人に命をあげられますか?
この世で最も悲しい犯罪。
それは承諾殺人。
人は簡単に殺してもいいよなんて絶対にいえない。
だからこの犯罪は長く連れ添った親子や恋人、夫婦が犯してしまう。
そしてその事情は生活苦等本当に悲しい事件が多い。
その人を愛するがゆえの殺人。
人に命を預けるまでの心境は本当に計り知れない。
しかし、いくら同意があっても人の命を奪うことは国が許さない。
刑法202条で懲役刑できつく罰している。
そんな事件がまた京都で起きた。
息子と母がいた。息子はとってもまじめな人であった。母が認知症になり息子は介護のため仕事をやめた。しかし生活困難になり心中を決意。母親を車いすに乗せ、京都市街の思い出の地を歩く“最後の親孝行”をした後に、帰りたがる母親に、「もうここで終わりやで」と言った。母も「お前と一緒やで」と殺人を同意した。母を殺害して自分も自殺を試みたが死ねずに救急車で運ばれた。
法廷は涙した。
裁判官は泣いちゃいけない、泣いたら感情に踊らされて適切な判断ができていないと思われてしまうから・・。
しかし、裁判官はこの事件を聞いて泣いてしまった。
異例の事態だった。
弁護人も泣きながら息子について
「被告人は私より人格的に優れいている。非難はできても同義的な非難はできない」
と息子の勤勉さ・真面目さを評価して自分より優れているとまでいっている。
もちろん傍聴人もすすり泣く声が聞こえている。
検察も同情の余地があると温情判決を求めている。
息子は
「また生まれても同じ母に生まれたい」
と涙していた。
判決は
「結果は重大だが、被害者(母親)は決して恨みを抱いておらず、被告が幸せな人生を歩んでいけることを望んでいると推察される」
「朝と夕、母を思いだし、自分をあやめず、母のためにも幸せに生きてください」
執行猶予付だった。
http://news.goo.ne.jp/news/sankei/shakai/20060721/e20060721000.html?C=S
人に命をあげられるまで愛し合える関係って究極だと思う。
私は涙が止まらなかった。
このような事件は起きてほしくないな。
それは承諾殺人。
人は簡単に殺してもいいよなんて絶対にいえない。
だからこの犯罪は長く連れ添った親子や恋人、夫婦が犯してしまう。
そしてその事情は生活苦等本当に悲しい事件が多い。
その人を愛するがゆえの殺人。
人に命を預けるまでの心境は本当に計り知れない。
しかし、いくら同意があっても人の命を奪うことは国が許さない。
刑法202条で懲役刑できつく罰している。
そんな事件がまた京都で起きた。
息子と母がいた。息子はとってもまじめな人であった。母が認知症になり息子は介護のため仕事をやめた。しかし生活困難になり心中を決意。母親を車いすに乗せ、京都市街の思い出の地を歩く“最後の親孝行”をした後に、帰りたがる母親に、「もうここで終わりやで」と言った。母も「お前と一緒やで」と殺人を同意した。母を殺害して自分も自殺を試みたが死ねずに救急車で運ばれた。
法廷は涙した。
裁判官は泣いちゃいけない、泣いたら感情に踊らされて適切な判断ができていないと思われてしまうから・・。
しかし、裁判官はこの事件を聞いて泣いてしまった。
異例の事態だった。
弁護人も泣きながら息子について
「被告人は私より人格的に優れいている。非難はできても同義的な非難はできない」
と息子の勤勉さ・真面目さを評価して自分より優れているとまでいっている。
もちろん傍聴人もすすり泣く声が聞こえている。
検察も同情の余地があると温情判決を求めている。
息子は
「また生まれても同じ母に生まれたい」
と涙していた。
判決は
「結果は重大だが、被害者(母親)は決して恨みを抱いておらず、被告が幸せな人生を歩んでいけることを望んでいると推察される」
「朝と夕、母を思いだし、自分をあやめず、母のためにも幸せに生きてください」
執行猶予付だった。
http://news.goo.ne.jp/news/sankei/shakai/20060721/e20060721000.html?C=S
人に命をあげられるまで愛し合える関係って究極だと思う。
私は涙が止まらなかった。
このような事件は起きてほしくないな。