通院から休職までのお話 | そのままのキミがスキ
今日はねー休職までの流れを書きます
このブログを始めた頃は絶不調で文字を打つ気力もそんなになくただただ不調具合を書き記していて休職に至った流れを書いていませんでした。
前職の入社当時からうつ病と診断されるまでの2年半くらいの流れです。
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2021年1月9日やっと心療内科の扉を開けます。
適応障害(うつ状態)と診断されてこの時点で休職を勧められていました。
仕事が溜まってるし、、、やることいっぱいあるし、、、まだ死なないから大丈夫です!!
自分ではまだ出来ると思っていました。限界はまだ先だと思っていました。
抗うつ薬と眠剤を処方してもらい寝付けるようにはなったけど中途覚醒すると眠れなくなる。
2週間おきに通院をしてその度に処方薬を変えて様子をみるこれを繰り返しながら仕事を続けていました。
本来ならば、鍵は責任者が管理する物なのですが、鍵の返し方を教えてもらい責任者より遅く帰ることが増えていきました。
平日は21時、遅い時は22時まで働き土曜日も午後から働き日曜日は完全に休む。
薬を飲みながら仕事をしても
回復が追いつかず体調は悪くなる一方。
ついに、ご飯も受け付けなくなり飲み物だけの生活になりました。
体重はみるみる落ち栄養が足りず頭も体も動かないやっとの思いで職場に着き疲れ果てた体でなんとか帰宅する。
プツンプツンと糸は切れていき残りの1本になった時最後は突然やってきました。
2021年2月お昼休憩に入っていた時
「愛の机漁られてるよ」
と、LINEが送られてきました。残っていた休憩時間を諦め急いで席に戻ると1つやり忘れていた仕事がありその仕事をやってくれていました。仕事を引き継ぎ残りの仕事を進めていたのですが他にも急ぎの仕事がありこっちも早く片付けなければいけない、、、やり忘れていた方はややこしい展開に発展してなかなか進まず次の仕事に着手できない、、、なんとか、小言を言われながらもなんとかこんとか両方を片付けて一息ついた時、、、
普段は声を発さないし声が小さくて聞き取れない先輩が
「迷惑」
部屋中に響き渡る声量で怒鳴られたのです。
もちろん、自分にも非があって迷惑をかけたことは分かっています。
でも、怒鳴ることはないじゃない、、、わたしにだけ聞こえるような声量でとか少し離れた所で言えばいいじゃない、、、
その後も怒りは収まらなかったらしくいろんな人にプンスカしながら怒りをぶつけていました。わたしに聞こえるように。
プツン、、、
最後の糸が切れる音ハッキリ覚えてる
残っている仕事を全部片付けよう迷惑と言うなら全部片付ければいいんだ。
この日は2月最後の金曜日力を出し尽くしても大丈夫だ
22時頃まで頑張ろう終わらない、、、
終電まで頑張ろう終わらない、、、
歩いて帰ればいいか終わらない、、、
始発で帰ろう、、、
虚しさを抱えて撮った1枚この日の空はわたしの気持ちとは反対にとても澄んでいた。
溜まっていた仕事を片付けて翌日の始発で帰宅。
土日は起き上がることも出来ず頭の中は仕事のことばかり。
月曜日は早く行かなきゃ終わらないかも退院増えたかな入院増えたかなあれ終わったっけあれあのやり方でいいんだっけ
お休みなのに体は動かないのに頭の中は仕事のことばかり。
迷惑、、、わたしの存在が迷惑なのか、、、
明日行ったら病気のこと言おう
眠れない眠剤が効かない
2021年3月1日眠れずに朝を迎え行かなきゃ、動かなきゃ頭では分かっているのに体が動かない
準備をしなきゃいけない時間が過ぎお家を出なきゃいけない時間が過ぎ
あ、だめだ行けない
初めての欠勤をした。
頭痛と吐き気が強くどうにもできない。
クリニックの休診日を調べると翌日が休診でした。行くなら今日しかない。
吐き気が治ったら行こうと思うが落ち着いて動くとすぐに吐き気が戻る。
助けて助けて助けて1人しかいない部屋で叫んだって誰も助けてくれない。
夕方、ゆっくりゆっくり歩いてやっとクリニックにたどり着いた。
「仕事に行けなかった」
糸が切れた時のことを話した時涙が止まらなかった。
この時もまだ仕事に行こうとしていたんです。明日行ったら病気のことを話そうそう思っていたんです。
先生と話したあと少し冷静になれたのかもしれない。
「仕事行ける?」
っていう問いかけに初めて言えた
「行けない」
先生は、よく言った!!とばかりに続けた
「よし、休もう」
診断書を書いてくれてわたしの休職期間がスタートした。
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