石牟礼道子全集の中に残留孤児についてのはなしがあった。
15歳の少女を家に連れて帰って世話をしたという経験である。
極度の栄養失調状態に陥った人は食べ物を吸い込むように食べるのだが、
それまでは何も入っていなかった胃腸がうまく機能しなくて、下痢として出てしまう。栄養をうまく取り込めなかったわけだから、おなかが減る、だからごはんを幾度もねだる。
家族に人達にうとまれながら道子さんは世話をするわけだけど、少女は畑のものを盗んで食べることもするから、近所の人たちにも迷惑をかけてしまう。
そしてそんな15歳の少女はある日突然姿を消してしまうのだ。
(ああ、やはり一度読んで、日がたった後だとどうにも薄くなってしまう。やっぱり読んですぐに感想を書かなければならないものだなぁ)
さて、本題のおそ松さんのチビ太の話。、
チビ太は21世紀の日本ではその名自体が死語となって久しい浮浪児である。戦後間もない昭和30年代までは、傷病兵の物乞いや見せ物小屋等と並び、彼のような浮浪児、浮浪少年が少なくなかった。チビ太の頬に描かれた斜線は顔を洗わず薄汚れていることを示し、親はなく住所も不定で、しばしば空き地の土管で寝泊まりしている。おでんはそんな彼のような浮浪少年にとって、ささやかなご馳走であり、虐められようと、蔑まれようと、彼は逞しくしたたかに生きてきたのである
https://ja.wikipedia.org/wiki/チビ太
石牟礼さんのあの話をよんで、思い浮かんだのがおそ松さんのセリフ
「この顔の三本線何なのか(以下略)」
というセリフだ。18話Bパートのイヤミカートである。
(上記を読んで)なるほど、あの顔には元ネタがあったのか。
しかしながら、おそまつさん本編にはそのことについて言及されていない。
する必要もないと考えたのだろうか?脚本家さんは、知っていたけどネタとして言わせただけなのだろうか?
別に嫌味を言っているわけではない、このセリフが「個人的にずっと心にひっかかっていて、数年後に戦災孤児についての経験談が文章として現れたので、驚いてしまったのである。
石牟礼さんは雑踏と少女のことを思い浮かべながら、エッセイを締めくくる。
(尻切れトンボみたいな終わらせ方にしてしまうが、今回はここまで)