると、とうとう水面でひっくり返っていた。

 死んでしまったのかと思ったが、

 涼やかな目のまま小さな息をしている。

 そのまま見ていると、一瞬、ぶるっと体をひるがえらせた。

 まだ生きてるよと言ってくれたのか、

 助けてという叫びだったのか。

 でも、水槽のガラスを撫でることしかできない。

7日 夜

 帰ると無言のまま浮いていた。
 

何もできない自分には、心配してあげることしかできない。

自分の親のときも、何かしなくてはと思いながら、

何もできなかったことを思い出す。

そして、ノドに引っかかった小骨のように気になるけれど、

日常の忙しさで忘れたふりをするしかない。

そんな不安定な気持ちのまま、この1か月余りが過ぎた。
 

金魚に意思があったとして、何を思ったろう。

魚には痛点が無いため、痛みを感じないと言われている。

また、人間のように死を恐れたり憂いたりということもないそうだ。

最近、妙に毎日のぞき込んでくる人間を眺めながら、

残り少ない日常を、それなりに楽しんでいたのだとしたら、

家族は救われる。

 

8日

 カメとハムスターと先輩の金魚の眠っている小さな庭の、

 一番の新人として仲間入りをした。
 

人間の病気には治療法も薬もあるが、

手に負えないものも多い。

それはコロナはもちろん、風邪でもありうる。

だから一番の治療法は、病気に罹らないことだ。

当たらなければ何ということはない。

しかし、用心にこしたことはないのに、

当たらなければ分からない(理解しない)のが、若さ故の過ちらしい。
 

今回の件から得る教訓は

「日常は簡単に壊れる」

ということだ。

 

日常の幸福とそれをどう守るのか、考えて行動したいものだ。

 

長い間、一緒に生活してくれてありがとうね、金魚ちゃん。

名前、付けてあげればよかったね。

 

 ▲金魚ちゃん せめて描いてみた

 

 

弱ってしまってからも写真は撮ったんだけど、掲載は控えてました。

元気な写真が見つかったので、

ちょっと書き足してみました。

 

もっと写しておけば良かったな。

 

 

 

 

 

10年ほど前に、

子どもが金魚すくいでもらってきたうちの金魚ちゃん。

名前はまだ無い。

狭い水槽だけど、元気に大きく育ってくれました。

 

昨年から右の額に腫瘍ができちゃって心配してたんですが、

最近はさらにまん丸となってしまって、食べ過ぎかと思ってたんですね。

ランチュウみたいになってますが、ただの和金です。

 

でも、ウロコが逆立って血走るようになり、

ググってみたら典型的な松かさ病とわかり、びっくり。

飼い主として、ここまで放置してしまったことに後悔至極です。

ネット情報に拠れば、水質が悪いのが一番病気に悪いそうで、

寒い時期に水替えを怠ったことが直接の原因らしい。

春先に発病するすることが多いそうなので、

高齢金魚で免疫力が落ち、腫瘍のせいもあったのかな、と思います。

 

いろいろ調べて、お薬もあるみたいですが、

末期の金魚には体力的に厳しいらしく、

むしろ早死にさせちゃうようなこともあるらしい。

塩水で菌を弱らせて、本人の体力にかけるしかない、

というのが、現状最善の対症療法と判断しました。

 

まだ見た目は元気でエサもよく食べるんですが、

肥りすぎはよくないらしく、ちょっとエサも少なめにしています。

金魚の寿命は10年も生きれば平均的らしいですが、

10年一緒に居ると、ずっと一緒に居るのが当たり前なんですよね。

 

何にもできなくて申し訳ないんだけど、

暖かくなると菌は弱くなるらしいので、がんばって欲しいと願ってます。

 

ふと思うと、人も似たようなもんですよね。

年をとれば免疫力は落ちるし、

肩や眼や腰は弱るし、

内臓もあちこち支障が出て、

風邪でも引き込むと、時と場合によっては一大事に。

やっぱり、毎日、念入りに自己管理する必要があるのだと思います。

そのことを気づかせてくれた金魚ちゃんには、感謝しかありません。

 

 

ナスDを標榜するオラは、

食べ物に関して贅は求めないので、

非常にコスパが高い。

職場はランチは外食でも弁当でも持ち込みでも自炊も可。

たいていは買い置きのパンとか食べてるんだが、

時間があるとちょっとした調理をする。

で、最近のお気に入りがこれ

 

 

焼きうどんです。

作り方は超簡単。

 

うどん玉とキャベツを茹でる。

茹で上がったらお湯を切り、炒める。

めんつゆで味を付けたら完成。

これが意外に旨い。

 

今回のうどん玉は特価の10円。

キャベツは半玉58円が半額の29円の8分の1の4円

油とめんつゆと一味を加えても20円のランチでした。

 

しかし、この価格で日本の製造業とか流通業とか、

大丈夫なのか、少し心配。

 

 

 

 

 

ブックオフが、年初のスーパーセールに続いて

20%OFFらしい。

 

ということで早速近くのBOOK OFFへ行きました。

 

特に買いたい物がある訳ではなかったんだけど、

瀬戸内寂聴さんの源氏物語が、

一巻税込み\110という破格値で置いてありました。

 

場所取るし、なかなか読破が厳しいし、

と思ったんだけど、2割引きだしね。

天の思し召し、と自分の言い聞かせて買うことに。

1巻がなかったんだけど、メジャーな本だから、

いつでも買えるでしょう。

ついでに奇岩城も買いました。

これは児童向けの本で、小学校の図書館で借りた記憶があります。

大人になって読んだら、どんな感想になるんだろ。

\191でわりと綺麗な本だったので、買うことに。

 

お会計はちょうど\1200で、ポイントが貯まってたので

\1050のお支払いでした。

 

よし、いい買い物が出来たぞ、と車に戻ったんですが、

 

 ん? \1200 ???

 

寂聴さんの本は9冊なので、110×9=990

奇岩城は売価\191なので税込み\210でした。

足すとちょぅど\1200、全然20%OFFでないでゎありませんか。

 

今さら聞きに戻るのも面倒だし、

OFFセールを店員が知らない訳はないので、

家に戻って調べ直してみると、

なんと、店舗限定セールだったことが判明。

 

最初のセール告知の表示はスマホで見つけたんだけど、

店舗限定なんて、一切書かれていなかったので、

早合点したのでした。

クリックして詳細を見ればよかったんだけどねえぇ。

 

20%OFFでなければ、三が日にもらってた10%OFF券があったのに。

失敗しました。

 

まあ、たかが100円かそこらですけどね、

うまくやろうとして失敗すると、

結構へこむんですよ。

 

今年、最初のポカでした。